第26話 夕焼けのせい

 時刻は17時15分。


「それじゃ、ゆー。バイトに行ってくるね」

「はーい。お仕事頑張ってね、お兄ちゃん。お料理も作っておくから」

「ありがとう。家の鍵は……うん。ちゃんと持ってるからすぐ施錠してね。なにが起こっても大丈夫なように」

「うん」

「あと、22時30分までには帰ると思うけど、俺のことは待たなくていいからね。明日は学校あるから眠かったらすぐに寝ること」

「……うん」

 先ほどは素直に返事をした柚乃だが、ここで間の空いた返事になる。

 なにかを悟ったように琥珀色の目が細くなっていく。


「あ、そうそう。今回余ったお菓子は全部食べていいからね。あ、でもお菓子だけ食べるのはダメだよ」

「……」

 そして、とうとう返事が消える。

 柚乃は普段通り、、、、のやり取りをしたくなかったのだ。

 別れないといけないのに、なかなか別れられない。そんなバカップルのような兄妹の会話を聞かれてしまうことで。


 聞かれたくない相手は一人しかいない。

 いつかはこんなやり取りをしたいのか、羨ましそうな視線を送っている友達の涼羽である。


「えっと、他にゆーに言い残したいことは……」

「も、もういいって。恥ずかしいから」

「えっ!?」

「涼羽ちゃんが隣にいるんだから、もっと内容を考えてよ。高校二年生に言うようなことじゃないじゃん」

「一応言っておかないと心配になるんだよ。ね、涼羽ちゃん?」

「——っっ」

 不意を突かれたように顔を向けられ、声にならない声を出しながらコクコク頷く涼羽。


「うーわ。この前連絡を忘れた人がなにか言ってる。ねー、涼羽ちゃん」

「えっ、あっ……」

「それは本当にごめん。謝るから涼羽ちゃんを困らせないの」

「はーい。……って、一番困らせてるのはお兄ちゃんのくせに」

 返事をした後、ボソリと誰にも聞こえない声で柚乃は言い返す。

 本人からすればなんの心当たりもないだろうが、言っていることは正しいだろう。

 涼羽の心を奪っている春斗なのだから。


「……そろそろ時間だよ、お兄ちゃん。もう20分」

「あっ、もうそんな経つのか。じゃあそろそろ行かないと」

「涼羽ちゃんのことお願いね。わかってると思うけど」

「もちろん。じゃあいこっか、涼羽ちゃん」

「は、はい。それじゃあ柚乃ちゃん、また学校でね」

「うんっ。また明日ねー」

 そうして、別れの挨拶を交わした柚乃は玄関口で二人を見送る。

 そんな彼女は最後に目に入れていた。両手でサムズアップを返していた。

 春斗に気づかれないように後ろを振り返り、頬を朱色に染めながら『ありがとう』と両手を重ねた涼羽に向けて。



∮    ∮    ∮    ∮



 その後。

「今日はゆーと遊んでくれてありがとね、涼羽ちゃん」

 肩を並べながら歩く道で春斗は笑顔を浮かべながらお礼を伝えていた。


「い、いえっ、お礼を言われることでは……。わたしも楽しかったですから」

「あはは、そう言ってくれると兄としても嬉しいよ。あ、差し入れは足りたかな? また来てくれる時、こんなお菓子があれば嬉しいなっていうのはある?」

「今回いただいたもので十分でしたよ。むしろ多すぎるくらいで……」

「そっか! じゃあ次もそのくらいで用意するね」

「……? あ、ありがとうございます」

『今の話聞いてましたか?』となるような返しだが、しっかりと聞いている。聞いた上でこんな脳内変換を行っていたのだ。

『多すぎる』=『たくさん喜んでくれたんだ』と。

 お菓子が多くても迷惑はかけない。不便になることもない。そんな思考を展開させているせいで。

 そんな相変わらずの春斗は、会話の主導権を握ったまま……。


「くしゅん」

「ッ」

 寒さから出たような彼女のくしゃみを聞き、ハッとするように話題を変えるのだ。


「あっ、ごめん涼羽ちゃん。自分の上着で申し訳ないんだけど、これ使って」

「いえ……。春斗お兄さんのお体が冷えてしまいますから、とんでもないです。それに柚乃ちゃんが上着を貸すように言ってもらったのに断ってまして……」

「俺は寒いの平気だし、そんなのは大丈夫大丈夫! だからブカブカだと思うけど……はいどうぞ」

 一つ幸運なのは、女性でも着れるような黒地に白文字のロゴが入ったシンプルなパーカーを着ていたこと。


「あとはまあ俺を助けるためだと思って……ね? もしなにもしなかったらゆーに怒られるから」

「ふふっ……。ではありがとうございます、春斗お兄さん。使わせていただきます」

「どうぞどうぞ。返す時期はいつでも大丈夫だからね」

「わかりました。本当にありがとうございます……。とても嬉しいです」

 パーカーを受け取った涼羽は、はにかみながら一笑する。


『やっぱり春斗お兄さんの匂いがします』そんな言葉もつけ加える彼女の顔は、夕焼けに照らされているからか真っ赤に色づいていた。

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