第3話

 一巳の祖父、すなわち二人の師匠は、道場の看板を掲げてはいたが、なぜか門弟を募っている様子はなかった。竜馬が引き取られた当時から、教え子は竜馬と一巳、ただ二人きりだ。


 無明流という名の、辞書やネットで調べても見つからない謎の流派は、竜馬たちがどんなに幼かろうが稽古に防具をつけることを許さない荒っぽいものだった。

 基本は木刀を使った剣術。だが、鍛えた肉体そのものを武器にする体術もまた自在に駆使する戦法は、極めて実戦向きだ。もし、木刀を本物の刀剣に持ち替えたなら、銃器相手は別として誰とでも命を的に戦えるだろう。

 痣や生傷を幾つ負おうが、誰に負わせようか、おかまいなしなのだ。当然、他流試合などできるわけもなく、竜馬も一巳も稽古相手は互いしかいなかった。


 二人はこの道場で初めて顔を会わせたその瞬間から、競い合ってきた。負けた時には「悔しくないのか?」と師匠に挑発され、勝った時には「すぐに抜き返されるぞ」と煽られ、否応なく競争に追い込まれた。今日勝ったと思えば明日は負け、その翌日には意地でもまた勝ちを取りにいく。そうすることでますます太く強固なものに育った互いへの対抗心が、今の二人に鍛え上げた。

 いつしか竜馬と一巳の力量は、真正面からがっぷり四つに組み、押しても引いてもビクとも動かない岩のように互角になった。まる一日戦っても勝負がつかないことも珍しくなくなった。


(強くなりたい!)

 

 竜馬は一巳にがむしゃらに打ちかかった。考えるのをやめ、身体が動くにまかせる。両腕に溜まった熱くたぎるものを一気に発散したい衝動が、竜馬を駆り立てている。


 ゴ、ゴ、ゴッ! 


 連打する勢いで激しくぶつかり合う木刀の音は、今日もまた一度はじまれば、二人同時に音を上げるまで終わらないだろう。


 竜馬は強くなりたいのだ。両親を失いひとりぼっちになった悲しみと淋しさを紛らわせたくて、熱中した稽古だったのに。それがいつの頃からか強さを追い求める楽しさに、心をいっぱいに支配されるようになっていた。

 だが、一巳は違う。やはり親を失くした自分たち姉弟を引き取ってくれた祖父への思いを、何より大事にしている。祖父が望むなら応えたいと、全身全霊で稽古に打ち込んでいる。そうすることで感謝の気持ちを伝えてきた。学校でも優等生の彼らしく、武道家として上を目指したい向上心はあっても、竜馬のような戦うことへの熱はない。


「逃げるな!」


 素早い足さばきを見せるや、一瞬で距離を取った一巳を、竜馬は責める。

 返ってくる台詞は、いつも同じだ。「誰が逃げるか。かわされるような攻撃をしてくるな」と。


 強さを求めるあまりか。どうしても攻めに集中してしまう竜馬の目に、一巳は守りを優先していると映っていた。おそらく自分とは違うその姿勢こそが、一巳のしなやかに動く両足の敏捷さに磨きをかけてきた。


 一巳に勝る竜馬のパワーと、竜馬を上回る一巳のスピードと。

 二人が保つ危うい均衡は、今日も崩れそうで崩れない。


「はっ!」


 破裂する呼吸音とともに、一巳の蹴りが飛んできた。

 彼の武器とも呼べる足から繰り出される技は、竜馬には難敵だった。いつにも増して強烈なそれを、竜馬は完全に避けきれなかった。中途半端に脇腹に食らってよろめく。すぐにも態勢を立て直し反撃に出ようとして、はたと動きを止めた。

 木刀を持っていない方の手を見る。


(なんだ?)


 ゆっくりと指を開いた。マメが潰れるたび丈夫になる、固い手のひらを見つめる。


「おかしい……。なんか変だ」


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