第16話 帰宅後と予約枠
「ただいまー! ……ぁ」
綾と別れ、自宅に着いた春斗は、いつも通り明るい声を出しながら玄関扉を開けた。……が、一瞬にして体が縮こまる光景がそこには広がっていた。
春斗の足音が響いていたのか、帰宅する予感があったのか、両手を腰に当てて仁王立ちした
「お兄ちゃん」
「は、はい」
「今日のお仕事は21時までだよね」
「です……」
圧のある態度と声色が露わになっている。そんな妹を刺激しないように丁寧に言葉を返すのだ。
「今何時かなあ」
「えっと、22時30分前です……」
「お家から職場までの通勤時間は?」
「20分弱です……」
「そうだよね。でも報告してた時間より1時間も遅いよね。遅くなる時はちゃんと連絡するように! っていつも言ってるよね」
『ね』の三段活用。柚乃が怒った時に必ず発生する現象。
冷や汗を流す春斗は、苦笑いで誤魔化すしかない。
「私はお兄ちゃんに出来立てを食べてもらえるように、いつも時間を調整してるんだよ?」
「本当にすみませんでした。ちょっといろいろあって……」
「心配させないでよ、もう……。メールも入れたんだから」
中山家では、社会人の兄が高校生の妹にがっつり叱られていた。
第三者がこの現場を見れば、『社会人相手に過保護すぎる』なんて思うことだろう。
だが、若くして両親を失くしている兄妹なのだ。
家族はもう二人だけ。大切な人を亡くす辛さを知っているからこそ、これは当たり前のこと。
「お兄ちゃんの弁明がなければ、あと3分お説教します。お兄ちゃんは何度も言わないと抜けちゃう人だから」
「……え、えっと、実は常連さんとの話し込んじゃって」
「それは弁明じゃなくて言い訳だよね。靴べらは確かここに……」
「ち、ちょっと待って! その前にこれ! もらい物!!」
お尻を叩かれる危険を察した春斗は、手に持っていた紙袋を慌てて柚乃に渡す。
「うん? なにこれ」
「弁明の続きなんだけど、お客さんから褒められたっていうか、そんな流れでいただいた物でさ……? ついつい話し込んじゃってこんな時間になったんだよね。ほら、ゆーの好きな洋菓子がたくさん!」
「……」
紙袋を両手で受け取る柚乃は、中を覗き込みながらガサガサと漁り、言葉のままに確認を始めた。
そして、再び顔をあげた妹の目は輝いていた。
このようになっているのは、好きな洋菓子があっただけではない。
「お兄ちゃんがお仕事で褒められたの?」
そう、身内が褒められた嬉しさもあって。
「ま、まあ(仕事で褒められたわけじゃないけど)そんなところ」
「……なんでそれを早く言わないの。その理由なら、お説教はもう中止にします」
「本当!? よしっ!!」
柚乃に怒られることは一番堪える春斗なのだ。感情のままに喜びの声を上げるポンコツ。
「よし? お兄ちゃん反省してないね」
「あ、い、いや……。反省はマジでしてる」
妹に怒られるのが本当に嫌なだけ。だが、そんな理由が通じるわけもない
「やっぱりお説教」
「……はい。本当に本当にすみませんでした」
潔く、追加で3分怒られる春斗。
その手の甲には『連絡を忘れない』の文字が柚乃の手によって書かれるのだった……。
∮ ∮ ∮ ∮
「さてと……」
説教後、夕食を食べ終えた春斗はスイッチを入れるような声を出していた。
「お兄ちゃん、今日は配信するの?」
「うん。ちょっと今日は絶対に配信しないとなんだよね……」
今回もまた燃料を投下してしまった春斗。炎上してしまい、『鬼ちゃん』のキャラ崩壊が起きてしまっているのだ。
謝罪が遅れれば遅れるだけ謝りにくくなることと同じ原理で、炎上後はすぐに配信をしなければ、活動がしづらくなってしまうのだ。
「うーん。お風呂に入ってから配信するのはダメなの? 配信終わってすぐベッドに行けた方がいいよね?」
「心配ありがと。でも配信の予約枠ももう立ててるからさ」
もう夜も遅い時間。少しでも時間を遅らせてしまえば視聴者が少なくなる。
この理由が大きいことは柚乃には伝えない。いろいろと気を遣わせないためにも。
「ちなみに、明日のバイトは夕方からだから睡眠時間の心配もないよ。だから本当に大丈夫」
「そ、それならいいけど……」
「あ……。ちょっと煽る声が漏れるかもだけど、そこはごめんね」
煽ることが不快にさせてしまうことだとわかっている分、両手を合わせて謝る春斗だったが、この時に柚乃はこんな提案をしてくるのだ。
「もしよかったらだけど、お兄ちゃんのゲーム部屋を防音室にする……? その方がお兄ちゃん、私に気を遣わずにお仕事できるでしょ? あ、私に迷惑がかかってるわけじゃないからね!」
「いや、防音室って大体50万円くらいするから」
「えっ!? そんなに高いんだ……。いっぱい探せば20万円くらいのいい防音室見つからないかな……」
難しい顔をしながら絶妙な値段を口にする柚乃に、お兄ちゃんセンサーが反応する。
「ストップ。もしかしてゆーが防音室買おうとしてない?」
「うん……」
「それは絶対ダメ。俺のためにそんな大金を使ったら怒るからね。ゆーはまだ高校生なんだから、成人するまでは甘えてもらって兄の面子を立たせてくれないと」
優しい顔をこの時だけ、真剣なものに変える。
「もちろん、ゆーの受験期には購入できるように頑張るからさ。邪魔しないためにもね」
「……」
「って、兄の面子って言ったのはちょっとアレだったかなぁ……。『家事をほとんど任せてちゃってるからなに言ってんだ』みたいな……? あはは……」
「そんなこと思ってないよ。あと、お兄ちゃんに怒られるのは嫌だから頷いとく」
「懸命な判断です」
お互いを尊重し、助け合いながら生活している二人だからこそ、考え方も大人になる。
ギスギスな空気もすぐに柔らかくなる。
「よーし。それじゃ、俺は配信してくるね。ゆーは明日も学校なんだから早く寝るんだよ」
「うん! お兄ちゃんは朝早く起きなくていいからね。私を見送ろうとしなくていいから」
「いや、別にそんなつもりはないよ。ただなんか勝手に目が覚めるだけ」
「……あ、もしかして私の準備をする音がうるさかった……?」
「ちょ、それは違う違う! それは絶対に違——」
本心を隠すために誤魔化したが、それがいけなかった。
変な誤解を生ませてしまい、慌てて否定する春斗だったが、嵌められたことにすぐ気づく。
ニヤッと口元を上げ、瞳を細くする柚乃を見たのだ。
「う、うーわ、その言葉選びは意地悪すぎるって……」
「ふふっ、お兄ちゃんが素直じゃないからだよ」
「はあ。完全にやられた……」
「ごめん! それじゃあお兄ちゃん。私は先にお休みするね」
「はーい。おやすみ。明日も頑張ろうね」
「うん」
そうして、寝室に入る柚乃を見送り、春斗はゲーム部屋に向かうのだった。
配信の開始まで残り10分。
『やべえ、煽るのかな今日(笑)』
『楽しみすぎるぜええええ!』
『配信外のAyayaさんってどんな感じですか!?』
『Ayayaのこと教えてほしいぞ! 裏でやり取りしてるやろ!?』
予約枠の配信には、すでにたくさんのコメントが流れていた。
彼女とコラボしたことで、Ayayaのファンも視聴していた。
投げ銭も入っていた。
炎上後の配信だけあり、この夜遅い時間であるにも拘らず、視聴待機者は2000人を超えていたのだった。
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