5


 温室での会話から数日、陛下から外出の許可が下り、公爵の休日に合わせて王都へ出掛けた。からっとした陽気で、夏の日差しがさんさんと降り注ぐ、お出かけ日和の一日だった。馬車で中心地の仕立屋まで向かい、そこから図書館までは歩きで行くことになった。


 すっかり王都の流行をおさえたメアリが、つばの広い洒落た帽子を手に入れてくれたおかげで日焼け対策も万全だ。ドレスの注文を終えてにぎわう街を二人並んで歩く。王都を散策するのは占いぶりだろうか。あの頃とは随自分を取り巻く状況は変わってしまったが、街は相変わらず陽気な雰囲気だ。


 通りを歩きながら、温室で聞いた話を思い返した。公爵によれば、教皇領が軍事力を付けたことと皇帝の体調が思わしくないことまでしか公にはなっていないそうだ。陛下は計画をどう進めるつもりなのか。暗殺が成功したとしても、それが表沙汰になればそれこそ戦争になってしまう。


「リンジー!」

「きゃっ」


 考え事をしながら歩いていると、公爵の焦った声が聞こえると同時に、腰のあたりに何かが勢いよくぶつかって数歩よろめいた。


「いたた……」

 目の前には少年が尻もちをついている。どうやら走ってきたこの男の子とぶつかってしまったらしい。


「ごめんなさい! 大丈夫?」

 かがんで手を差し出す。小さな手がおずおずと伸びてきたので、ゆっくり立ち上がらせる。


 驚いた様子だが、少年にけがはなさそうだ。服の汚れを払いながらほっとしていると、後ろから父親らしき男性が慌てて駆け寄ってきた。


「勝手に行ったらだめだと言っただろう! 息子が申し訳ありません」

 男の子を叱りつけた商人らしき男性が、私と公爵の姿を見てかわいそうなくらい恐縮した様子で謝る。


 父親に促されるまま、しょんぼりした男の子も頭を下げた。

「いいんです、こちらも不注意で」

 慌ててそう言うが、男の子はすっかり落ち込んでしまっている。


「建国童話集を買ってもらったのか。落としたぞ」

 どう慰めたものかとまごついていると、男の子が落としてしまったらしい紙袋をいつの間にか拾っていたらしい公爵が、袋を手渡しながら、やや乱暴に男の子の頭を撫でた。


 公爵のくだけた様子に安堵した様子の父親を見て、ようやく少年の顔にも笑顔が戻った。国の歴史を子ども向けに描いた童話集を買ってもらったらしく、何の話が好きか尋ねる公爵に、『三人のはたらきもの』が好きだとはにかんで答えた。


 すっかり元気になった男の子と父親に手を振って別れた。式典が近いこともあって、国の歴史にちなんだ書籍が人気らしい。『三人のはたらきもの』は、帝国と王国の建国を題材にした童話だ。


 遠い昔のこと、村人に慕われた三兄弟に神様が特別な力を与え、長男と次男がそれぞれ今の帝国と王国を興したとされる。書物もない時代に口伝えで継承された話が、おとぎ話として定着したのだ。


 口さがないメアリは、神様がわざわざ降りてきたにしては加護がしょぼい、だの、王族を尊敬させるためにあとからつくったんじゃないかなどと話していた。幼いころから当たり前のように聞かされ、普通におとぎ話として気に入っていた私は、そんな見方もあるのかと驚いたものだった。


 懲りずに昔のことを思い返しながら大通りを行くと、立派な建物が見えてきた。中央図書館だ。身分が証明できないと入館ができないと聞いていたが、公爵のお顔が広いのかすんなりと入館できた。


 中へ入ると、すぐに資料室に案内された。どうやら公爵が根回ししてくれていたらしい。とりあえず見当をつけて、十年前の新聞を持てるだけ持って閲覧室に運び込む。


 新しい日付のものからさかのぼるように紙面を繰りながら、しらみつぶしに記事を探す。『教皇領の設置が決定』、『フォルスタッフ氏がいち早く帝国との貿易を開始』、『士官学校を創設 徴兵制を再検討か』――。見出しを読みながら、侯爵領が関わっていそうな話を読んでいく。


 これでは日が暮れてしまいそうだ。新聞紙の山を見てため息が漏れた。しかし紙面をさかのぼっていると、独立してから国の確かな成長を感じた。思えば私が幼いころは、書籍もかなり高価だったように思ったが、商人の親子も買えるようになったのだ。人の営みが積み重なって、今の王国の暮らしをつくりあげていることを実感した。


 夏頃の記事をみて、ふと手が止まった。今から十一年前のものだ。皇太子の長男、今の皇太子が初の外遊で王国へ赴くとあった。独立戦争後では初めてのことで、行き先は北東部。帝国ともゆかりある侯爵領にも滞在するとあった。


 この時に会ったのだろうか……。考え込んでいると、急にある場面が脳裏によぎった。昔よく遊んだ屋敷に近い林の中で、そばかすの目立つ金髪の男の子が、べそをかきながら私とカイルお兄様の後を追いかけてくる。あの少年はもしかして――。


「いたっ……」

 頭が割れるように痛んで、うつむくようにして咄嗟にこめかみに右手を当てる。


「大丈夫か」

 向かいの席に座って書類を見ていた公爵が焦ったように立ち上がる。

「えぇ、ちょっと頭痛がして」

 少しすると痛みが弱まった。ずきずきと尾を引くような痛みを和らげるように、こめかみをもむ。


 痛みがおさまって手を離すと、心配そうに見ていた公爵が何かに気付いたような声をあげた。

「あぁ、また汚れが」


 その言葉にはっと手を見ると、新聞のインクがついたのか指先が黒ずんでいた。またやってしまったのか。自分で自分に呆れていると、公爵が胸元を探り始めた。


 ハンカチを出そうとする公爵を止めて化粧室へ向かった。今日はハンカチの用意があったし、なんとなく公爵の持つハンカチを見たくなかった。


 化粧室で鏡を見ながら、濡らしたハンカチで汚れをぬぐっていると、後から貴婦人が入ってきた。レースのベールがついた帽子を目深にかぶっている。鏡越しに何気なく見ていると、レースの隙間を縫うように緑の瞳と目が合って思わず声を上げそうになった。


「大声を出さないで」

 背後から押し殺すような囁き声が聞こえ、よく知る香水が鼻腔をくすぐった。


「お姉さま、どうしてここに」

「公爵を見張ってたの」

 ジャクリーンお姉さまの言葉に絶句した。なにやら推理小説も顔負けの冒険をしているらしい。


「そんなことより、演奏会に出るでしょう」

 一体どうして知っているのか。やっとの思いで頷いて皇帝の意を表す。


「途中で抜け出して、ガゼボに来て。カイルといたベンチから噴水の方へ下りる途中にあるから」

「どうして? そこでなにがあるの? 途中っていつ?」


「演奏会が始まればわかるわ。いいから、お願い……!」

 懇願するような言葉に思わず分かったと伝えると、満足した様子の彼女が後ろからきつく私を抱きしめてきた。


「もう行くわ。陛下に気を付けて」

 耳元で囁くように言い残すと、聞き返す間もないまま、来た時と同じように去っていった。


 呆然としながら閲覧室に戻った。公爵に怪しまれないかと緊張したが、頭痛の心配をしているだけのようだった。


 演奏会のことは気にかかったが、今はどうしようもないのでなんとか気持ちを切り替えて、新聞の続きに目を通した。結局、訪問が予定された時期に当時の皇帝が崩御したことで、その後の紙面はその訃報と関連する記事で埋まっていた。崩御の報道が落ち着いたころに、皇太子の体調不良で外遊が中止になったと小さく後付けで載っていた。


 新聞をたたみながら考える。この外遊がなにか抜け落ちた記憶に関連しているはずだ。しかし中止になったとはどういうことだろうか。


 一年分を読み終えたが他に収穫はなかった。顔を上げると、閲覧室に西日が差し込んでいた。気付けばもう夕方になっているようだ。正面の公爵を見ると、もう書類を見終えたのか、何やら分厚い本を手に取っている。


 こちらの視線に気付いたのか、本に目を落としていた公爵が顔を上げた。目が合うと、オレンジ色に染まった顔が穏やかに微笑む。メアリの言った『男前』という言葉が思い出された。夕焼けのせいで赤くなった頬に気付かれなくてよかったと思った。


「ごめんなさい、すっかり待たせてしまって」

「大丈夫だ。読みたいものは見つかったかな」

「えぇ多分」


 いつの間にか見終えた新聞も片付けられていた。席を立った公爵に慌ててお礼を言って、図書館を出た。


 馬車で帰途につくなか、なんとなく公爵に過去のことを切り出した。口に出すことで頭を整理したかったのかもしれない。一度口を開くととめどなく言葉が出てきた。


 最近になって、今まで忘れていた幼少期のことを思い出したが、まだ何かを忘れているような気がすること。思い出そうとするとひどい頭痛がすること――。


 医師に化けた男に襲撃されたことも、思い出したことをもう一度確かめるように詳しく話していると、公爵の顔が苦しそうに歪んでいることに気付いて、大した傷は負っていないと付け足して話を終えた。


「でも、丸ごと記憶が抜け落ちることなんてあるんでしょうか」

 答えようのない問いだと思ったが、公爵は真剣に聞いてくれているようだ。ややあって公爵が口を開く。


「意識障害を起こしたとき、その前後の記憶があいまいになることがあると聞いたことはある。それに君の場合……」

「私の場合?」

 なにやら歯切れの悪い公爵に問いかけると、確信はないが、と前置きしてから答えた。


「ひどく傷ついたり、ショックを受けたりしたときに、人はその記憶を封じ込めることがあるらしい」

「記憶を、封じ込める……」

 なんとなく納得がいく気がした。


「無理に思い出す必要もないだろう」

「えぇ……、でも私なぜだか思い出さなくてはいけない気がするんです」

 黙り込む私を慰めるように言った公爵に、なぜだかそう返答していた。


 私はその記憶を思い出す、それもそう遠くない時期に。根拠はないが、そんな予感がしていた。


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