米寿の日からはじめる遺品整理

天鳥そら

第1話米寿の日からはじめる遺品整理

四月二十五日、初夏を思わせる日に祖母が八十八歳の誕生日を迎えた。孫の私はすでに両親のもとを離れ、別の土地に根づき結婚している。祖父母のほとんどが他界し、最後に残った母方の祖母は、今でも元気に築百年を超える家でひとりで暮らしていた。


「最近じゃ、私もお姉ちゃんも、おばあちゃんの様子を見に行くようにしているのよ。もう、年だからひとりにしておけないって言ってるのに、口は達者だし足腰は丈夫だし、様子を見に行っても畑仕事手伝わされてこっちが参っちゃうわよ」


「ええ~。それじゃあ、おばあちゃんじゃなくて、お母さんがぎっくり腰になっちゃうんじゃない?」


気をつけてよと笑うと冗談言わないでと困ったような声が返ってきた。今は、LINEの無料通話アプリを使って会話をしている。祖母が八十八を超えるなら、母だって六十前後だ。立派な高齢者となる母の心配をするのは娘として当たり前だった。


LINEやZOOMを使ったやり取りに、母はなんら抵抗を示さない。それよりも遠く離れて住む私とひんぱんに連絡が取りあえるからと、スマホを使う講習会やパソコンの勉強を始めるくらいアクティブだった。


「それじゃあさ、そろそろ切るね。明日は、おばあちゃんの米寿のお祝いがてら、様子を見てくるから」


「よろしくね」


さほど長くないやり取りを終えて、スマホの画面を暗くした。




実家までは新幹線を使うが、祖母の家に行くのであれば飛行機を使った方が早かった。今回は、ひとりで祖母の家に行くため、出かけている間は夫と娘二人がお留守番。私と滅多に離れる機会がないため、夫も二人の娘も不安そうな顔つきで見送ってくれた。


飛行機を降り、飛行場から電車で一時間ほど揺られた先に祖母の家がある。飛行場周辺はホテルやビルが立ち並び、東京や大阪のようにとはいかないが、それでも賑わいを見せていた。電車の窓を眺めていれば、いつの間にか田畑がちらちら現れ始める。家も近代的な建物より昔ながらの古い家屋の方が多かった。


「昔は、おばあちゃんの家の近くに住むんだって思ってたんだけどな」


郊外とはいえ、比較的、都会に住んでいた私にとって。祖母の家は非日常的な場所だった。今では見かけない駄菓子屋さん、夕方五時か六時には閉まる商店街、田畑を耕すご近所さん、祖母の家から遠くはあるが山も川もあった。従兄弟と一緒に虫取りをしたこともある。祖母に着せてもらった浴衣、近所の小学校で踊った盆踊り、お正月には近所の神社に初詣に行った。私にとって、滅多にできない経験をさせてくれる場所だ。


記憶の底からあふれてくる物語は、確かに昔、自分が体験したものだ。ところどころ記憶違いはあるかもしれないが、懐かしさも切なさも確かに自分のものだ。


相も変わらず古い駅のホームに降り立ってぎょっとした。


「おばあちゃん」


「時間通りだね」


飛行機に乗る前に、祖母の家に着く大体の時間を教えておいた。遅くならないだろうから、家でゆっくり待っててと告げて慌てて電話を切ったことを思い出す。


「なんで、来るの?」


「来ちゃ、いかんかね。さあ、荷物持ってやるから貸しな」


「いいって。大した荷物じゃないから」


駅の改札口を出てからひと騒動だった。おばあちゃんは米寿を迎えた。母や親せきは、すでにお祝いをしたらしいし、その様子もそれとなく聞いている。そう、米寿とは八十八歳のことだ。三十を越えたばかりの私が、八十八歳のおばあちゃんに荷物を持ってもらう、とんでもないことだと顔から血の気が引いた。


「いいから、貸しな」


しまいには私から荷物を奪い取り、軽々と運んでいく。転んだり倒れたりしたらどうしようと、ハラハラしながら見守っている私には構わず祖母は元気な声を出す。


「せっかく来てもらったんだから、ちょっとは手伝ってもらおうかね。今回は、どれぐらい泊まるんだい?」


「さ、三泊だよ。娘も待っているからさ、そんなに長くいられないんだ」


「そうかい、十分だよ。明日には叔父さんも来るから、一緒に納屋を整理してもらおうかね」


祖母の言葉に耳を疑った。納屋の整理とはどういうことだろう。私としては、米寿のお祝いがてら祖母の様子を見て帰る予定だったのだ。駅前の商店街を通り、濁った川の臭いをほのかにかぎながら橋を渡る。ここでは昔、魚が獲れたというに嘆かわしいものだった。


「あの、おばあちゃん、私ね、おばあちゃんお米寿のお祝いに……」


「はいはい、ありがとね」


すでに母や親せき一同がお祝いしているからだろう。米寿のお祝いにはまるで関心を示さない。畑仕事の手伝いや家の掃除ぐらいは覚悟していたんだけど、納屋の整理とはどういうことだろうか。


祖母の家には母屋と離れ、それから畑仕事の道具や野菜を置いておく納屋がある。他にも納屋の中にはあれこれ道具が仕舞われているようだが、危険だからという理由で奥まで入ったことはなかった。


「納屋の整理ってどういうこと?」


橋を渡り終わり住宅地に入った。古い家も多いが、新しく越してきた住民もいるため、ところどころ近代的な家もある。リフォームしたのか、汚れの目立たない白い壁のクリニックの横を通った。一分と経たない内に、昔はあった駄菓子屋の前を通る。細い道路は片側通行だ。小型車でも難儀するような道を、トラックや大型車がするすると通っていった。


子供の頃は放置されていた空き家は今では、学習塾に変わっている。その家の隣が祖母の家だ。


「私もね。この年になって考えたんだよ。いつお迎えが来てもおかしくないって」


「もうすぐ九十だもんね」


いくら長生きしているからと言って、祖母のように元気な状態で米寿を迎える人は珍しいのではないだろうか。気に障ったら悪いと思ってこのことは口に出さずにおく。隣で祖母は、うんうんと深くうなづいていた。


「みんなに、お祝いしてもらって決めたんだよ。いつ死んでもいいように、そろそろ遺品整理しようって」


祖母の言いたいことは生前遺品整理のことだろう。頭がしっかりしていて、体が丈夫な内に財産整理や身の回りの片づけを始めるのだ。


鍵を開けて、引き戸を開ける。がらがらと騒がしい音を立てるから、こっそり入ることはできない。


「おばあちゃん、遺品整理って、あの……」


「遅すぎるっていうんだろ?みんなに同じこと言われたよ。あとのことは全部やってやるから大丈夫だって」


「そうだね、遅いっていうか、あのさ、業者に依頼とかあるじゃん。何も自分でやらなくてもいいんじゃない?」


家が広く物がが多い場合、ひとりで遺品整理をするのは危ないし大変だ。こういうときのために、頼める業者が存在する。母も祖母の家を整理するのは大変だから、業者に頼むことになるだろうと話していた。


「お前は、なんにも分かってないね」


情けないと私の荷物を玄関にどんと置く。視線の先には仏壇があった。お盆にはお坊さんと身内でお経を唱えるのだ。


「自分の荷物くらい、自分で処分せんか」


危険だからと言われて立ち入りを禁じられた納屋を思い出す。あの中は一体どうなっているんだろう。


「さあ、今日はゆっくり休みな。明日から働いてもらうからね」


私は靴も脱がずに呆然と佇んだ。祖母を説得する文句を並べてみるが、どれもこれもむなしく消えていく。まるで、浮かんでは消える泡沫のようだった。










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