第3話 中将

「蜘蛛って案外美味いらしいな。コイツなら3日分は食えるぜ」

『絶対食うなよ⁉︎』

 宵闇を更に暗くするような影を描き、その真下で気色の悪い姿を見上げていた。バアルの脚音がすぐそこに迫っている。これだけ大きいとなると、いくらベリアルでも苦戦を強いられるのではないだろうか。

「つーかお前、本体は人間か猫か蛙だろ。なんで蜘蛛を選んだんだよ」

「貴様には関係ないだろう。くだらない事を言っている暇があるのか?」

 強烈な悪臭。というか、自然の匂いみたいなものを漂わせた巨体の足一本が此方に迫る。蜘蛛なので勿論細いが、鋭利なその先を食らえばひとたまりもないだろう。

「足は海老の殻みてぇって聞くからなぁ。いらねぇや」

 頭上から迫るバアルの足を両手で掴み、受け流して地面に突き刺す。見た目よりも鋭利で硬質らしく、コンクリートの道路をを破壊するほどまでにめり込んでしまった。

 そして、どうにか抜け出そうと上下に動く足に向かい、ベリアルの回し蹴りが炸裂した。

 それは、両側から力を加えられた木の枝と同じようにあっさりと折れてしまう。

 毛を撒き散らして、一層濃くなる悪臭の中に紫の液体が飛び散った。

「一本程度で動けなくなるほどヤワじゃねえだろ。次行くぜ」

「糞っ……‼︎」

 その後、ベリアルが次々に足をへし折る風景が流れた。それはまるでジェットコースターに乗っているかのようなスピードだ。

 そして、この際にとある事に気づいたのだ。しっかりと、ジェットコースターのような風圧を感じた。少しずつ感覚を取り戻しているらしく、完全な順応も時間次第かと思われる。

「さぁて、右も左も使い物にならなさそうだなぁ」

「舐めるなよ……‼︎この間に私が本当に狙っていたのは貴様ではない‼︎」

「あ?」

 傾いた巨体の頭上には、巨大な巣が張り巡らされていた。正真正銘、100人中100人が蜘蛛のものだと断言する形のものだ。そこに、あらゆる万物が無造作に吊るされており……

 ベリアルの能力は、単なるパワーやスピードに留まらないらしく、遥か遠くに聳えるそれらをしっかりと視界に収めてくれる。

 故に、信じたくないものが映ってしまった。

『浦矢⁉︎』

 ベリアルが足を切断して回っている間に、車やら街灯やらを持ち上げていたらしく、乱雑に急いでかき集めた為か浦矢もしっかりと縛られていた。

 というか、なぜ彼女は逆さで宙吊りになっているというのに眠り続けられるのだろうか。

『おいベリアル‼︎浦矢を助けろ‼︎』

「あぁ……?オレ様を家畜呼ばわりしやがった女じゃねえか」

 呑気に耳の穴に小指を突っ込み、怪訝な顔を浮かべる。やはりこの悪魔を使役することは不可能なのだろうか。

『いいから助けろって‼︎死人出したらお前もどうなるか……』

「断る。オレ様は眼前の高級食材にしか興味ないんでね」

『助けねえならこの身体もう使わせてやんねえぞ‼︎』

「何言ってんだ、これはもうオレ様の身体だ」

『ふざけんな‼︎』

 やはり、悪魔は悪魔だ。どうしようもない問題に悩んでいた自分が馬鹿のようだ。

「さぁ、死ぬがいい‼︎」

 バアルの声と共に、頭上の有象無象が次々と落下を繰り返す。コンピュータが埋め込まれたように、正確にベリアルを目掛けて降り注いでいた。

「最後の足掻きって感じだな。いいぜ、付き合ってやるよ。腹減ってた方が美味いからなぁ‼︎」

 ベリアルは、この身を大きく跳躍させた。降り注ぐ万物の上に着地して、段々と上へ上へのぼり詰めていく。

 自動車を踏み、ゴミ箱を踏み、瓦のように小さな物ですらも着地点として扱われ。

 蜘蛛の巣まで到達しかけた視界では、この手を動かすことが出来るなら浦矢を助けられるのだろう。しかし、この身体の主導権は残念なことに持ち合わせていない。

 ただ、それでも手を伸ばしたのだ。今だけでいいので、この身を動かすことが出来るなら……

「なっ……⁉︎トウヤてめぇ、なんで動けんだよ‼︎」

『え……?』

 動けないと思い込んでいたこの身体が抱えていたものは、浦矢の小さな身体だった。空中から落下していると気付いた頃には、もう既に彼女を抱えている感覚は消え去っていたのだが。

『動けた……一瞬だけ……』

 その後、感覚が消えてすぐ後にとんでもない激痛が全身に走る。どうやら、ブエルコアの力で少しだけ身体を取り返せるくらいにまでは回復しているらしい。

 尚、デメリットが発生しているわけだが。

「一瞬だけかよ。ったく……てめぇが余計な事すっからバアル殺す算段がパァだぜ。今後二度とするなよ」

 ベリアルは浦矢を抱えたまま地上に着地し、その衝撃で瓦礫を撒き散らして埃をたてた。

「ゴホッ……あれ、もう朝ですか⁉︎すいません宮沖先輩、私寝ちゃってて……」

 ようやく目覚めた浦矢は、寝ぼけた目を擦りながら視線の先を目に映す。そして、青ざめていく。

 まるで、先の展開が簡単に読めるB級映画のワンシーンみたいな予想通りの顔だ。

「あっ……あく……」

 ベリアルは浦矢をぽいと投げ捨て、浦矢はその地に尻餅をつく。とりあえず怪我はなさそうなので安心だ。

「トウヤが助けろっつったから仕方なくな」

 ベリアルは、地を蹴ってそのままバアルと向かい合う。足の再生には時間がかかるのか、少しずつ回復はしているものの居場所は先程と変わらない。

「さぁて、テイスティングの時間だぜ」

 ベリアルはその手を頭と胴の隙間に突っ込み、片側の表面を破壊しようとする。

 

 すると、ベリアルの腕が関節の少し前辺りで切断された。その突然の出来事に、自身の腕が切断されたと実感が湧くはずもないまま、ベリアルはすぐに距離を置いた。

『……え、俺の腕……⁉︎』

「……こんくらいブエルコア使えばすぐ治るだろ。つーか今そんなこと言ってる場合じゃなさそうだぜ」

 バアルの関節を切断して、その隙間からとある影がひとつ。白い剣のようなものを構えた、1人の少年だ。

「ずっとバアルの中に居たわけじゃあ無さそうだな。ガープかバティムとかのワープ系に連れて来てもらったか」

 少年は剣の先を下げ、冷酷な眼差しを向け語った。

「やはり、完全体ではないのですね。この程度の損傷も瞬時に復元出来ないとは」

「分かってて斬ったのかよ。野蛮で怖え奴だぜ。なぁ、フルーレティ」

「果たして、どちらの方が野蛮なのでしょうね」

 フルーレティと呼ばれた少年は、静かに剣の先をベリアルに向ける。フルーレティの登場辺りから、冷たい空気が漂っていた。

「バアル、ルキフグから伝言です。」

「ルキフグ様から……?」

「今すぐ撤退しろ。そして己を悔い、恥じるがいい」

 振り向く冷酷な眼は、足の再生を中途半端な長さまで進めたバアルに突き刺さる。それに連鎖するように、バアルは表情を引き攣らせてその場から消え、代わりに小さな蝙蝠が現れた。

「……さて、本日貴方に会いに来たのはとある要件があっての事です」

「6柱の中将自らオレ様に用事かぁ。なら腕斬らなくてもよくねーか」

 完全に切断された腕の切断面を合わせて、じわじわと血が滲む。その最中に視界では、引き裂かれた腕がゆっくりと再生を始めて肉同士が接続していった。

「今現在、3代支配者のうちでは『如何にして6柱を強化すべきか』という問題に直面しました。そしてルシファー様はアガリアレプトにその答えを出すよう命じた……と、ここまで言えばお分かりでしょうか」

「オレ様が弱体化してるのをいいことに、ベリアルを殺したって言えば他勢力とかがビビるって事だろ」

 端的に、数秒で語られるこの戦いの真実。6柱どころか、三代支配者までもが関わる壮絶な話だった。

「その通りです。そして、情報を真っ先に得られるのは『全てを知ることができる能力』を持つアガリアレプト。手柄を上げたい彼はブエルを送り込んだ……」

「でもよ、それはおかしくねえか。なんでオレ様殺す為にブエルなんだよ。アガリアレプトの支配にゃ、ボティスがいるじゃねえか」

 ボティスは、蛇の姿を模した人型の剣士だ。確かに、癒しの能力に特化したブエルよりも、戦闘に特化したそちらを使うべきなのではないだろうか。

「だからこそ矛盾点があるのです。何故ブエルを使ったのかは勿論のこと、貴方がブエルを殺せるほどの力を再生しているという情報が三代支配者に回っていない」

「ったくてめえ、喋るの遅せえな。つまりなんだ、アガリアレプトが暗躍してるって事か?」

 先程の発言通り、アガリアレプトの能力はあらゆる機密の解明。この強大な能力が居なくなるというのは、6柱にも三代支配者にも大きな打撃を与えるだろう。

「一応、警戒をしているのですよ。私もルキフグやネビロス達とは『6柱』として動いています。ですが、アガリアレプトだけは何故か今回の作戦に加担しようとしない」

「で、結論はなんだよ。遅えし長えんだお前」

「簡単な事ですよ……」

 フルーレティは剣技の構えをして、深呼吸をする。

「貴方がアガリアレプトとその配下に殺されなければ良いのです」

 白い剣はどうやら氷でできているらしく、仰け反って避けた上に涼しさが残った。小さな少年の姿をしている故に、標的が定まらずに向こうは小回りが効く。攻撃を当てるのは難しいようだ。

「何を今更、オレ様がてめえらに殺されっかよ‼︎」

「余計なことは考えなくて良いのです。貴方が6柱の糧となればそれで全てが終わるのですから」

 剣を掴み、握力でへし折る。しかし、どうやらフルーレティの身体から錬成されるものらしく、すぐに形を取り戻してしまった。

「いいじゃねえか。バアルのコア食えなくて不満いっぱいのオレ様にかき氷を作ってくれよ」

「本当に呑気だ。本調子でないのに6柱が相手でも余裕を見せるとは」

 ベリアルは攻撃を避けてジョークを飛ばすばかりで、全く攻撃をしない。これは、完全に力を取り戻していないベリアルが今攻撃をしたとしても、フルーレティを殺す為の一撃にならないからなのだろう。

「いつまでも逃げていたとて体力を消耗するだけだ。早く諦めた方が賢明ですよ」

「あーうるせぇうるせぇ、いいからさっさとかき氷作れや」

 


 それから、数十分が経過した。

「あー疲れた‼︎もうめんどくせえよフルーレティ」

 依然攻撃を避けることに徹し続けたベリアルの身体は限界に近いらしく、数回攻撃を食らって所々が再生途中だった。

「なぁ、オレ様が避けるの上手いのかフルーレティが当てるの下手なのかどっちだと思うよトウヤ」

『どうでもいいし集中しろよ!』

 相変わらずくだらない会話を振ってくるベリアルにキレるが、勿論こいつが言うことを聞いてくれるわけもない。内面での会話は延々と続き、未だ攻撃を避け続けていた。

 ふと、フルーレティの背後にいた蝙蝠が言葉を発した。これが試合終了のゴングとなる。

「フルーレティ様、そろそろ帰らねば今晩の仕事が間に合いませぬぞ」

「ガープ、それは本当ですか」

「誠にございます」

 続いていた攻撃は止み、フルーレティは握っていた氷の剣の柄を握りつぶして粉々にした。

「本日はここまでです。次回は恐らくネビロスかサルガタナスが相手でしょうが……彼らにこの戦法が通じると思わない方が良いですよ」

「余計なお世話だぜ。ったく、オレ様をめんどくせえ事に巻き込みやがって」

 蝙蝠が翼を広げると、それは軽自動車くらいの大きさになった。その翼に包まれたフルーレティは冷たい眼をこちらに向けて「では」と語る。

 瞬間に蝙蝠は姿を眩ませて、穴の空いたコンクリートの瓦礫だけが3課の前に転がるばかりだった。

 月の角度から、時はおよそ3時ほどだろうか。約1時間にも及ぶ交戦の末、引き分けという結果を残して我々は地に倒れ込んだ。

「あー、マジでめんどくせえ事になったな」

『やっぱお前といるとろくな事ないな』

 視界の隅で雲に隠れる月明かりは下弦。それを瞬きの隙間に、少しだけ見つめた。

『っていうか浦矢は?』

「あのザマだぜ」

 ふとベリアルが浦矢を投げ捨てた方向を向くと、横たわる浦矢の姿が確認できた。

『……この状況でよく寝れるなアイツ』

「いや、気絶してんぞ。多分ガープの能力だろうな」

『なんで浦矢を?』

「フルーレティは用心深いからな。とりあえずその場にいたから念には念をって事だろ」

 彼女は意識を失っているが、フルーレティが人間に危害を与えるような性格ではない故に、時期に眼を覚ますとベリアルは語った。

「んじゃ、戻るか」

『……一応聞くけど、どうやって?』

「んなもん決まってんだろ」

 ベリアルは、自身の手を口の奥深くに突っ込んで掻き回した。

『やっぱそうだよな……』

 己の胃液に濡れたベリアルのコアを喉の奥から取り出して、手に握ってみせる。段々と五感が戻り、手のひらにはベチョベチョの小さなベリアルが乗っかっていた。

「……汚ねえな」

「お前の胃液だけどな」

 

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