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「プルマン家の園遊会、ですか?」

 訓練が順調に進み、穏やかな日々が続いていたある日、公爵からお出掛けの打診があった。


「あぁ。当主のリチャード・プルマン――彼は茶会や演奏会にも来ていたんだが――リチャードとは王立学園からの仲なんだ」

 リチャード様……確か演奏会で公爵と親し気にしていた二人の男性のうちの一人がそう名乗っていた気がする。


 そう思って聞くと、肯定の答えが返ってきた。

「そうだ。あの時いた二人組の黒髪がプルマンで赤毛がハロルド。彼も同級生でね」


「そうでしたか」

「それでその、リチャードから仲間内で集まろうと誘われてな。婚約者も是非、と」


 二人の顔をぼんやりと思い出しながら相槌を打つ。社交の場に出かけることは必要最低限にしていたが、彼らとかなり仲もよさそうだったし、私が演奏会へ参加したことも知られている以上、断り辛いのかもしれない。


「分かりました。私でよければ」

 そう言うと公爵はほっとしたように微笑んだ。


「助かるよ。実はいい加減連れてこいとしつこくてな。君には面倒だろうが……」

「構いませんわ、気晴らしになります」


 本音を言えば、確かに少し気が重かった。出掛けること自体は気晴らしにはなるが、そういう文脈で誘われたのなら、ご友人は婚約についてあれこれ聞きたいのかもしれない。嘘が露見しないように婚約者を演じなければ。


 それに狩猟の一件で、私と皇太子のことも噂になっていたと聞く。どこまで広がっているか分からないが、公爵の友人としては面白くないだろう。問い詰めてくる人もいるかもしれない。けれど、笑みを浮かべる公爵を目前にすると、なぜだかそんなことは些末に思えた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 園遊会を迎えたその日、支度を終えた私は鏡の前で最後の確認をしていた。おろしたてのドレスはミモザの花のような黄色で、首周りには実家から持ってきたペリドットの首飾りを身につけていた。


 いつもよりあいた胸元がなんだか落ち着かない。鏡を見る限り、肩の包帯はその範囲がかなり小さくなっていて、見えることはなさそうだった。


「そんなに見たって変わりやしないわよ」

 化粧道具をしまいながらメアリが呆れたように言う。


「うん……なんだか胸元があきすぎな気がして」

「王都じゃそれくらい普通よ。胸当てだって、刺繍がとっても素敵だわ」

 胸部のあたりに、細かい植物柄の刺繍の入ったドレスを見て彼女がうっとりとため息をついた。流行に敏感な彼女の言うことなら大丈夫だろうか。


 なんとなく気が急いて一足先に馬車へ乗り込むと、少し慌てた様子の公爵がすぐに続いた。公爵は深い緑色の上下に白のウエストコートという出で立ちだった。


 上衣には銀糸でドレスと似たような植物柄の刺繍が施されている。身なりを整えた彼からは風格というか、気品がにじみ出ていて、見慣れていても気後れしてしまう。


「ごきげんよう、公爵」

「あぁ……」

 公爵は言葉少なに向かいに腰掛けた。ここ最近はかなり打ち解けたように思っていたが、馬車の中は以前のように沈黙が支配していた。


「……今日は、ハロルド様もいらっしゃるんですか?」

「気になるのか?」

 なんとなく会話の糸口になるかと友人の話題を振ってみたが、予想外に鋭い口調で聞き返されてしまった。


「いえ、あの……、ご友人だと聞いたので今日もいらっしゃるのかと……」

 言い訳をするような私の声が段々と小さくなっていく。


「すまない、責めたつもりじゃないんだ。ハロルドも恐らく来るだろうな」

 公爵は弁解するように話し始めた。


「言い忘れていたが伯爵夫人はパトリシア、ハロルドはアンダーソン家の人間だ。あいつはなんというか……根は悪い奴じゃないんだが、荒っぽくて落ち着きがないんだ。あまり相手にしなくていい」

「そ、そうですか」


 アンダーソンという名前にはなんとなく聞き覚えがある。確か軍人一家のはずだ。その後は招待されるであろう顔ぶれについて、ぽつりぽつりと言葉を交わした。主催の伯爵夫妻はつい昨年結婚したばかりらしい。


 友人宅に到着し、公爵の手を借りて馬車を降りる。内輪だけと聞いていたので少人数かと思っていたが、予想以上に招待客が多く、私は目を丸くした。


 庭園に案内されてすぐ、演奏会で会った男性に声を掛けられた。その隣には女性が寄り添っている。

「リチャード! 招待ありがとう。ずいぶん盛大だな」

 公爵が朗らかに言って男性と握手を交わす。彼らが主催の伯爵夫妻だった。


 軽い世間話をしていると、もう一人、男性が足早にやってきた。赤毛で見覚えのある顔立ち。恐らくこの方がハロルド様だろう。

「おっ!オリバー、やっと連れて来たな。ごきげんようリンジー嬢、ドレスがよくお似合いだ」

 肩を叩くようにした彼が、私を見下ろしてにかっと白い歯を見せた。


 そのまま肩に腕を回す彼に公爵が、おいハロルドと不機嫌そうに言った。私だったら即座に謝罪するが、彼はまったく気にした様子を見せずにそのまま話し続けた。


「まぁまぁ、旧知の仲だろ。それよりお前、休暇をもらったらしいじゃないか。どうせ結婚するのにそんなに一緒にいたいのか?」

「確かにな。あの仕事人間がと、みんな驚いていたよ。王都じゃ見かけないがどこかへ出掛けてたのか?」


 ハロルド様と伯爵が、ひとしきり私と公爵の仲をからかったあと、話の中心は彼らの昔の話へと移った。やんちゃな話を繰り広げ、豪快に笑う赤毛の彼を筆頭に二人も楽しそうにしている。伯爵夫人と私はひたすら聞き役に回った。


「全く懐かしいな。そういえばオリバー、今日は彼女も来てるんだ。おーい、コニー! コンスタンス!」

 ハロルド様が大声で呼ぶと、少し離れたところにいた女性がこちらへ顔を向けた。ハロルド様が手を上げてこちらへ来るようにと合図を出した。


 私たちの元へやってきたのはこれまた色っぽい美女だった。めずらしい紫のドレスを着こなしている。狩猟の時に、乗馬を楽しんでいた赤いドレスの人だと直感した。


「狩猟ぶりね、オリバー。リンジー様、初めまして。コンスタンス・ドノヴァンと申します」

 美女の正体は辺境伯夫人だった。夫婦とも社交的で顔が広く、やり手だと聞く。口ぶりから察するに彼女も公爵と同級生だったらしい。


 私が名乗ると美女が嬉しそうに微笑んだ。同性でもどきっとしてしまう魅力があった。

「お会いできて嬉しいわ、狩猟のときはあいさつしそびれてしまったから」


 コンスタンス様は話してみると感じがよくて話しやすい人だった。二言三言交わしたあとで、やや突拍子もない質問を投げかけられた。


「ところでリンジー様、乗馬はなさって?」

「乗馬ですか? いえ、あまり」

 そう答えると、また話題は別のことへと移っていった。触れている公爵の手がほんの少し力が入ったような気がする。


 私と公爵がまだ飲み物を口にしていないことに気付いた伯爵が給仕を呼び止めた。いくつかの飲み物をのせたお盆を差し出されたが、手を伸ばすより先に、果実水の入ったグラスを公爵に手渡された。酒を口にしたかったわけではないが、私以外がお酒を持った乾杯に、なんとなく疎外感を感じた。


 少しして、また別の集団に呼ばれた彼女はにこやかにあいさつして去っていった。すれ違いざまの一瞬、ごく自然に公爵を見つめるその視線がなんだかいやに目について、もやっとした。


 去っていく後姿を見つめてからようやく視線を外すと、ハロルド様と目が合い、彼がにやりと笑った。

「見とれるのも分かるよ、リンジー嬢。君の夫とコンスタンスは学園でも美男美女で有名だったんだ」

 どこか誇らしげに言うハロルド様に、公爵と伯爵が焦ったような表情を浮かべた。


「お、おい、余計なこと言うな。こいつ酔っ払ったみたいで、話半分に聞いてくださいね」

 リチャード様がたしなめるようにいった。その焦り様がかえって、彼の発言が事実だと裏付けているように感じた。


「なんだよ、まだそんなに飲んでねえって! おっと、うわっ悪い、オリバー」

 大げさな身振りで否定しようとしたご友人だったが、手元が狂ったのか手にしていたグラスから葡萄酒がこぼれ、公爵の服にかかってしまった。見る見るうちに赤いしみが広がっていく。


 ご友人はそれを見て酔いがさめたらしく、汚れを落とそうと公爵を室内へ急き立てる。公爵は私を気にかけてその場を離れることを渋っていたが、最後には伯爵が二人を連れて屋敷に引っ込んだ。

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