第2話 文人の平日
「藤村先生!いらっしゃるんでしょう」
どんどんと、遠慮なしに玄関の戸を叩く音が家中へ響く。木造なんだからそこまで強く叩くと傷みそうだ。文机の前に胡坐を掻いていた藤村は、
「あー分かってるよ!昨日は政府にこき使われたんだから、しょうがないだろー」
「しかし、先生!こちらはもう三日待っております」
慣れたように戸外から会話を続ける担当者の言葉に、藤村はこれまた慣れたように「うるせぇなあ」と呟きながら頭を文机の方向に戻した。
担当者が欲しているのは、今ちょうど書いているものだ。次の新聞に載せるべき小説である。期限は四日前。締め切りを余裕で跨いでいるというわけだ。
その場しのぎで言ってみた言い訳だが、「政府にこき使われた」というのは余り言い訳としては通用しない。ただ近所の森に赴いて、銃を一発。それも夕暮れ時に一時間弱だ。それまでは完全に自由時間だった。……が、この原稿について何も準備していなかった。本人曰く、気が向かなかったから、とのこと。
「んー俺にも優秀な彼女が居たら筆が進むのになー」
と、独り言にしては大きめの声で放った戯言。
しかし家の外まで聞こえる声量ではない。……その油断を裏切って、誰かのレスポンスを受けてしまった。
「それなら私が紹介しましょうか」
振り向く前に、担当者の声だと分かった。どうやら勝手に上がり込んでいたらしい。
不法侵入罪という言葉にも慣れぬ時代である。おうおう、と両手を挙げながら藤村は呑気に首を廻らし、担当者へ一瞥くれた。
「なんなら、頼んでみようじゃねえか。スピードも段違いになるかもなー」
あてにもせず冗談で返したつもりが、向こうの気を加速させたようだ。担当者は考え込みながら、知り合いのお嬢さんにいい別嬪さんが居る、などと早速脳内の具体例を検索し始めていた。原稿が手に入るならなりふり構わぬらしい。
藤村も悪い気はせず、敢えて止めずに成り行きを見守ろうと踏んだ。此方の苦労無しに可愛い嬢ちゃんが舞い込んでくるなら願ったり叶ったりである。
担当者は藤村の手元を覗き込んだ。察した文人は「あと一枚」と進捗を報告する。
それから藤村は原稿に向き直り、執筆時の雰囲気にチェンジした。担当者は、終わりの見えた進捗を確認して上機嫌になり、「お茶入れてきますわ」と鼻歌交じりに台所へ消えて行った。このようなことは数回に留まらない。すっかり勝手知ったるなんとやらだ。
湯気立ち上る茶を淹れて担当者が帰ってきた頃には、藤村はきっちりと原稿を机上に揃えて、足を投げ出して畳に寝っ転がっていた。
茶を文机に置き、原稿を確認して受け取った担当者は、それを封筒に入れるなり、挨拶もそこそこに足早でオフィスへ駆けていった。
一人残された藤村は、目が映すままに、ぼうっと天井に焦点を合わせていた。
次々と思い出やら最近の記憶やらが引っ張り出される。この間、……否、具体的にはつい昨日に対峙した化け物の顔など。
どうも未だ現実離れしており、遠い日の出来事らしく思える。自分が銃を持ち、ペンでなく力で相手を捩じ伏せるなど。野蛮のようだが、刺激をよしとする藤村には割とぴったりのお役だった。臣民から無差別で選ばれる、との選出方法は幸いだった。藤村は典型的な面倒くさがりで、応募やらなんやらには気が向くはずもない。
「これが化け物じゃなくて絶世の美女とかだったらいいのになー」
呟いて、空間に消えて行った独り言を反芻する。
そっか、次はそうしてみようかな。敵方に女性を配置するのも、やってみるか。
藤村は身を起こして、また珍しく文机に向かった。最初の書き出しに手を付ければ早い。そこからはすらすらと筆の進むまま任せるだけだ。生きていれば文章が噴出する性癖のゆえ、スランプとやらを知らずに此処迄来ている。
それも、自分が捨て身だからか。
変に名誉を重んじれば、表現の幅は狭まる。……藤村はこう考えるともなく考えている。立派な文章は難産を伴う。
「
見合いも
藤村にも女性のファンは居た。しかし父方にうけが良くない。文人など部屋に篭って身体をなまらせて居る女々しい奴だと思われているのである。そして実際、藤村はそのイメージにぴったり合致していた。
ただ政府御用の化け物退治に駆り出されて以降、そんな軟弱な印象も少しずつ変わっていっているらしい。大したものだとの評判も、微々たる量だが寄せられるようになった。
何より、国の役に立っているという建前が大きい。国家の為になっている、という肩書きは、全国に共通する「正義」の看板だ。肩身が広くなるという点で、図らずも有難いものだった。
遊びとも仕事ともつかぬ職業をだらだらと続けていたせいで、急に「公」に認められるような仕事に手を染めるなんて考えも及ばなかった。だが、まあ、踏み出してみれば、そこそこに快いものだった。
ああ、普通の「仕事」に就いているものはこういう気持ちなのだな。居るだけで存在価値を認められるような地位だ。
……と、職業そのものではなく、その都度生み出す作品でしか、更にその場しのぎでしか存在価値を創造できなかった自分を顧みて、なんと世間は立派な職業に就いているのだろう、と気が抜ける思いになった。
茶を一啜り。疲弊した頭に、苦みが快く沁みた。
「俺のやってることは、ネットのクソザコ文章と、どれほどの需要の違いがあるんだろうか」
バシュン、と化け物の腹に電子の弾が突き刺す光景を頭に思い浮かべて、あれが美女だったらどんなに愛おしいものかと煩悩を逞しくさせて、ごろりと昼寝を決め込んだ。
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