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 狩猟の集いの日がやってきた。朝早くから馬車に乗って王族所有の別荘に向かう。これまでにない遠出で荷物も多く、茶会に出かけるときに乗った大型の馬車と、それより一回り小さい馬車も加えた二台の編成で向かう。護衛兼お目付け役の軍人が二人と侍女のメアリ、執事のマーティンも同行してくれている。


 公爵が気を使ってくれたのか、小さい方の馬車にメアリと二人で揺られている。護衛は御者の隣に座ってなにやら楽しそうに話していた。王都の近郊に出るのは二人とも初めてなので、窓を見ながら移り変わる景色を楽しんだ。


 街中を抜けると段々と建物がぽつり、ぽつりと間隔をあけるようになるとともに緑が増え、そのうち田園風景が続くようになった。道の舗装が行き届いていないのか、がたごとと揺れが強くなる。


「それにしても……わざわざ都会から狩りに出かけるなんて変な感じ」

 代わり映えしない景色から視線を外したメアリが首を傾げる。

「本当に。田舎の人間からすると狩りなんて毎年のことというか、仕事に近いものね」

 そう言うと、すっかり王都を満喫しているらしい彼女は深々と頷いた。


 国王と帝国からの来賓、ごく少数の貴族が集まる今回の狩りは、王家が所有する山林で行われる。侯爵領のような田舎では、狩猟と言えば林業や農業に影響を及ぼす害獣の駆除の側面が強いが、王都の貴人には数少ない体を動かす娯楽として人気らしい。


「そんなことより、オリバー様とはどうなってるのよ」

 急に話を変えたメアリが意味ありげに目配せする。

「どうって……何もないわ」

 声を落として御者の方を見やる。会話が聞こえてしまわないか心配だったが、揺れのせいでこちらの声は掻き消えているようだった。


「そうなの? でも少しは会話も増えてるじゃない」

「そうかしら」

「今日の服装だって色を揃えているんでしょう?」

「えぇまぁ。だけど私、似合ってないような気がするわ」

「そんなことないわよ」


 自分のドレスを見下ろす。クリーム色ですっきりとした絹のドレスは、先日図書館に行った時に新調してもらったものだ。公爵も似たようなベージュの上衣を羽織っている。最近は機能的なドレスが流行りらしく、フリルのないデザインで、丈も歩くときにたくし上げる必要がない短さだ。平織で折られている生地は、一見すると地味だが上品な光沢と張りがある、というのがメアリの評価である。


 お揃いなんて素敵だわ、と目を輝かせるメアリに、周囲を誤魔化すために合わせたのだとは言えず、乾いた笑いが漏れた。公爵との会話も確かに増えたが、その内容は義務的な話の域を出ていない。白い結婚という言葉まで出すくらいだから、彼には誰か思いを寄せる相手がいるのかもしれない。考えないようにしていたことがちらついて、焦って話題を変えた。


「メアリこそどうなのよ。行きつけのカフェの話、最近してくれないじゃない」

 そう聞くと、めずらしく黙り込んだメアリの頬が赤く染まっていった。予想外の反応に目を丸くして追及すると、メアリはその店の料理人からデートの誘いを受けたのだと白状した。


「――おいしそうに食べるから気になったって。私そんなに食い意地張っていないわよ」

 つんと澄まして言うも、メアリの耳は真っ赤だ。

「それで出かけるの? いつ?」

「……次のお休み」

 そっちのほうがよっぽど素敵だ。どこへ行くのか何を着ていくか、そこからはデートの話題で車内は持ちきりだった。照れくさそうに笑うメアリはとてもかわいかった。


 いつの間にか速度を落としていた馬車が停止した。護衛に促されて馬車を降りると、そこは湖のほとりだった。黄色や白の野花が咲く草原に囲まれるような湖が青空と白い雲を反射して輝いている。遠くの地平線にはところどころ雪を頂く山々が見えた。


 絵画のような景色に見とれていると、マーティンとメアリがてきぱきと木陰に敷布を広げ、休憩の支度を整えていく。みんなで輪になるようにして食事を済ませる。まだ時間の余裕があるらしく、自由にした馬が湖のほとりで草を食んでいる。


 マーティンの勧めで、一行は水辺まで足を延ばした。湖はよく澄んでいて、水底に揺れる水草や魚の影が見えた。熱心に見つめていると、ふと自分の姿も水面に映っていることに気付いた。


 店で見本を見たときは洗練されていて見惚れたが、いざ自分が着てみるとなんだか似合っていないような気がした。

「やっぱりおかしくない?」

「何度も申し上げたでしょう、お似合いですよ」

 ドレスの裾をいじりながら隣にいたメアリに言うと、侍女の皮をしっかり被った彼女が笑顔で言う。しかしその口調に若干のいら立ちを感じたので、慌てて口を閉じた。


 馬が十分に休んだところで、荷物を馬車に戻して出発の準備を整えた。別々に分かれて乗ってきたことが露見するとまずいのか、今度は公爵と同じ馬車に乗るよう促される。小さい方の馬車に置いていた日傘をメアリから受け取って公爵の乗る馬車に乗り込んだ。


 薄い緑色の日傘は皇太子に頂いたものだった。素敵な傘だとは思ったが、婚約者である公爵の前で使うのはなんとなく忍びなくて衣裳棚に仕舞い込んでいたのだ。目ざといメアリが日傘を見つけ、ドレスにも合うと熱弁されて久々に出番を迎えたのだった。


 公爵はちらりと日傘に視線を向けたが何も言わなかった。こんなときでも仕事があるようで、何やら手元の書類に目を落としている。手持ち無沙汰な私は、傘を邪魔にならない程度に広げては丁寧に畳みなおしたり、ひたすら景色を眺めたりして時間をつぶした。時折公爵が思い出したように口を開いて狩りの段取りを教えてくれるほかは会話らしい会話もなかった。


 太陽が真上にくるころ、ようやく王族が所有する別荘に到着した。すでにいくつかの馬車が停車し、開けた草地には人だかりができている。馬車のことはマーティンたちに任せ、公爵と陛下の元へあいさつに向かった。持っていても仕方ないので日傘をさして、日差しを遮った。


 人だかりの中心には陛下とアレキサンダー皇太子がいた。二人に丁重にあいさつすると、ぱっと顔を輝かせた皇太子が口を開いた。

「今日もかわいいね、リンジー。傘も使ってくれてるんだ」

 皇太子が嬉しそうに微笑む。真っ直ぐな賛辞に照れながらお礼を言った。

「その節はありがとうございました」

 その後も殿下はドレスに言及し、さりげなく褒めてくれる。カイルお兄様に見習ってほしいくらいだと感心した。


「アレキサンダー、そちらのご婦人は?」

「叔父上!」

 不意に声を掛けられて振り返ったアレキサンダー様が姿勢を正す。視線の先に、一際豪奢な乗馬服を着た男性が現れた。周囲がざわついて、最敬礼の姿勢をとる。


 ナイジェル皇弟殿下だ。こうべを垂れる公爵に続いて最大限の敬意を表して、そっと様子を見つめる。背は平均くらいだろうか。高くはないが恰幅がいいせいか、力強い印象だ。皇太子よりも赤みの強い金髪は癖が強く、立派な口髭を蓄えている。


「ほぅ、君が」

 公爵に続いて名乗ると、なにやらしげしげと殿下に見つめられる。陽気な笑みを浮かべているが、どこか尊大で人を品定めするような雰囲気を感じるのは、一連の情報を知っているこちらの色眼鏡のせいだろうか。


 居心地の悪さを感じるのも束の間、すぐに国王陛下がにこやかに話し始め、話題は狩りの話へ移っていった。どうやら狩猟はナイジェル殿下のご趣味らしく、意気揚々と手に持つ猟銃の性能を語っている。


 ナイジェル様の隣には神官らしき男性が控えている。皇弟殿下とは対照的にほっそりと背が高く、癖のない黒髪を一つに束ねて背中にたらしている。穏やかな物腰だが、切れ長の瞳は何を考えているのかよく分からない感じがした。




 領土の拡大を目指す皇弟と手を組む教皇勢力、そしてそれを阻止すべく暗殺を目論む国王陛下とその側近――。国の行く末を左右する人間が出揃った。動揺を悟られないようにしながら、私は生唾を飲み込んだ。



 これから何が起きるのか。私の不安をよそに空には雲一つない青空が広がっていた。


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