略奪人生

「気がついたかい?」


中性的な声だった。俺は目を開けて声のするほうを見た。いや、「見た」というのは正しくないかもしれない。すぐに俺は、目どころか、“肉体そのもの”が失われていることに気づいたのだから。


「俺、死んだのか……」俺は自分の両腕が透けているのを見て呟いた。


混乱して状況が飲み込めない。しかし、やはり俺は死んだのだろう。何故かそう思えた。


俺はまだ、死にたくはない。俺にはこの水神村での高校生活が待っているんだ。


声の主は不敵な笑みを浮かべている。真っ白な着物に真っ白な髪。その少年とも少女ともとれない容貌からは神聖さと不気味さが感じられた。


「キミは何者かに肉体を奪われて、魂だけになっていたんだよ。それをこのボクが保護してあげて、今ボクの“家”に匿ってあげてるのさ」


「そういや、俺……」


なぜ俺はここにいるのか、説明されてもピンと来ない。必死で脳をフル回転させる(最も、考えるための“脳”も無い状態だが)。狭い路地を抜け、祠を直した所までは覚えている。その後に体を奪われたのだろうか?言われてみればそのような気もするが、肝心な記憶は霧がかかっている。


辺りは驚く程静かだ。ボロボロの鳥居と、古びた木造の小屋。それを鬱蒼とした森が取り囲んでいる。


「ああ、自己紹介がまだだったね。ボクはシグレ。キミと同じ、魂だけの存在さ。まあここの神様みたいなもんだと思ってくれればいいさ。あっ、キミの自己紹介は要らないよ。“草薙奏馬”くん、だったかな」そう言ってシグレはいたずらっぽく笑う。


「神様……?」


若干胡散臭い感じはするが、どうやら俺は本当にあの祠で魂を奪われ、このシグレという神に匿われているようだ。あまりに唐突な出来事すぎて、認識した情報に対して、感情が追いついていかない。ただどうしようもない絶望の渦を、ぐるぐると回っているかのようだ。


「そうそう。あんまり驚いたり怖がったりしないね。キミ、今死にそうなの分かってる?」


「……そんなこと言われたって、魂だけってことは、俺は幽霊になっちまったってことだろ?それって死んだも同然じゃないか」


そうだ。今更驚いたり怖がったりしたところで、現実が変わるわけじゃない。もう何もかも遅いのだ。


「あはは、確かに幽霊みたいだ。でも、草薙奏馬はまだ死んじゃいないよ。キミの体が無事なら、また元に戻れる可能性は大いにある」


「元に……」


絶望に閉ざされた心に、僅かな希望の光が差し込んだ。冷静に考えれば、訳の分からないヤツに訳の分からないコトを言われて、そう簡単に信用できるはずがない。でもその時の俺は、シグレの言う“可能性”に賭けてみたい気になった。


「どうやったら、元に戻れるんだ!!」


俺は立ち上がり、シグレに詰め寄った。


「まあそう焦らないで。まずは奪われた自分の体を見つけないと。それまではキミには別の体を使ってもらうよ」


「別の体?」


「そうさ。まあこっちにおいでよ」


俺はシグレに案内されるがままに、古びた小屋の中へ入る。


小さな鏡が置かれた祭壇。その下には、制服姿の少女が横たわっていた。


俺は思わず息を飲んだ。背格好は確かに高校生くらいといった印象だが、その容貌は少し不気味さすら感じるほどの美しさだ。目が閉じられていることで長さが強調されたまつ毛、すらりと高い鼻、赤みがかった唇、白い肌。東京にいた時も、ここまでの美少女に出会ったことは無かった。色素の薄い髪はさらさらで、長さは腰まである。


「彼女は出雲茜(いずもあかね)。実は彼女の魂は深い傷を負ってしまっていてね。今はあそこで療養中なんだ」


シグレは鏡を指さした。ぼんやりとした暖かい光がその鏡を包み込んでいる。


「傷?なんで?」


「いやあ、キミが現れてくれてちょうど良かった。これからキミには「出雲茜」として生きて欲しいんだ。もちろん、キミの体が見つかるまでの間だけどね」シグレは俺の質問には答えない。


「はあ?ちょ、それって……」


「細かいことは後で話すから、まずはこの体にキミの魂を入れるよ。ホントは魂が定着するのにはすごく時間がかかるんだけど、今回はボクの力で無理やり定着させるから、覚悟しておいてね」シグレは出雲茜の額に手を当てる。


「ちょっと待て、まだ何も知らされてないぞ、そもそも……」


俺が喋り終わらないうちに、視界がぐるぐると渦を巻き始めた。刹那、たくさんの負の感情が俺の頭に流れ込んできた。怒り、悲しみ、憐憫……これは俺の感情では無い。


……信じてたのに。


……どうしても、闘わなくちゃいけないの?


これは出雲茜の記憶だ。彼女は、何者かと対峙していた。その何者かは墨で全身を塗りつぶされたようになっていて、容姿は確認できない。


彼女の記憶を見つめながら、俺の意識はゆっくりと遠のいていく。



……ごめん、茜。

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