余命88歳

くにすらのに

第1話

 88歳の誕生日を迎えた日。私は魔女に呪いをかけられた。


「ずっと一緒に生きてくれるって約束したのに」


 そんなことを言われても困る。

 私は普通の人間で相手は魔女。

 魔女はより世界を堪能するために加齢を止める魔法を自分に掛けたそうだ。


 一生を共に歩んでほしいのなら私にもその魔法を掛けてくれれば良かったのに、なぜか彼女はそれをしなかった。


「魔女と仲良くしてくれるのは魔女だけだから。あなたも魔女だと思っていたのに」


 そんなことを言われても困る。

 私がいつ自分を魔女だと言ったのか。彼女の勘違いだ。

 むしろ魔法への羨望は一般人のそれに近かったように思う。

 

「あなたはもうすぐ死んでしまう。だから時間の流れを反対にする魔法を掛ける。ちょうど88年後、あなたの存在は逆戻りを果たして消滅する」


 そんなことを言われても困る。

 1秒1分1時間1日1か月1年と同じペースで積み上げてきた年齢を逆戻りさせるというのだ。

 加齢を止める……要は冷凍保存みたいな現象よりも高度な魔法のように感じる。

 私を恨んでいるのなら殺せばいいし、一生そばに居て欲しいのなら今からでも加齢を止めればいい。

 なんとも時間の掛かる復讐だ。


「これは魔法ではなく呪い。私は自分自身に魔法を掛けられても他人には掛けられない。だから呪いという道しかなかった」


 そんなことを言われても困る。

 完全に魔女の力不足ではないか。

 私が彼女と出会ったのは6歳の時。それから今日に至るまで82年もの歳月があったのだ。

 加齢を止める魔法は確立されていて、あとはそれを他人に行使できれば彼女の望みは叶えられる。

 一体何をしてきたというのか。


「日々変化していくあなたに見惚れて修行を疎かにしてしまった。それもこれもあなたが魔法を使えないせい」


 そんなことを言われても困る。

 完全に責任転嫁だし濡れ衣を着せられている。

 

「だから残りの88年間を私にちょうだい。体が思うように動かなくなったのは2年前よね? 2年間辛抱すればまた動けるようになる。前みたいにたくさんお出かけしましょう」


 そんなことを言われても困る。

 主人は早くに他界して、息子は家庭を持って孫もいる。

 私が2年後に急に動けるようになったら彼らを驚かせてしまう。

 子供は時間が経つと成長し、老人は逆に衰えていく。その流れに逆らうというのは不自然だ。


「言ったでしょ? 呪いだって。あなたは私と残りの人生を歩むしかない。他の人間と関わりを持てない魔女のように」


 そんなことを言われても困る。

 私は魔女ではないから肉体の時間が逆戻りすることで何か悪い影響が出るかもしれない。

 人間のように食事を取らなければ死んでしまうだろうし、そのためのお金だっている。

 

「私はあなた以外の人間と関わらなくてもこうして生きているわ。魔女には魔女の生き方があるの。あなたの88年間は私が保証するわ」


 そんなことを言われても困る。

 受験、就職、結婚、育児、老後。

 辛いこともたくさんあったけど、順を追ってやってきたイベントだから乗り越えられた。

 逆戻りの人生にはおそらくこれらのイベントは存在しない。

 なぜなら世間から離れて魔女と二人で過ごすからだ。


「世界に関わると辛いことがたくさんある。だけど安全な場所から見るだけなら結構おもしろいのよ。あとは感想を言い合える相手がいれば完璧。あなたみたいな、ね」


 そんなことを言われても困る。

 なら他の魔女を当たってほしい。約束を破ったことは申し訳ないと思うけど、私はその世界に少なからず関わっている普通の人間なのだから。


「魔女は隠れて生きているから出会おうと思っても出会えないんだよ。だからあなたとの運命を感じたんだ。」


 そんなことを言われても困る。

 私は結構簡単に魔女と出会った。わかりやすく魔女でも住んでいそうな森で、悠々自適に釣りをしているあなたと出会った。

 魔女なら魔法で魚を捕まえればいいのにと言ったら、風情がないと返されたっけ。

 まさか自分以外には魔法を掛けられないから魚に魔法を使えないというオチを80年以上越しに知るとは思わなかった。


「そう。私と一緒だとその年になっても新たな発見があるんだ。時間を逆戻りする余生も悪くないと思うよ? まあ、もう呪いを掛け終えてるから決定事項なんだけどね」


 そんなことを言われても困る。

 体が動いていた頃に戻るまでの2年はともかく、それ以降はどんな顔をして息子や孫に会えばいいのか。 

 時間が逆戻りしていく88年の間に息子は、もしかしたら孫達も……。


「呪いだからね」


 そんなことを言われても困る。

 なんて言ったのはもう88年も前だ。

 176年前の、本当に赤ちゃんだった頃の記憶なんてないし思考していた覚えもない。

 だけど2度目の赤ちゃんはこうして自分の頭で考えることができていた。

 88年前のあの時みたいに自由にどこへ行くこともできない体だというのに。


「あっという間だった。あなたと過ごす時間は。88年もあれば思い残すことはないとあの日は考えていたのに、まだ足りない」


 そんなことを言われても困る。

 だったら今度は呪いを解いて改めて私を育ててみる?

 育児は大変だぞ?

 私が魔女になりたいと言ったら進路相談に乗ってくれる?


「そんなことを言われても困る。言葉にはできなくてもあなたの伝えたいことはわかる。魔女だからな。こんなにも辛いお別れを経験したら、永遠に生きることが虚しくなってしまった」


 私を抱きしめる魔女の顔が徐々にしわしわになっていく。

 今までずっと塞き止めていたものが一気に噴き出すようにものすごい勢いで。

 

 同時に、私は自分の存在が消えていくのを実感していた。

 176年も生きていて初めての感覚だ。想像していた死とはちょっと違う。

 死ぬのではなく消える。その表現がぴったりだった。


 どちらが先に逝くのだろう。年功序列で魔女だろうか。

 いやいや、ここは赤ちゃんを優先してほしい。


 そんなことを言われても困る。

 もう体の自由は利かないのだから。

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