はしゅこい
杜侍音
はしゅこい
儂は
今年で生を受けて88年。激動の人生を駆け抜けたものだった。
儂が小さい時、日本が戦争に負けたあの頃、尋常小学校から今の小学校制度や中学制度に変わってのぉ。まぁ色々と教育が曖昧で……青空教室、教科書黒塗りと義務教育時代は今の君たちが義務教育で習うような生活をしておった。
当時はお金もないから、食べるものがなくて雑草摘みや魚釣りをして自給自足をしてきたんじゃ。
んで、中学を卒業すれば集団就職で地元東北の田舎から東京へと出てきた。
工場で働いて50年。とうの昔に儂は定年退職をして今は少しの貯金と国から年金で生活しておる。
趣味は散歩。家の周りをぐーるぐる歩いて回る。決して認知症じゃないぞ、テレビではまだ大丈夫って診断されたからな。
それともう一つ。それが、散歩の終わりに寄るカフェでゆっくりすることだ。
カフェ言うても全国どこでも見かけるやつじゃけどな。しかし、ここのコーヒーは味わい深いし、食べ物もどれも美味しい。
「いらっしゃいませー」
今日もいつもの顔馴染みの店長やバイトの子たちが儂を出迎えてくれる。まぁ、会社にそう教育されとるから当たり前なんじゃけど。
「あら、八田さん。今日もこの時間に来られたんですね」
「ん」
店長がちょっと離れたところから話しかけてくれる。活発な年増な女性じゃ。仕事も早くて丁寧じゃ。
今日は食べ物を作る係じゃな──ん?
「あ、この子先週から入った子なんですよ。この時間にシフト入るのは初めてだったね」
「あ、初めまして。
電撃が走った! 電気風呂に入った時、いやそれ以上の刺激が儂の身体中を駆け巡ったんじゃ‼︎
その子は住野さん。下の名前は個人情報保護的な奴で教えてくれることはないが、きっと良い名前に違いない。
髪は大和撫子が誇る黒色。首元で一つ結びしておる。ここの規則だから髪長い人は皆同じ色と髪型になっとるが、それでも他の子とは別格に美しかった……!
バイトの服が似合っとる。半袖のシャツから伸びたその白い腕は、売れないからと畑の側に捨てられておった大根くらいに細い。
大河ドラマに出とる女優さんと匹敵、いや直接見たことにより美しさが直に儂の心臓に届きよる。し、心臓発作が起こりそうじゃ……これは今の言葉でいうかわいいというやつか!
「八田さん、いつものだと思うけど、この子レジまだ慣れてないから申し訳ないけど注文してもらっていい?」
「ん」
「だって。よし、任せた。じゃあ頑張って」
「はい……! それでは、えっと、ご注文お伺いいたします」
そうか。今は三月上旬。散歩でも春の訪れを感じるようになったこの時期には、卒業した高校生が大学生になるまでの間にバイトを始める頃合いだったな。
住野さんも同じく、18歳とまだ若い。
レジの扱い方もまだ手引きで読んだぐらいなのだろう。
なら、人生の先輩として彼女のお手伝いをしないといけない。
「しゅぇんとこーひぃ」
「はい、しゅぇんと……え?」
「しゅぇんとこーひぃ」
「えっと……」
「ブレンドコーヒーよ」
店長が儂の言いたいことを言ってくれる。
任せるのではなかったのか。と言いたいが、儂の歯はほぼ無いから滑舌が絶望的なのじゃ。さらに最近ではお互いにマスクを付けたり、間に透明な布があるから聞こえ辛いのじゃろう。
「ブレンドコーヒーの……サイズいかがなさいますか?」
「えしゅ」
「え?」
「ちいしゃいの」
口だけでは伝わらないんじゃろうと、Sを指差した。
「あ、ありがとうございます」
「あちょ、にょれね」
指を動かして、いつも食べるクロックムッシュを指した。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「ん」
「お会計が二点で550円です」
住野さんは注文を他の店員に向けて繰り返し読み、それを聞いて店長が食べ物を作り出す、のが本来の流れ。
いつもと注文が同じだから既にできておった。
儂は500円玉と50円玉を一枚ずつ出す。ポイントカードの有無を聞かれたが、持ってないので手を横に振る。
「こちら、ブレンドコーヒーとクロックムッシュです」
「ん」
「ありがとうございます……!」
うん。いい笑顔じゃ。マスク越しでもちゃんと笑っているのが儂には分かる。
初心者だからもたついてはおったが、慣れれば大丈夫だろう。
──住野さん。儂に電気マッサージを初めて与えてくれた女性。
儂は今まで女性と恋愛したことがない。仕事ばかりで忙しかったのもあるが、何となく良いと思える女性がおらんかった。もちろん、好意を寄せられたこともないし、行為もしたことはない。
昔工場でスーパー童貞だと揶揄されておった。同情するかのように縁談を持ちかけられたり、風俗に連れて行かれようともされたが、全て断った。
家は八人男兄弟の末っ子ともあってか、既に亡くなった両親からは特に結婚について催促されることはなかった。
ぐだぐだとしていたらもう88。
死ぬ間際に、そろそろ儂を看取ってくれる人を探してみてもいいのかもしれない。
一目惚れと言うんじゃろ。そんな彼女に是非とも振り向いてもらいたい。
儂にとって初めての恋愛が始まった。
**
「いらっしゃいませー」
「おぉ、しゅみのさん。にょうも、これ」
「はい! ブレンドコーヒーSサイズとクロックムッシュですね! お会計550円です」
住野さんは大体週に三回仕事をしている。
月曜日と水曜日の夕方と、土曜日の昼から半日じゃ。
儂はこのカフェで食べるのを毎日の楽しみにしておったが、特にこの三日はワクワクしとる。
だが、稀にいない時もある。その時は落ち込んでるしまうが……普段いない日にいたりするとまた嬉しくなる。
住野さんもほぼ毎回いる儂を覚えるようになり、メニューを聞かなくても通るくらいにはなった。
「ただいまこちらの新商品がオススメですよ」
「おお、しょぅか。しゃあ、これ」
「ありがとうございます……!」
住野さんが勧めるものだからつい普段とは違うものを買ってしまった。久しぶりにカフェでお釣りを貰うことになった。
あまりにも珍しいことだから店長に
「え! 八田さんどうされたんですか⁉︎ 最近何か良いことでもありました?」
と聞かれる始末じゃ。
まぁ、良いことあったと言えば住野さんに会えたことだな。店長、この子を採用してくれて心から感謝する。
そして、何ヶ月が経ち、住野さんも仕事に慣れた頃。
儂は思い切って告白することにした。
住野さんと会話がしやすいレジの時、また横槍を入れる店長がいない時を見計らった。
「いらっしゃいませ。……え?」
儂はカウンター越しにプレゼントを差し出した。
中身は最高級の羽根ペン。ぜひとも今後の大学生活でも使って欲しい。
「ふれしぇんと」
「あ。ありがとうございます」
いつものかわいい笑顔で感謝された。最近は少しお洒落になったのぉ。少し髪色も茶色が混じっとる。
そして、儂は言ってやった。
「ぁしとけっひょんしてぅれ!」
白昼堂々の求婚に驚いた表情を浮かべる住野さん。いや、これからは八田とその名札が変わるのじゃよ……。
「……あ、なしりんごヨーグルトとかんぴょうソテーサンドですかね!」
む……違うが……その食べ物はなんだ⁉︎
思いもしない注文は合計千円を超え、告白は住野さんには伝わらなかったようだ。
仕方ない。求婚はまたの機会にしよう。
儂の滑舌では届かないならば、恋文として想いを綴ろうではないか。
「次のお客様、って、ちょっとぉ〜バイト先まで何しに来たの〜?」
……ふんっ⁉︎ 誰じゃあの男は⁉︎
少し曲がった腰を伸ばしたとしても届きそうにないほどの高身長、企業は分からんが高そうな衣服を纏い羽振りが良いと感じられる高収入。あくまでも想像じゃがな。
「いやいや、こんな近くで働いてたら大学帰りに寄れるだろ」
この近くにあるのは偏差値が高い私立大学。つまり高学歴か⁉︎
仲睦まじく話す二人の間には桃色の空気が流れておった……。
仕事中だそ、公衆の面前で戯れるではない。
……ん。なんだこの負の感情は……。これが、もしや失恋というやつなのか……。
「お待たせしやしたー。なしりんごヨーグルトとかんぴょうソテーサンドでーす」
儂は食べ物をつくる係の生気のない若人から商品を受け取り、いつも座る窓際の席──が知らん客に取られていたので、壁際の席に座った。
新商品らしいが開発部を疑うな。味がなんもせん。
それにパンもかんぴょうも硬くて噛みきれん。いや、噛みきれる歯もないんじゃったな……。
**
次の日も変わらず、儂はカフェを訪れていた。
今日は住野さんはバイトには入っておらん。
また、いつものようにブレンドコーヒーとクロックムッシュを頼もう。
「あー八田さん! 紹介しますね、この子今日から入ったの。バイト経験はあるらしいけど、飲食は初めてらしいから優しくしてくださいね〜」
「あー、どうも。友瀬です。よろしくお願いしまーす」
あぁ……。
──ふん⁉︎ こ、これは……金髪ギャルというやつか!
髪色の薄い日本人はけしからんと思っていたが、いや間近で見るといいのぉ!
というより規則変わったんか⁉︎ 最近は多様性うるさいからのぉ……まぁ、どうでもよいか! 金髪ポニーテールはいいのぉ……! いいのぉ!
「えー、ご注文お伺いいたします。ただいまですと新商品のなしりんごヨーグルトとかんぴょうソテーサンドがオススメです」
「しょれ」
「え?」
……一度恋を知り、そして失恋を味わったばかりの者は、容易く恋に落ちるもの。88年目にして儂はようやくそのことを知った。
儂の恋路はまだ始まったばかりじゃ。これからも歩き続けるぞぉい‼︎
はしゅこい 杜侍音 @nekousagi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます