5
男性陣が室内へ向かい、夫人と残された私は近くの長椅子に腰を下ろした。しかし、主催としては私だけに構っているわけにもいかないのだろう。夫人の視線は客人の間を忙しなく行き来していた。
私が一人でも大丈夫だというと、夫人は少しためらった後に助かったというような表情でその場を去っていった。
人目がなくなって少し気を抜いた私は、不意に複数の令嬢に囲まれた。
「ごきげんよう、リンジー様」
「ヘレナ様……」
令嬢は全員で五人。その中心で微笑むのは茶会で会ったヘレナ様だった。
「また体調を崩されたんですって? そんな調子で公爵夫人が務まるのかしら」
令嬢の一人が名乗りもせずに話しかけて私を嘲笑った。
「ご心配をおかけして。彼に教わってどうにかやっていますわ」
熱烈に愛し合ってる婚約者ならこれくらい言うんじゃないかと、妄想して浮かんだ言葉を吐いた。
私の言葉は彼女たちの怒りを煽ったようで、令嬢の一人が扇を口元にあてて眉をひそめた。
「なんて厚かましいのかしら!」
澄まし顔で黙って見ていたヘレナ様が、冷たい視線を向けてくる。
「今日は味方の皇太子はいらっしゃらないの? どうやって媚びを売ったのかしら。――オリバー様も騙されているんだわ」
綺麗なお顔が憎々しげに歪む。茶会のことを根に持っているのか、今日はしょっぱなから手厳しい。しかし、色んなことがあって、かなり図太くなっていた私はさほど堪えなかった。
周りの視線も集まり始め、どう切り抜けたものかと困っていたところへ、不意に声が掛けられた。
「あらお嬢様方。ひと所にお集まりになって、おしゃべりかしら?」
場違いな優雅な声に、令嬢たちがさっと振り返った。
「コンスタンス様……、ごきげんよう」
「お久しぶりね、ヘレナ様」
令嬢たちをかき分けるようにして私の横へとやってきた美女を見て、妖精が少し怯んだ様子を見せた。
「せっかくの園遊会。いつもはお会いできない方もたくさんいてよ。みなさん固まっていないでお話なさってきたらいかが?」
「ありがとうございます。ただ私たち、今はリンジー様とおしゃべりを楽しんでおりますので」
彼女は見かねて助けに来てくれたのだろうか。微笑んで会話を交わす姿は穏やかなものだったが、視線を交わす二人の間には目には見えない火花が散っている気がした。
「あら、茶会の時みたいに?」
色の白いヘレナ様のお顔にさっと赤みがさした。
「ご存知でしょうけど、ヘレナ様は注目の的だから。後悔なさらないようにね」
一枚上手なのはコンスタンス様だった。あくまでも柔らかい口調で、令嬢たちを遠回しにたしなめる。
令嬢たちは不安そうに顔を見合わせ、その中心のヘレナ様はぐっと黙った後、晴れやかな顔で言った。
「そうですわね、今日は他の方への挨拶もまだでしたので、失礼しますわ」
そう言うと、振り返りもせずに去っていく。取り巻きの少女たちが慌ててついていった。
「ありがとうございました」
「いいのよ、よかったらいかが?」
差し出してくれたグラスはお酒のようで、冷えたグラスの中でぱちぱちと泡がはじけている。彼女も同じものを手にしていた。
お礼を言って喉を潤しながら、そっとコンスタンス様を盗み見る。華奢で可憐な感じのヘレナ様とは対照的な、色気のある大人の魅力あふれる美女だった。
豊かな黒髪は波打つようで、瞳も髪と同じ黒だった。右目の下、涙が落ちるところにある黒子がなまめかしい。女性らしく盛り上がった胸元が、ドレスから上品にのぞいている。
そんな感想を抱いていると、かすかに花のようなの香りがした。
「なにかついてるかしら?」
「いいえ! ごめんなさい、失礼を」
盗み見ているつもりが、丸分かりだったらしい。赤面して慌てている私に彼女がくすくす笑う。
彼女もグラスを傾けて、動いた拍子に香りが強まった。この匂いは………
「――薔薇かしら?」
「え?」
「ごめんなさい、すごく素敵な香りだと思って」
考えていたことが、思わず口をついていた。慌てて打ち明けると、素直な人ねとからからと笑われた。
こんなに綺麗で社交的な方だから、もっと洒落た褒め言葉を何度も投げかけられてきたのだろう。恥ずかしかったが、気を悪くしたわけではなさそうだったので安心した。
香水は私の姉の夫、義兄の商会が扱う品だった。それをきっかけになんとなく話が盛り上がった後、幾分くだけた口調になった彼女がふと声を落とした。
「ところで、皇太子とは古い友達というのは本当なの?」
なんとなく気を許してしまって、昔会ったことがあるとだけ打ち明ける。
「そう、じゃあ……噂は本当なのね」
呟くようにコンスタンス様が口にした言葉にぎくりと固まった。
彼女が聞いた噂とはどんなものだろう。皇太子と私が恋愛関係にあるというものか、それとも私が皇太子に一方的に思いを募らせているというものだろうか……。考え込む私が無言でいるのを肯定ととったのか、彼女は返答を待たずにためらいながら続けた。
「それなら……構わないかしら? 私が遊んでも」
唐突な問いに今度はぽかんと呆けてしまった。
遊ぶとはどういうことだろう。演劇を楽しんだり、遊戯にふけったりするような遊びを思い浮かべた。遊ぶのってコンスタンス様と私が? それとも――。
「えぇと……オリバーとは時々王都で会っていてね、でも最近はぱったり」
衝撃を受けながら、あぁ、とかえぇ、とか意味もない相槌が口から漏れた。いくら鈍い私でもここまできたら、いい歳した男女の遊びが何を指すかは察しがついた。
目を白黒させて戸惑っている私を置いて、コンスタンス様の明け透けな告白が続く。
「婚約したからかと思ったけど、噂が本当なら、実際は政治的な結婚なのかと思って。……って、わざわざ本人に言うことじゃないわよね、私何言ってるのかしら。あなたと話していたらなんだかつい」
ばつが悪そうな表情をする彼女に、私は動転しながらもなんとか声を絞り出した。
「あの、辺境伯はそのこと……」
「承知してるのよ、互いにね。」
そういうと彼女は思わせぶりに片目で瞬いた。私が男性だったら勘違いしてしまいそうな、洗練された動作だ。
現実逃避をしつつも、私の胸の内は大荒れだった。辺境伯夫妻のご事情も衝撃だったが、一方で、腑に落ちることもあった。こういう方とお付き合いなさってたなら、公爵が私に手を出さないのも納得だ。きっと食指が動かないんだろう。謎が解けたはずなのに、もやもやが大きくなっていく。
「オリバーとは話も合うし。あなたも彼に気持ちがないなら、その、いいかしらと思って」
華やかに見えて欲望渦巻く貴族社会。愛人のいる人も少なくないことくらい知っている。傷ついているのは、心のどこかで幸せな結婚を夢見ていたからか。
公爵が白い結婚を通すと断言したのも、そういうお相手がいるからだったのかもしれない。考えないようにしていたが、白い結婚を通すのは男性には酷なことなのだろうか。
考えているとなんだかやけっぱちになってくる。実際のところ恋愛結婚ではないんだし。本人が希望するならどうぞ――そう思っているのになぜか口が動かなかった。
(――だって、陛下の言う、婚約者像を貫き通さなきゃいけないし)
頭に浮かぶ断りの理由は我ながら言い訳じみていた。私の中で渦巻くもやもやは嫌悪感だろうか。
「その、私……」
言い淀む私を見て、真っ黒なうるんだ瞳がぱちくりと瞬いた。
「リンジーあなた、もしかしてオリバーに恋してるの?」
鮮やかな紅のひかれた唇が紡いだ言葉が、私の胸にすとんと落ちた。
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