つくもがみ

MAY

第1話

 吾輩は本である。残念ながら、否、むしろ光栄であることに、名前はすでにある。

 正確には、その名前は、吾輩と共に生み出された本すべてに付けられた名前であって、吾輩固有の名前ではない。吾輩よりもはるかに若年のものにも、同じ名前が付けられているとも聞く。そういう意味では、やはり吾輩も「名前はまだない」というべきかもしれない。

 さて、文物は九十九年の齢を経ると、魂を得ることができるという。

 吾輩は、当年とって八十八歳。あと一息と言っても過言ではあるまい。

 これまで幾人もの手を経て現在に至ったことは光栄である。同じ時に生み出された同輩のうち、吾輩のように現在まで残ったものはさほど多くはないであろう。つまり、それだけ大切に扱われてきたという証左でもある。

 ゆえに――かどうかは不明だが、吾輩は九十九年を待たずして、意識を得るに至った。


 しかし残念なことに、自由に動く手足を持たない。

 他のものへ話しかけたところで、なにやら透明な壁に阻まれて届かない。いや、そもそも現在の同居本たちは、吾輩のごとく意識を持たぬものばかりなのやもしれぬ。

 つまりは、それだけ吾輩は特別な存在であるということなのだが。


「退屈じゃのう」

 ぼやいてみても、声に反応して会話を楽しんでくれる存在はいない。

 かつては、吾輩と同じ境遇の先達が同居本に居り、いろいろと教えを受け、また戯言を交わして楽しんだものだが、あるとき引き離されてしまってそれきりだ。

「誰か読んでくれぬかのう」

 人間には吾輩の言葉は届かない。しかし、人間の言葉は吾輩にも聞こえている。吾輩を読みながら、もしくは読み終わった後の感想はもとより、吾輩には直接かかわりのない人間社会のことを聞くのも、娯楽であった。

 しかし、さらに残念なことに、ここ二、三十年ばかりは、吾輩を手に取って読む人間は絶えてしまった。

 毎日丁寧に埃を払い、状態を確認される。

 大切に大切に扱われている。

 それは、吾輩とて理解している。

 しかし。

「毎日掃除をしてくれるのなら、一度くらい読んでくれてもいいのではないかのう」

 ぼやく声は、悲しいことに届きはしない。

 あと、十一年。それさえ待てば、吾輩は魂を得、空を飛んで動くことができるようにもなるはずだ。

 そうすれば、このような退屈な場所ともおさらばだ。

 以前の同居人を探すも良し、吾輩を愉しんでくれる人間を探すも良し、いかようにでも面白おかしく暮らすことが可能となろう。

「楽しみじゃのう」

 たかが十一年。されど十一年。

「長いのう」

 一日千秋、十一年といえば四千日ほどか。待てど暮らせど先は長いが、いつかはその日が訪れる。

 吾輩は、そればかりを楽しみに、退屈な今日を過ごすのである。

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つくもがみ MAY @meiya_0433

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