最後の更新
ふさふさしっぽ
最後の更新
いつものとおり、朝6時に目が覚めた。
ベッドから起き上がると、見計らったかのように、洗面道具を持った家事ロボットが入室してくる。
「おはようございます、桜子さん。今日は暖かいですよ」
「そういえば、もう桜の咲く時期ね。ずっと家の中にいると分からなくなっちゃう」
室内は常に一定の、丁度いい温度に保たれている。
「桜子さん、何か御用はありますか」
ベッドの上で自動健康チェックを受け終わった桜子に、家事ロボットは聞いた。このロボットはだいぶ型が古いのだが、桜子のお気に入りでもう10年以上メンテナンスしながら使っている。「ココ」という名前も桜子が付けた。
「ココちゃん、ネットにつないで『カクヨム』を出してくれる?」
「承知しました」
桜子の手元に、B4 サイズぐらいの画面が浮かび上がる。その画面に映し出されているのは、100年以上前から続くWeb投稿小説サイト「カクヨム」だ。
桜子は88年前……15歳のときから、このサイトにエッセイ……というより、日記のようなものを、「桜餅」のペンネームで投稿していた。
さすがに毎日欠かさず投稿というわけではなかったが、大きく間が空くこともなく、日記を投稿し続けて、気がつけば桜子は103歳になっていた。
「私がJKだったころは、スマホで投稿していたのよ」
「スマホ、ですか。100年前主に使われていたネット接続ツールですね」
ココが「知っていますよ」とばかりにやや得意げな口調で答える。
本当はちょっと違うのだけれど、桜子は「そうよ。よく知ってるね」とココに向かって微笑んだ。今は、スマホやパソコンがなくても、どの空間にでもネットを介した画面を出せるようになった。桜子は手元の画面に目を落とす。
『カクヨム、サイト終了のお知らせ』
いつかこういう日が来るんじゃないかと思っていた。何事にも始まりがあれば、終わりがある。
カクヨムのサイト自体は残り、閲覧はできるが、今後はいっさい新規の投稿はできなくなるという。
別のサイトに日記を移そうかと考えたこともあったが、色々考えた末、今日で終わらせることにした。
「今日でエッセイを最終回にすることにしました。88年間、どうもありがとうございました……」
音声入力で書き進めていく。
書き終えると、桜子は「公開」ボタンを押して、一息つく。もう世の中はVRの世界へ移行していて、このような投稿小説サイトは廃れていた。新規に投稿する者は、あまりいない。よって、読者も、ほとんどいなくなっていた。
「朝食を食べるよ。ココちゃん、コーヒーを入れて。その後は久々に、散歩に出かけるよ」
103歳になってもまだまだ元気な桜子は、ベッドからゆっくりと降りると、身支度を整え、隣のリビングに向かった。
「桜でも見に行こうかな」
「きっと、綺麗ですよ。私のサーチによると、ここから100メートルほど離れた川沿いの桜が見頃ですね」
それなら歩いて行けるな、と思いながら、クロワッサンと、昨日作っておいたコールスローを、ココが淹れてくれたコーヒーと共に食べる。
なんだかんだで今はココと2人暮らし。誰に気を遣うでもなく、気ままな生活だった。
「桜、すごかったですね」
ココが興奮気味に言った。
「そうね。見に行って良かった。ツイてるわ」
花見から帰ってくると、午後になっていた。午後は読書をして、静かに過ごした。100年前と違って、老眼に悩まされることがなくなった今、桜子には眼鏡もルーペも必要なかった。
ただ読むスピードは若い頃に比べると格段に落ちた。1冊の本を読み終えたころには、もう日が暮れていた。
……いや、それだけじゃない。あまり集中できていなかったからかもしれない、と桜子は思った。
「ココちゃん、ネットに繋いで『カクヨム』を出してくれる?」
「承知しました」
ソファに座る桜子の手元に、B4 サイズの画面が現れた。
「『』カクヨム」
ベルマークに通知のサインである赤丸がついている。
桜子はいそいそとベルマークをクリックした。朝更新したエッセイに、応援コメントがついていた。
『桜餅さん、88年間、いつも楽しみに読んでいました。今日で終わりとは、さみしいですけど、仕方ないですね。88歳、おめでとうございます。 いちごだいふく』
「桜子さん、嬉しそうですね」
桜子が応援コメントを読み終わるのを見計らったかのように、ココが言った。
「ええ。嬉しいよ。88年間の、わたしの読者だもの」
いちごだいふくさん……わたしが15歳のとき投稿したエッセイに、はじめて応援コメントをくれた人。まさか88年も欠かさず読んでくれるなんて思わなかった。
どんな人なんだろう。プロフィール欄からは、性別は分からない。年齢は、わたしと同じく、かなりいっていると思うけど。
桜子は、いちごだいふくさんに「会えませんか」と返信しようかどうか迷った。
プロフィール欄と、コメントのやり取りで、現在近くに住んでいるということは分かっていた。
そばで見守っているココに視線を移すと「ガンバ!」と腕を上げた。
さすが10年以上桜子と一緒にいるだけある。桜子の考えていることはお見通しだ。
桜子は2回、深呼吸した。こんなに緊張するのはいつぶりだろう。
「いちごだいふくさん、88年間、応援ありがとうございました。あの、もし迷惑じゃなかったら、あおいでき……じゃなかった、修正、お会いできませんか」
夕飯を食べ終わったあと、返信があった。
「桜餅さん、嬉しいです。ぜひ、お会いしましょう。私も高齢ですので(桜餅さんもですよね 笑)ロボット付きですが、お花見しましょう――」
最後の更新 ふさふさしっぽ @69903
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます