追憶の塔
1
準備が整ったことを知らせる角笛の音が響き渡った。参加者の元に馬が連れて来られる。狩猟では貴族が馬を駆って、森に住む鹿やウサギ、狐に猟犬をけしかけ、猟銃で仕留めるのだ。捕まった獲物は王家に献上され、特に大きな獲物や毛並みの優れた個体を狩ると名誉に預かるそうだ。
意気揚々と人々が騎乗する中、執事のマーティンが見事な青毛の馬を連れてきた。公爵家の愛馬を事前に連れて来ていたらしい。公爵の姿に気付いた馬が、目を細めてその肩口に鼻をすり寄せた。公爵は仕方がないなと言いながらも、艶やかな首の付け根を優しく撫でた。
かわいらしい姿だが、間近に迫ったその大きさに怖気づいて、つい後退してしまう。
「それじゃあ、悪いが待っていてくれ」
「えぇ、オリバー様、お気をつけて」
「……護衛を二人つける。室内にいるように」
周囲に聞き取れないように声を落としてそう言い残すと、公爵は颯爽と愛馬にまたがって行ってしまった。
友人だろうか、馬に揺られる公爵はすぐに数人と合流した。その中には横座りで駆ける女性の姿もあった。男性の許可と付き添いがあれば、女性でも参加できるのだ。遠くなっていくその集団を執事と眺めていると、ひときわ目を引く赤いドレスに身を包んだ女性が、公爵の横に馬をつけた。遠目からなので確信はないが、いわゆる男乗りといわれる馬にまたがる乗り方で、なにやら親しげに話しかけている。
「行きましょう、リンジー様」
「えぇ」
なんだか唐突な執事に違和感を覚えながらも、黙って護衛と執事の後を追って邸宅に引っ込んだ。
屋敷に残る女性陣はお茶やお菓子をつまむらしい。またメアリと羽根が伸ばせるかと期待したが、彼女は手伝いに駆り出されたらしい。マーティンも仕事があるようで行ってしまった。ほかのご婦人方と顔を合わせる間もなく、屋敷の奥へ進んでいく。
人目を忍ぶようにして連れられた先には小さな客間があった。部屋を開けてくれた二人の護衛はそのまま戸口で待つらしい。ぱたんと扉が閉まって、一人部屋に残された。申し訳程度に卓上に飲み物や菓子が置かれている。狩りが終わるまでここで過ごせということか。
「これじゃ公爵家にいるときと変わらないわね」
ぽつりと漏れた文句も誰にも聞かれることはなかった。こんなことなら何か持ってくればよかった。なんとなく、くさくさした気持ちで長椅子に腰掛けた。早朝から動いていたこともあってすぐに眠気が襲ってくる。眠気に任せるまま、自堕落に椅子に寝そべって目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
睡眠をむさぼっていると、なにやら戸口の方で言い争うような物音が聞こえて目が覚めた。姿勢を起こして緊張しながら耳を澄ますと護衛の声とは別に、少し高い男性の声が聞こえてきた。
「困ります、誰も通すなとの命令で――」
「私が許可を出したといえばいいだろう」
「殿下っ!」
ばたん、と勢いよく扉を開けて入ってきたのはアレキサンダー皇太子だった。呆気にとられていると、殿下は困ったように顔を見合わせ、部屋に踏み込もうとする護衛を手で制止して扉を閉めてしまった。
「殿下、どうしてこちらに……」
正気に戻ってやっとの思いで問うと、陛下は部屋を見渡しながらのんびり答えた。
「なんだか雲が出てきたら馬が嫌がってね。一足先に引き返してきちゃった」
その言葉に窓をみると、確かにいくらか日が陰っていた。
「それにしてもリンジーこそ、なんでこんな奥まったところに?」
顔をしかめながら言う皇太子に上手い返答が浮かばないでいると、彼はまぁいいんだけど、と言いながら卓上のお菓子を布巾で包み始める。
「ねぇ、まだ天気も崩れてないし散歩でもしようよ」
子どものように声を潜めた皇太子がそっと窓を指し示す。ここは1階。この御方は窓から出ようとでも言うのか。
「私、勝手にここを離れてはいけないんです」
この会話を報告されるのだって想像しただけでも恐ろしい。ひそひそ声で必死に断った。
「ここまで来たのに? すごく綺麗なとこだったよ」
「せっかくのお心遣いですが、お気持ちだけ――」
「いいでしょ、お願い」
このままでは埒が明かない。護衛を呼ぼうかと口を開いて、懇願する皇太子の顔が誰かに重なって思わず口を閉じた。やっぱり彼とはどこかで会っている気がする。
過去のことを聞いてみようかと迷っていると、こちらが揺らいでいると思ったのかアレキサンダー様が言葉を続けた。
「公爵もなんか妖艶な美女と楽しそうだったし、真っ赤なドレスの」
皇太子の駄目押しの一言が、予想外にリンジーの心をかき乱した。
「……すぐに戻りますよ」
そう言って腰を上げると、青年の顔がぱっと輝いた。抜け出すのは過去のことを尋ねたいからで、決して公爵への意趣返しではない。誰に聞かれた訳でもないのに、心の中でそう呟いた。
物音に気を付けながら窓をまたぎ、皇太子の手に支えられながら外の大地に降り立った。なんだか子どものころにこっそり悪戯をする時のような高揚感があった。急かすような皇太子の後に続いて早歩きで屋敷をあとにする。
平地を抜けて、森に入ってしばらくすると周囲を見渡した皇太子が歩調を緩めた。
「ここまでくれば大丈夫かな。ごめんね急ぎ足で」
「いえ……すみません、運動不足で」
ほんの少しの距離だがもう息が上がってしまっていた。それでも久々に自由に歩き回れることがうれしくて呼吸を整えながら笑顔で返した。
「昔はぎゃく――いや、なんでもない」
慌てて言い直した皇太子が、狩場とは逆の方向を指し示した。
「行こう、こっちにきれいな花が咲いてるんだ」
空色の瞳が優しく見下ろす。この方はどうしてこんなに嬉しそうに私を見るのだろう。
「11年前は、あなたが私を追いかけていたの?」
段取りをつけて問いかけるつもりだったのに、きちんと距離をあけて歩き出す背中に思わず質問をぶつけていた。しなやかな背中がぎくりと固まり、彼がゆっくりとこちらに振り返った。
「リンジー……思い出したの?」
緊張した面持ちの皇太子が恐る恐る口を開いた。水色の瞳が揺れている。聞いておいて、どう答えていいか分からなくなった私は黙り込んで、二人の視線が交差した。少し湿った夏の風が吹いて、木々がざわざわと音を立てた。
何か言わなければと口を開くと、不意に近くでパンッと乾いた音がして、そのすぐ後に周囲の木々から鳥がばさばさと飛び去って行った。一体何が起きたのか理解する間もないまま、血相を変えた皇太子が私の右手首をつかんで走り出す。
「殿下、さっきの音は――」
「銃声だ、狙われてる」
これまでとは打って変わって険しい表情のアレキサンダー様が、走りながらも器用に胸元から銀色の飾りのようなものを取り出し、口にくわえて勢いよく吹き込んだ。悲鳴のように甲高い音が周囲に響き渡り、驚いた鳥の群れで再び空がにぎわった。
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