第3話 史学科と数学科の教授連
もう一つのペアに目を転じる。
こちらは本郷区の帝大に勤める若い教授方二人である。一人は日本史、一人は代数学を専攻しており、今まで接点は無かったらしいが、体力の無いことに変わりはない。
二人とも同期に近く、敬語が気まぐれに顔を出しながら、気を張らぬ会話で応じている。
本日入った情報によると、今回の化け物は人語を操るとか。
化け物の話す言葉とは何だろう、と仮説を立てながらぽつぽつと会話を繋いでいくうちに、お目当ての森に入った。
スマホを取り出した
そのスマホに付いたストラップを見て、
「え、ちょっと待って笘原さん?なにその奇妙なストラップ」
「これか。カフェインだ。
ストラップにはカフェインの構造式がくっ付いており、中央に謎のゆるい顔が描かれていた。顔文字にするなら「(・.・)」である。
「かふぇいん……?虫かと思った。これ足?」
「足というより、手かな」
「へ??」
返答を聞いて余計に分からなくなった仲見は、綺麗な顔を崩して頭上にハテナを大量生産した。
つい足を止めていた二人は、合図するともなく、また辺りを警戒しながら歩き出した。
歩みを進めるにつれ、一帯は段々と薄暗くなっていく。
ぼんやりと、前方に赤い光が認められた。意識しないと気付かぬような遠い光。
「あれですね、笘原さん」
「ああ」
短く同意した笘原は、腰の電子銃に手を添えた。
一歩一歩、ほぼ同じ速度で二人は歩んだ。
…これ以上近付くのは危険だ。化け物の全身が小さくも見えるようになってから、二人はじっと向こうを観察した。赤い光は両目の輝きだったらしい。全身からはぼんやりと緑色の光が放出している。四肢を持ちながらも長い毛に覆われて禍々しい雰囲気を醸し出している。化け物はこちらに気付いていない。ただ佇んで地面に目線を遣っている。
「やあい、化け物やあい」
仲見が叫ぶと、向こうは漸く気付いたようだ。笘原は、余計なことを、というように隣に目を遣ったが、後の祭りである。
「ググ……人間カ…………」
化け物は此方に視線を合わせると、低く唸って腕を回した。人間が憎くて堪らないといった調子だ。
「汝……至極ムカつくヨォ…此の際遇ッタが……
くぐもった低音ながら、はっきりとした言葉だった。
50m近く離れているものの、地響きのような声と高音のエフェクトが此方に届いていた。
初めての人語化け物との邂逅に、仲見は多少あっけに取られながらも、いつもの調子の良さは崩さなかった。
「……どういうキャラ?」
笘原は冷静な表情のまま答える。
「異様な進展を見せた文語と明治語の交錯により生まれた、混沌の権化ですね」
「あー、言語においても
「そこはワロエナイじゃないのか」
「笘原さんがネット語使うとめっちゃ笑えるわ」
相手の枠に沿って言葉を返したところ、ツボに入ったらしい。
仲見は意外そうに一瞬だけ目を丸くしてから愉快らしくにやけた。笘原の方は、何を言われているかよく分からないながらも褒め言葉として受け取った。傍から見れば無表情である。ボーッとしているようで澄まされた瞳が前を見据えている。その双眸は、前方の敵が発する緑色の光を反射し、水晶玉のように煌いていた。
二人がコントを繰り広げる間、暇を持て余した敵方が間合いを詰める素振りを見せた。
どちらが先ともなく、二人は銃を取り出し、ゆっくりと構えた。引き金に指を掛ける。示し合わせるともなく同時に弾が発射された。
空を切る弾の音。またすぐに撃てるよう、カチャリともう一つの弾をセットする二つの音。化け物の腹に弾が突き刺さる、二つの鈍い音。
真正面を向いたまま、もろに攻撃を二発食らった化け物は、傷口から青い煙を出し、バチバチと火花を散らした。
小さくくぐもった声が向こうから聞こえる。
「人間ハ技術革新に驕ッテ……今ニ…痛イ目をミルダロゥ……笑止……」
ピリリリ、と機械的なリカバリー音が轟き、傷口は、弾を受けた時よりも少し浅くなった。完全回復とは言わないが、このタイプは修復能力も多少持ち合わせているらしい。
「うわ、なにあれ。やっぱ自我あるの?」
「喋る分、他の個体よりは賢いと言えるかもしれん。断定はしないが」
言いながら笘原は二発目をセットし、それを見た仲見も合わせるように手早く弾を込める。
相手の修復は早くないようだ。上回る速度でやってしまおうと、仲見は続けてあと二発を撃ち込んだ。
「やれやれー!」
「ゴリ押しだな君は」
一発で仕留めるいつもの光景とは違って、数発の光が駆け抜けた森は、幾分明るく照らされた。青白い光線が電灯のように一面を強く照らす。
弾は全て命中した。修復速度がこの衝撃に間に合わず、ずぶずぶと音を立てて崩れていく。高い機械音と共に敵の姿は見えなくなった。
一転して暗がりが辺りを包む。二人はその残骸に近づく。笘原は焼け焦げたチップを目に入れるなり、片手で拾い上げ、凝視した。仲見もそれを観察するように覗き込む。
「これがヤツの心臓ですかー?」
「さて。ただこれにどんな技術が応用されているのか、興味がある」
「分解しちゃえば?バレないでしょう」
「うーん、物理はさっぱりだからな」
化学も物理もあるのか、と仲見は意外の感を以て見たが、自分だって日本史の範疇ですら数十年離れれば門外漢だし、それもそうかと納得した。笘原曰く、数学と物理は従兄弟くらいの性格の違いはあるらしい。分かるような、分からないような微妙なニュアンスで仲見は受け取った。
「どうせなら専門の方に分解してもらいたいものだ」
「へー、じゃあ頼んでみたらどう?」
「……いや、それは研究所の方でもうやっているらしいからね」
「あー、それもそっかあ。政府のやることだから遅々としてるけど」
この持ち帰った残骸は、討伐の証拠として認められた後、お抱えの研究所に持ち込まれて分解・分析されるらしい。
研究所というのは、この化け物騒ぎが起こった後に、化け物専門の研究対策機関として時の内閣が創立したもの。一等の研究者が抱えられて日々分析を行っているというが、特に情報が公開されたこともなく、何をしているのか一般市民には伝わっていない。そのうち形骸化だとか、のんびり勤務だとか、125日休暇とか、色々噂されるようになった。それでも研究所は「目下分析中」との文言しか提出したことがない。のんきなものか、将又ほんとうに働き者なだけか。
仲見は肩を回しながら回れ右をした。
「あー、肩ばっきばき!疲れたー。また家で史料整理なんだからほどほどにしてほしいよね。今回はちょっぴり予想外でしたし」
「たまには予想外の事が起きた方が面白いじゃないか」
「ええー。自分のペース崩されるとちょっと癪じゃないですかー」
笘原もすっかり気持ちを切り替えて帰る気分になった。くるりと元来た道を見る。
討伐を命じられるのは大体夕方だ。もう六時を回っている。夕飯時だ。
専攻の被らぬ二人は自然に会話を重ねながら、戦闘後の安堵感を漂わせ、学問に携わる者特有の重さを纏いながら、歳の割に老成した足取りを帰路に向かわせた。
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