第38話 休日の朝

 リナの配信があったその翌日。休日の朝である。


「ねえゆー! ちょっと絵しりとりしない!? 紙と鉛筆用意したからさ!」

「え、なにいきなり。本当いきなりだし……」

 バタバタと階段を降りる音。

 廊下とリビングを繋ぐドアの開閉音。

 そして、テレビの音声が流れる団欒の場リビングには、さっそく兄妹の声が飛んでいた。


「まあまあ! ちょっとした暇つぶしにね!?」

「私ゆっくりしてたんだけど……」

「き、休日だからさ!? 一回とか二回終わったらもう部屋戻るからさ!?」

「それ絶対一回で終わらせてくれないやつじゃん。しりとりってただでさえ勝負つかないのに」

「面白かったら二回目しようってことで! ね!?」

「……はあ。わかったよ」

「よーし!」

 ただの遊びとは言えないような春斗の必死な姿を見て、こう答えざるを得なかった柚乃。

 ソファーから立ち上がり、ジト目のまま食卓テーブルの椅子に座れば、ご機嫌そうな兄が正面に腰を下ろす。


「言っておくけど、私が飽きるまでだよ」

「もちろん! じゃあ俺からでいい?」

「うんどうぞ」

「じゃあ早速——」

 気乗りしている春斗と、気乗りしない柚乃のテンションは雲泥の差。

 それでも不機嫌さを見せている妹ではない。

 頬杖をつきながら、紙に鉛筆を走らせる兄をジッと見つめて完成を待っていた。


「——始めはこれで!」

「ふーん。りんご上手いじゃん。これだけだったら美術の評定4.0は取れそう」

「でしょー。これは得意なんだよね」

 みんなが上手に描けるような『りんご』だが、そこに触れずに褒めるのは一つの優しさだろう。

 紙と鉛筆を回された柚乃は『ご』から続くものを次に描いていく。

 この時、頬杖をついた春斗からジッと見つめ返されていることを知らずに。


「って、今さらだけど珍しくない? あたし今日学校じゃないのに、お兄ちゃんが早起きするって」

「ま、まあそんな日もあるよ! うん」

「……ふーん。はい次どうぞ」

 ここで顔を上げながら紙と鉛筆を回す。


「うわ、ゴリラ上手うまッ!」

「可愛くしか描けないけどね」

「いやあ、この可愛く描けるのがいいんだよ! やっぱりゆーは上手に描くよなあ……」

「そんな最初から褒めてたらエネルギー持たないよ」

「大丈夫大丈夫!」

 ニッコリしながら頷く春斗は、『ら』から続くものを描き始める。


「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?」

「なにがあったの」

「……え?」

「いきなり『絵しりとりしない!?』とか言ってきた人になにもなかったわけがないじゃん。そうするに至ったキッカケがあるでしょ。こうして付き合ってるんだから、教えてもらう義理はあると思うけど」

「あ、あはは……」

『全部見通されてるなあ』というような苦笑いを浮かべる春斗は、鉛筆を動かすスピードを少し落としながら、簡単に説明をする。


「別に暗い話じゃないよ? ただもっと上手く描いてやるー! って燃える気持ちがあって」

「え?」

「……えっと、これを見てどう思う?」

「ぶさ可愛い3割の個性的なラクダ」

「う、うん。じゃあこれを配信で載せたとしたらどうなると思う?」

「ツッコまれたり、笑われそう」

「そ、そう! だから上手くなりたいなって」

 ABEXを最前線で盛り上げている有名人に出会えた高揚が収まらず、昨日リナの動画を一時間ほど覗きにいった春斗なのだ。


 その時に見たのが、新作フラペチーノの感想を述べてくれたこと。そして、カップのイラストについて視聴者が——。

『wwww』

『なんだそのイラストwww』

『めちゃくちゃ個性的で草』

 このようなツッコミをたくさん入れていたこと。


 配信業をしている身、盛り上がりを見られるのはなにより嬉しいこと。

 傷つくことはなにもないが、あの反応に触れると『おおっ!』と言われるようなものも描きたくなる。

 個人的なことだが、そっちの方がリナも配信に載せやすいんじゃないかという気持ちもあって。


「じゃあお兄ちゃんは絵を描く時間を増やしつつ、私が描いたものを勉強するために絵しりとりをしたくなったんだ?」

「あ、ゆーと一緒に遊びたかったって気持ちももちろんあるよ」

「……そんなことは言わなくていいって」

 春斗がご機嫌そうにしていた時点でそれはわかっていること。


「まあお兄ちゃんの気持ちはわかったけどさ、別に上手になろうとしなくていいんじゃないの? 絵しりとりをやめたいからこう言うわけじゃないけど」

「つまり?」

「こういうのって上手になればなるだけ個性が消えちゃうでしょ。ありきたりっていうか」

「それは……確かに」

「見るだけで不快になるようなものじゃないんだから、今のままレパートリーを増やす方が一番いいと思うけどね。私は」

「そう?」

「ん。お兄ちゃんゲーム以外は不器用だから、そっちの方が怒らずに済むし」

「え……」

 最後まで言い終わった瞬間。ダンゴムシのイラストを描き終え、眉を寄せながら春斗に渡す。


「まだ寝てないでしょ。夜中ずっとイラストの勉強してたんじゃないの」

「ッ、そ、そそそんなことないけど」

「目元にクマできてるのによく言うよ」

「えっ、嘘!? 顔洗った時はそんなのなかっ——」

「——うん。クマはないけど、その焦りようからしてもう誤魔化すのは無理だって」

「……」

「……」

 言葉に言葉を被せ、言い切れば、お互いが無言で見つめ合う時間が続く。


「家族に鎌をかけるのは良くないと思う」

「家族に嘘をつく方が良くないよ」

「…………」

 そして、完全に言い負かされる春斗である。


「まあ飽きるまでは絵しりとりに付き合ってあげるから、それ終わったらちゃんと寝て。夜は配信するんでしょ?」

「これ言いにくいんだけど、睡魔のピークが過ぎたらもう眠くないっていうか……」

「じゃあもう『ん』で終わらせるけど。絵しりとり」

「い、意地でも寝る!」

「はい約束ね」

 この時間をまだ続けたい春斗にとって、取るべきものはこっち。

 また完全に手のひらで転がしている柚乃だが、今取るべきベストは今すぐに絵しりとりを終わらせて、春斗を自室に押しやること。

 それをしないということは……そう言うことである。


「あと、寝る前にキッチン上にあるお菓子入れ持っていってよ」

「お菓子入れ?」

「昨日もらったフラペチーノのカップを洗ってお菓子入れにしてみたんだけど、まさかこんな使い道になるとは思ってなかったよ」

「は、ははは……」

 春斗がキッチンに顔を向ければ、視界にはしっかり映る。


『風邪に負けるな!』

『体調に気をつけてね!』

 今の春斗にブーメランとして刺さる、メッセージ入りのあのカップが。

 もう笑ってしまうしかない兄だった。

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