第20話 閉幕

目の前に突如として広がったのは人形劇団の物置部屋のような空間だった。


そしてこの身にせまる危機の気配に辺りを見渡すと左右から凄まじい勢いで壁が迫ってきているのが分かった。


あれをどうにかしなければ全滅は必至。


「サトゥム」


『任された』


バートレイ卿の霊神は姿を現すと床から地面に向かいどこか禍々しさを感じる鎖を巡らせる。


その鎖の張りと強度は相当な物のようで、迫る壁を一切の撓みも見せず受け止めた。


「さて、早く離れるとしよう」


バートレイ卿は何事も無かったかのように涼しい顔をして難を逃れてみせた。


その態度に余程腹が立ったのかこの異界の主の怨嗟とも取れる絶叫が響き渡る。


『マタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタァァァァ!!!』


「耳障りだな。24番、状況は」


「すみません、この異界あまりにも異質過ぎて"掌握"には時間がかかりそうです!」


「具体的には?」


「にじゅ・・・いえ、10分でいけます!」


「よろしい」


『ミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレミチヅレェェェェ!!!』


半ば呂律の回っていない叫びと共に吊るされた人形達が私達に飛来する。


「24番は集中して作業続行。ミーフゥルは私と共に応戦。24番を守る」


「「了解」」


私はバートレイ卿の指示と同時に警棒からより重たい杖へと持ち替えた。


対人戦では使わない特殊装備である。


我が女神よここに一度の覚醒を願わんハラールトゥファース


『無理はしないでね』


「あぁ」


霊契術で能力を引き上げる。


鉄杖で人形を殴り、穿ち、突き飛ばす。


「・・・ふぅ」


この人形達は見た目よりもずっと堅く、俊敏だった。


だが、停滞と共に進化も司る我が女神の力を借り受けた"俺"を相手取るにはいくら集まったところで役不足としか言えないだろう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ここは、限りなく異質だ。


沢山の人の記憶や情念が混ざり、溶けて、絡まって。


それを僕達を道連れにしようという呪いにも似たなにかが覆っている。


掌握しようとする度にそれらが僕を蝕んで内蔵を内側から触られる様な気持ち悪さが苛む。


「・・・けど」


破砕音響く方へ一瞬目を向けるとヒールズさんが僕の身の丈もありそうな金属を振り回しているのが見えた。


・・・闘ってくれている人がいる。


その事実が僕を奮い立たせた。


腹を括るしかないっ!


「ねぇ、ミュルフ」


『なに?』


「マージンを外す。"捧げるよ"」


『いいのか?後悔しない?』


心配しているような雰囲気を出しながらも嬉しそうな表情をしている辺り、僕の霊神は悪魔なのだと実感する。


「いいよ。家族のはもう無いから次は故郷の事を」


『ふひひ。それじゃ遠慮なく、いただきまーす』


僕の霊神は夢幻の悪魔と呼ばれる、異界や夢、結界と言った現実と異なる性質を持つ空間を掌握する余程高位の悪魔らしい。


その力の源は霊力であると共にその性質故なのか契約者の夢や記憶を取り込む事でより強い力を発揮できるという。


最初に捧げたのは家族の記憶で、殆ど事故の様な出来事だった。


レベルの低い契約会場だと、上手く契約を結べずその霊神が暴れだしてしまう事がある。


そして僕より前の番号の契約候補者が契約に失敗した悪魔が、呼び出され無駄足に終わった怒りをぶつけたかったのか、こちらへ跳躍するとその拳を振るったのだ。


目の前まで迫った絶対的な死を前に僕は生を願った。いや、願ってしまった。


『ふひひ。呆れるほどの生への執着。喚ばれても無いのに出てきてしまったわ』


まだ霊神との契約を果たしていなかった僕が家族の記憶を犠牲に今日を生きている理由はそこでのミュルフとの出合いだった。


・・・あの時は取られるように記憶を捧げられてしまったが。


今度こそは自分の意志で。


『おい、あまりぼーっとするな。むふ。これだけの業と記憶がめちゃくちゃになってる空間を掌握しようとして頭が混乱してるのは分かるが、折角記憶を食べたんだ。また腹が減る前に片付けてしまおう』


「あぁ」




『「我夢幻を支配せし者イヤミュルフ」』




黒く、混沌とした色に染まっていた異界が色を忘れたように白く、どこまでも続く空間へと変貌した。


それと同時にヒールズさん達を襲っていた人形達も消え、少し離れた場所に異界の核とも言うべき人格が白い紙に落ちたインクのシミの様に立っていた。


『なんで』


残滓は続ける。


『どうして』


残滓の顔が歪む。


『私は"私"を生きようとしただけなのに』


残滓の涙は地面に届く前に白くなって消えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


その人に見出される前まで私はどこにでもいる町娘だった。


学校を出たら家業の布地卸を継いで適当な男と結婚して骨を埋める人生なのだと自分でも思っていた。


「ねぇ、私のいる劇団に来てみない?」


その人は酷く感覚派で演技の指導なんて出来たものでは無かったけど、私の人生を確かに変えてくれたのだ。


「ははっ。お前が指導するってんで心配だったが、この分じゃ舞台に出せる日も遠くなさそうだな!」


「ね?そうでしょ?もっと私の実力を認めて新人指導を私に一任してくれても良いのよ?」


「ばーか。お前は演技は逸品だが、教え方に関しちゃぁゴミも良いとこだな。なんだよ、うぉぉぉぉぉ、とかふにゃゃゃゃゃ、って。それで着いてこれるコイツが異常だ。感謝しとけよ?」


「ふ、ふぅん・・・ねぇ、そんなことないよね?ないよね?」


その人の指導はともかく上達する度に褒めてくれる劇団はとても暖かくて満ち足りていた。


だが、同時にこうも思ってしまったのだ。


この人がいなくなったら私はこの場所に居られなくなるのではないかと。


"この人に目をかけられている私"だからこそこの場所にいれるのではないかと。


「それじゃあ私は行くわね。あなたはあの頃よりもグッと成長したし、私が居なくてもしっかりやりなさいよ」


だからあの人が劇団を去ると聞いた時、酷い恐怖に襲われた。


「・・・私これからどうなるんだろう」


その時漏れ出した独り言は正しく私の本心だった。


それからどんな手を使ってでも劇団に残ろうとした。


アルターエゴを飲み、殺人すらも犯して。


今思えば全てが狂ったのはそこからだ。


型を作る度に内なる自分の様な存在が肥大してそのうち目的と手段が逆転した。


流れていた涙ももはや演技以外で出る事はない。


『なんで』


『どうして』


私の人生はこうも転落してしまったのだろう。


華の舞台女優から今では凶悪な殺人鬼。


かつて自分を包んだ心地の良い場所も今では二度と戻れなくなってしまった。


『ははっ』


思わず笑いが漏れる。


霊契術者達はこんな有様の私が後は消えるのみの存在だと分かっているのか警戒を解いていた。


『止め、刺さないの?』


私を鎖で縛った男が答える。


「ふん、お前は抵抗する術を持たずもう長くない。精々今まで殺した被害者達への想いを馳せこれまでの事を悔いるがいい」


『・・・そうですか』


と言っても、もう殺し過ぎた。


悔いも馳せる想いも上手く浮かばない。


私の存在は足元から徐々に何者かに食われつつある。


・・・本当にもう長く無さそうだ。


侵食は段々と速くなり、私の意識も段々薄くなっていく。


最期に私の口から出た言葉は余りにこの時代にありふれていて、自分の最期に似合わない。そう思える一言だった。



「あぁ・・・来世は霊契術師に産まれたいな」



この国で一番必要とされている才能。


自らの道を自分で拓いていけるような。


そんな力が欲しかった。

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