第21話

「どうしたんだ? 病気か?」


 竜馬は美夜の傍らにそろりと座ると、一巳に聞いた。身体の弱い美夜のこと、何か重い病気にでも罹ったのかと思ったのだ。


「病院には? 医者には診せたんだろう?」

「診せても、おそらく治せる医者はいない」


 竜馬は隣に座った一巳の顔を思わず覗き込んだ。


 一カ月ほど前のある朝、美夜は起きてこなかったという。姉が寝坊するなど今まで一度もなかったので、心配になった一巳は彼女の部屋を覗いた。


「すでにこの状態だったんだ。いくら名前を呼んでも身体を揺すっても目が覚めなかった」


 竜馬と一巳には、応急処置の心得があった。稽古には怪我がつきものだったので、師匠にひと通り覚えておくよう教えられたのだ。


「すぐに確かめてみて驚いたよ。心臓は動いていない。息もしていない。なのに脈らしきものはあるんだ。体温もある」


 竜馬は驚きに見張った目を、ゆっくりと美夜に戻した。


「姉さんの身にいったい何が起こったのか、今もわからない。あれからずいぶん時間が経ったけれど、姉さんは倒れた時のままだ。何ひとつ変わっていない」


 病院に連れていけば、きっとあちこちたらい回しにされる。珍しい症例として実験体にされるかもしれない。二度と自分のところに戻ってこられなくなることを恐れて、一巳はこの家に美夜を隠した。


「どうして俺にも黙ってたんだ?」

 家族だろ? ━━そう続けようとした一言を呑み込んだ竜馬に、一巳は言った。「お前は俺以上にショックを受けるに決まってるからな」と。


 一巳はポケットを探ると、取り出した何かを手のひらにのせ差し出した。


「青いのが俺の、緑がお前のだ」

「……お守り?」


 無病息災と金糸で文字が縫い取られている。


「百日通った者にだけ御札やお守り授ける神社があるの、お前も知っているだろう?」

「ああ……。隠れパワースポットって言われてる? ここからだとバスでと歩きで二時間ぐらいかかる、けっこーな山の上にあるんだよな? ━━え? じゃあこれ?」

「きっと、姉さんが二人分通ってもらったんだ。倒れたあの日、俺たちに渡すつもりだったんだと思う。メモ書きと一緒にキッチンに置いてあったのを見つけた」


(美夜さんが、俺のために?)


 にわかに熱いものが込み上げてきた。


(俺のために……?)


 竜馬の胸で、言葉にならない思いが苦しいぐらいに膨らんだ。


「姉さん、いつまで寝てるつもりだよ」


 一巳が姉の枕元で話しかける。竜馬が初めて聞く一巳の、弱く心細げな声だった。


「母さんが死んだ時、約束してくれたの忘れたのか。俺たちはいつも二人一緒だって言ったの、姉さんじゃないか」


 さっき竜馬に届いた微かな呻き声は、一巳の心の声だったのかもしれない。助けたいのに自分にはどうすることもできない彼の悲しみが、竜馬の心に届いたのかもしれなかった。


「一巳、俺は……」


 竜馬もこんなにも真剣な声で一巳を呼んだことはなかった。気づいた一巳が竜馬に向き直った。


「お前、俺を説得にきたんだろう?」

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