第4話 カフェエの作戦会議

「数式ってかわいくないじゃないですかー?」

「正気で言っているのかい。数式ほど普遍的に魅力のある表現法もない」

「分かり辛いなー。かわいいか、かわいくないか」

「かわいい」

「正気?」


 冥途めいどカフェエで一服。この歴史学者と数学者は所属大学こそ同じものの、専攻が専攻のため、今までひとつも関わり合いが無かった。

 とはいえ、無差別で選出されたパートナーにしては偶然である。相方になってからは学内で会話をする回数も比較的に増えた。元々がゼロゆえに、増えたといっても挨拶と小競り合い程度だが。この間も食堂のラスいち焼きそばパンを奪い合った(じゃんけんで)。


 本日、カフェエに来たのは作戦会議のためである。ここは数学者の方の行きつけらしい。豆の香りが良いとのこと。

 いわゆるコンセプトカフェで、冥途をイメージしているらしい。明るいながらに店員は三角の白頭巾――天冠てんかんとやら――を頭に着けている。笘原は、この店肝心のコンセプトにはノータッチのようだが。


「笘原さん、数学者もカッフェーに来るんですね。意外」

「カフェにも来るし、散歩もするよ」

「えーっ、そうなの!?」


 仲見は数学者に偏見を持っていたらしく、人間らしさを聞いて意外そうに一驚した。特に笘原は話し方といいお堅そうな外見といい、その偏見がぴったり通用しそうな人物に見えたようだ。

 ちょっと軽そうな口の利き方をしているが、仲見は仲見で優秀な学者として、ある論文を発表した際には斯界を揺らがせたりもしたものだ。一目置かれる業績があるゆえ、心おきなく奔放であれるというもの。気取らぬ性格ゆえ、方々の学会に出入りしては友人やら後ろ盾やらを得ている。ついでにファンも少々…どころでなく、学会誌には異例なことに、彼の論文が掲載されると決まった号は一般の読者が予約を入れる騒ぎである。歴史学人口の増加に貢献しているとかどうとか囁かれているが、いかに。


 仲見はカフェオレ、笘原は当店おすすめブラックコーヒーを口にしていた。


「甘ぇー!沁みるわ~。座りっぱなしで凝り固まった目がほぐされる」

「数学は頭だけでも出来るが、そっちは本を読み込む作業が多いのか」

「そう!史料ありきの学問よ。てかデジタル化されてんじゃん。交通費浮くけど、画面だから余計に目が疲れるッてのー」


 贅沢な愚痴をも一気に飲み込むように、仲見はカフェオレをぐいと傾けた。史料とやらがネット上で見られる世になっているらしい。便利なものである。笘原は彼によって動くカップの取っ手を見つつ、最近考え始めたトポロジーの話を頭に思い浮かべて、…今回の目的を思い出し、早々に切り上げた。


「仲見さん、一掃計画の方は」

「あー、そうだったー。一体ずつやるのは時間かかるから、一か所に集めてバーッとやっちゃう話ですね。全く、最初からそうしろってのー」


 政府の指示で殲滅方法に見直しが加えられたらしい。当初は突然のこととて、御上おかみもあたふたとしていたが、どうやら改善を検討する余裕が出て来たようだ。


 相手は科学技術が生み出した幻影である。いわばエラーメッセージのようなものだ。人間のような知性を持つでなし。

 そこで、何らかの電磁波で一か所に誘導し、集まったところで袋叩きにするということだ。…袋叩きといっても、電子銃で一発だが。時間も手間も省ける目算だ。


 店内には遠目で仲見を見遣る女性がちらほら。このカフェに居ても、話しかけられること屡々。学会誌に論文が掲載された直後などは特に感想を言いたがる信奉者が多数集まって来る。

 だからといってそのせいで作戦計画が出来ぬのも不便だ。よって今は仲見手書きの「会議中 話しかけちゃダメ!」との表示をテーブル上に置いている。

 笘原が適当に折り紙で作った正四面体の一面に、仲見がペンで書いたもので、手作り感たっぷりである。手のひらサイズの警告だ。

 もはやファンと呼んで差し支えない店内の女性たちは、それを見るなり、大人しく諦めてそそくさと自らのテーブルへ戻っていく。


「で、何処に集めます?日比谷公園は如何!」

「皇居の側はまずい」

「それもそうか。どーしよっかなー。観光序でに植物園とか」

「貴重な草花を薙ぎ倒す気か」


 度重なるツッコミを受けて「あちゃー」と自らの頭を軽く掌で叩いた仲見は、危機感もうかがえぬような調子で愉快そうにコントを続けようとしたが、笘原が早々に打開策を打ち出したことで一旦御仕舞となった。


「いつもの森がいいんじゃないか」

「流石最適解を出すのがお早いですねえ」


 ともかく、その辺りに敵をおびき寄せ、一網打尽にすることとなった。

 うまくいくかは不明だが、うえの命令上、適当に従っておくのが賢明だ。

 敵同士が電磁波で影響しあって変に強靭化するとか、合体してしまうとか、そういった「かもしれない」可能性は挙げればキリがない。歴史上誰も相手にしたことが無い、先行研究がひとつもない敵を相手にしているのだ。


 カフェオレを一口傾けた仲見は、「よしこれで決まり」と微笑んで作戦会議の閉幕を宣言した。


「じゃあ、これは撤廃した方が良いか」


 机上の手作り警告を指して、笘原は訊いた。

 仲見は手で制して一言、いいえと返事する。


「ううん、たまにはゆっくりしたいから、このままでいいです」

「そうか。……ファンを持つというのも、大変なんだな」


 先程から、ちらちらとした視線が自分にも向いていることにはひとつも気付かず、他人事の体で笘原は同情し、コーヒーのお代わりを給仕に頼んで一息ついた。

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