第36話 平和な日常と

「はい! これゆーにプレゼント! 新作のフラペチーノ」

「えっ、ありがと」

 昼から夜にかけてのバイトから帰宅した後のこと。

 春斗は大切に持ち帰ったピーチフラペチーノを柚乃に手渡ししていた。


「でも……お兄ちゃんの分は? これ一緒に飲む?」

「いや、俺はバイト先で飲み尽くしてきたから大丈夫だよ。だから全部飲んで」

「ふーん」

 その間延びした返事をしながら背伸びをする柚乃は、春斗の目をジッと見つめてくる。


「……よかった。嘘はついてないっぽいね」

「さ、さすがにこの手の嘘は——」

「——ついたことあるよね」

 否定しようとした瞬間である。食い気味に言葉に言葉を被せる柚乃である。


「シュークリーム一つしか食べてなかったのに、2つ食べたとか言って私に多く食べさせようとしたりさ」

「あの時はその、記憶が抜け落ちていたというか?」

「そうだったっけ」

「そう!」

「そんなので騙されるわけないでしょ。私もう高校生なんだから」

「あ、あはは……」

 ジト目でしっかり言い返す。

 さらには春斗の頬をグニッと摘んで制裁を下し終わると、フラペチーノを持ちながら、ご機嫌そうにすり足でソファーに腰を下ろす。

 行儀よく座れば、「いただきます」と言ってストローに口をつけるのだ。


「ゆー。それどう? 美味しい?」

「うんっ!」

 その様子を見て問いかければ、足をパタパタ動かしながら大きく頷く柚乃。

 こんな妹の姿を見られるだけで、なによりも嬉しく、微笑ましく思う春斗だったが——。


「——でもさ」

「え゛?」

 途端に声色が変わった。

 一体どこで身につけたのか、『気が緩んだ』と自身で感じた瞬間、キリッと態度を変えたりする柚乃なのだ。


「お兄ちゃんの手書きメッセージはいらない。『風邪に負けるな!』って私風邪引いてないし。『体調に気をつけてね!』ってちゃんと気をつけてるし」

「ま、まあまあ!」

「そもそも直接言えばいいと思うし」

「ま、まあまあまあまあ!」

 心を込めたメッセージにツッコミを入れられるのはなんとも恥ずかしいもの。

 頬を掻きながら天井を仰ぐ春斗だが、すぐに別の話題を見つける。

 いや、今日は柚乃にこれを報告したかったのだ。


「あっ、そうそう。話は変わるんだけど、実は大ニュースがあってさ!」

「大ニュース?」

「うん!」

 ストローから口を離し、首を傾げた柚乃にしっかりと報告する。


「今日働いていた時のことなんだけど……MouTubeのチャンネル登録者数が60万人を超えてる配信者さんが来店して!」

「えっ……。それすごい有名人さんじゃん」

「本当にそう! いやあもう本当ビックリしたよ。接客をする時もメッセージ書く時も手がブルブルでさ」

「それってお兄ちゃんがしてるゲームの配信者さん?」

「そうそう! だから変装してても気づいたってところはあるんだけど、やっぱりオーラがモワモワ出てたね、うん!」


 これだけ饒舌になってしまうのは、リナという女性がそれほどまでに有名なABEXプレイヤーだから。

『Axiz clown』というプロゲーミングチームに所属した際は、招致に成功したオーナーの手腕が賞賛されていたほど。


「いやあ羨ましかったなあ、あのオーラ。変装解いたらもっと出るんだろうなあ……」

「お兄ちゃんには絶対無理だよ。お砂糖とお塩間違えるし、連絡忘れて私に靴ベラで叩かれるようなことされてるし、落ち着きないし」

「そ、そこら辺はちゃんと成長したから大丈夫! その証拠にフラペチーノちゃんと綺麗に持って帰ってこれたでしょ? コケたりすることもなく!」

「…………ん」

 たった一人を除いて、誰がどう見ても明らかに弱すぎる説得材料。

 だが、『これがお兄ちゃんなのだ』と素直に頷く柚乃である。


「まあ有名人さんだからって変なことしないようにね、お兄ちゃん。例えば連絡先を聞いたりとか」

「はは、さすがにそんな勇気はないよ」

「ならいいけどさ」

 なんて、釘を刺すものの、そんなことをする兄ではないことは誰よりも知っている。


「っと、それじゃあ俺はお風呂入ってくるね」

「部屋着はお風呂場に置いてるから」

「……あ、ありがとう。でもそれしなくても大丈夫……だよ? 俺もう大人だし」

「わかってるよ。ただ暇だっただけ」

「そっか。でも助かるよ」

「んー」

「じゃあ行ってきまーす」

「溺れちゃダメだよ。浴槽で」

「お、溺れないって!」

「ふふ」

 相変わらずのやり取りをする兄妹である。

 そうしてお風呂場に向かっていく春斗の足音を耳に入れる柚乃。


「……」

 一人になったそのリビングで。

 目を細めながら、カップに書かれたメッセージを指でなぞる柚乃でもあった。

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