反戦と大福

冨平新

反戦と大福【KAC20225参加作品】

 リリリリリリリ・・・

 6時だ。

 介護士の朝は早い。

 佐々木智樹ささきともきは、築35年の木造アパートの2階の窓を勢いよく開けた。

 徐々に春めいてきて、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 「そろそろ、春だな・・・」


 冬は雪が降るから、

デイサービスの送迎車のタイヤに

チェーンをまかねばならなかったり、

道路が凍結した坂の多い地域を走行する場合などには

安全に十分配慮して走行する必要があったりで、

とても神経を使う。


 何よりも大切なのは『人命』なので、

悪天候で交通状況が乱れる時にも、

時間など気にせず、安全第一を心掛けていた。


 もちろん、

智樹が勤めるデイサービスセンター

『やすらぎ』の施設長の角田翔つのだしょうも、

送迎車の遅れを叱ったりはしない。


 白い軽自動車にエンジンをかけて

『やすらぎ』に向かう。


 今日は運が良く、晴天だ。


 7時半より少し前に着いた。

 「おはようございます!」

 「おはよう。今日もよろしくね」

 7時には出勤している施設長の角田は、

デイの送迎車のキーを智樹に手渡しながらそう言った。


◇ ◇ ◇


 智樹は、8時半から9時半ぐらいに

『やすらぎ』に着くように、

利用者さん宅を順に回り、

白いワゴン車に乗せて送迎する。

晴天で視界が良く、恵まれている日だな、

と思いながら、

安全に留意して運転していた。


 10時から入浴介助とおやつの時間が始まる。

約20名の利用者を、順に入浴させ、

入浴を待機している利用者が午前中のおやつを食べる。


 12時。昼食の時間。

 誰の食事か一目でわかるように、

名札が乗っているトレイを利用者さんの前に配膳する。

 食事介助が必要な利用者には個別に介護士が就き、

適切な介助をしながら雑談などもする。


◇ ◇ ◇


 智樹は、いつものように

末広大吉すえひろともよしさんの食事介助に就いていた。

 末広さんは、この3月で、数え年88歳になる。

 午後のリクリエーションは、3月のお誕生日会だ。

 末広さんは、お誕生日会の主役の一人だ。


 「末広さん、今月で88歳を迎えられますね」


 智樹は、大きな声でゆっくりと、

やや耳の遠くなった末広さんに話しかけた。


 「ああ、覚えていてくれて、ありがとう。

おかげさまで、88を迎えることができそうじゃよ」


 末広さんは、柔らかい笑顔で答えてくれた。

 末広さんは物静かだが、

矍鑠かくしゃくとして頭もしっかりしている。

 まだまだ長生きされそうである。

 オール白髪だが、相当イケメンであったに違いない。

 若い頃のハンサムな顔立ちが容易に想像された。

 時々口を開けて笑うと、

とてもきれいな歯が並んでいるのだった。

 デイサービスの女性利用者にも人気で、

一番モテていた。


◇ ◇ ◇


 「物心ついた幼少期には、『太平洋戦争』が始まっとってな」


 いつもは物静かな末広さんが、

スプーンで運ばれた刻み食を口に含みながら話し始めた。



 「家の外から『バンザーイ』なんていう声が

しょっちゅう聞こえてな。


『学徒動員』で、兄も姉も、

戦争のために働いておった。


・・・とにかく、物が無くて、食べ物が無くてな。

庭にジャガイモを植えて、

育つまでが待ち遠しかった。


・・・父は運よく帰還きかんしたんじゃが、

戦地で友人を亡くして、

帰還してからしばらく、頭がパニックして、

毎日、戦地での事ばかりしゃべっておった。


・・・父は地上戦で

弾丸を左の太ももに打ち込まれたんじゃが、

手術で弾丸を取ろうとせんで、

『名誉の負傷』をいつも自慢しちょった」


 「そうだったんですか。

お父様が戦争で脚に傷を負われたんですね」


 「土嚢どのうって、あるじゃろ?

あの中に何が入ってるか、知ってるか?」

 「土、ですか?」


 「普通はそうじゃろ。

ところが、戦時中の土嚢どのうの袋には

『砂糖』が入っているんじゃよ。

戦地に常に食料があるとは限らんじゃろ?

弾で穴が開いたところから、

ザラザラ『砂糖』がこぼれてくるんじゃ。

空腹の兵士は、その『砂糖』を舐めながら、

土嚢どのうの合間から銃口を出して構えたそうじゃ」

 「そうなんですか。知らなかった」


 「終戦を迎えた時には、

『玉音放送』ちゅうもんをラジオで聞いた。

みんな、伏して泣いとった。


まだ10の子供の時分のこと、ただただ、

お腹がすいてお腹がすいて、

お腹がすいたことしか覚えとらん。


20歳の時じゃったか、

あんこがたっぷりとつまった大福を

生まれて初めて食べたんじゃ。

あの大福は、本当に、美味しかったなあ」


 耳のいい利用者たちは、

末広さんの話に聞き耳を立てていた。


◇ ◇ ◇


 午後1時過ぎ頃から、お誕生日会が始まった。

 このお誕生日会は、月に1度行われ、

誕生月の利用者を祝うものだ。

 3月生まれの末広さんも、

お誕生日会の主役の一人だ。


 誕生月の利用者に首飾りを掛け、

プレゼントをして祝った後、

女性の介護士たちがカラオケで美声を披露ひろうした。


 午後2時を回ると午後のおやつの準備が始まる。

 利用者全員におやつがいきわたると、

介護士が号令をかけて、利用者が一斉に食べ始める。


 今日の午後のおやつは、大福だった。


 昼食時、末広さんの話を聞いていた利用者が

「末広さん、私のも食べていいから!」

「・・・末広さん、わしのも、どうぞ」

「なんだか、お腹いっぱいなのよ」

「お誕生日、おめでとう!」 

 

 歩行可能な利用者たちが、

次々と大福を末広さんの机の上に置いた。


 「みなさん、ありがとう」


 しかし、健康上、

決められた量に留めておいた方がいい。

 介護士が、

末広さんの机上の大福をそれぞれの机上に戻した。


 感極まった末広さんが、涙ぐみながら、大福を頬張った。


 「うっ・・・」


 末広さんの喉が、詰まってしまった。

 急いで智樹が駆け寄る。

 「・・・総入れ歯がはずれた」

 智樹は、

介護士にしかわからないような小声で他の介護士に伝え、

ホールを任せると、

末広さんを畳の部屋に連れて行き、適切な処置をした。

 

 刻み食の末広さんには、

大福を細かくして皿に乗せるべきだった。

 しかし、昼食時にあのような話を聞いた後で、

切り刻んだ大福を出すことが出来なかったのだ。

 末広さんの前で大福を細かくちぎって、

食べてもらうつもりだった。


◇ ◇ ◇ 

 

 午後3時半。

 利用者たちを送迎車に乗せ、

利用者宅を回り、送り届ける。

 末広さんも車椅子に移乗し、送迎車に固定した。


 末広さんの家の玄関前に到着した。

「こんにちは、佐々木さん、

今日もお父さんがお世話になりました」

と、玄関前で待っていた

末広さんの娘さんが智樹に声をかけた。


 「今日はとても楽しかった。

楽しい時間を、今日もありがとう」


 末広さんは、いつもこのように、

介護士の労をねぎらうことを忘れない。


 「つい、昔のことを思い出してしもてのう、

・・・聞いてくれてありがとう。

・・・それにしても、

戦争は、もう2度と経験したくないのぉ」 


(完)

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反戦と大福 冨平新 @hudairashin

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