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気まずい沈黙を破ったのは公爵だった。
「私と君の……結婚についてだが」
独立式典でばたついているが、結婚の話も進んでいたらしい。式典のおよそ一月後に挙式を上げるそうだ。醜い感情をうまく切り替えられないまま、公爵の言葉にあいまいに頷いた。
「それから、私は白い結婚でも構わないと思っている」
驚いて公爵を見た。白い結婚……つまり、実態を伴わない結婚ということか。貴族の家庭で当然必要となる跡継ぎはどうされるおつもりだろう。
「君は男性が苦手なんじゃないか?」
「どうしてそれを……」
ぼろを出した自覚はあったが、言い当てられてうろたえてしまう。もしかして宮殿に出入りするアーサーお兄様が何か言ってくれたんだろうか。
「接していて分かったよ。詮索するつもりはないから安心してほしい」
落ち着かせるように公爵が言って、空いたカップに紅茶を注ぐ。慌ててお礼を言うと公爵が続けた。
「分家には優秀な男児が多いし、いざとなれば養子を迎え入れるつもりでいる」
(メアリ、無理やりどころか、ずっと出さないおつもりみたいよ)
心の中で呟いて、彼女が驚く姿を思い浮かべて小さく笑った。手を出されたって困るはずなのに、なんだか釈然としなかった。脳裏に鮮やかな青いドレスを着た美少女の姿がよぎって、胸がずきりと痛んだ。
その後も公爵が話を続ける。結婚に関連して、いくつかの行事に顔を出さなければいけないらしい。帝国側からも来賓を招く狩猟と、宮殿での演奏会は私の帯同も求められているそうだ。
演奏会には貴賤を問わず、各地から新進気鋭の演奏家が出演する。
「ゴードン・スパークですか」
「あぁ、好きなのかい」
挙げられる名前の一つに聞き覚えがあって繰り返した。確かチェンバロの名手だ。
幼い時に習っていたのでチェンバロには親しみがあった。そう言うと、君も姉上も上手そうだと公爵が目を細めた。
貴族男性が楽器を習うことは一般的ではないが、我が家では四人全員が習っていた。確かにジャクリーンお姉様も上手だが、一番上手な訳ではなかった。しかし、あえて言う必要もないかと黙って微笑んだ。
今後の予定を話し終えると公爵は紅茶に口をつけた。今度はこちらから話を切り出した。どうしても聞いておかなければならないことがあった。
「今の帝国と、教皇領の情勢を教えていただけないでしょうか」
「あぁ、茶会ではヘレナが失礼なことをした」
やはり相当近しいのか。名前で呼んだことへの驚きをそっと押し殺した。彼女のことよりも、情勢の方が気にかかった。
公爵は紅茶を飲んでから語り出す。
「独立戦争後の講和条約で、我が国が以前よりも領土を広げたことは知っているね?」
「えぇ、帝国に近い南東部を手にしたと」
トレランド王国が独立を勝ち取った背景にはいくつかの要因があった。独立戦争の数年前から、アルトザラン帝国は各地で悪天候に見舞われ、農作物が不作で国力が弱まっていた。そんな国内の事情を顧みずに侵略政策を進める皇帝に、国民のみならず政治の中枢からも不安視する声があったのだ。
帝国が弱体化し、皇帝が首都から遠く離れたタイミングで、王国勢力が独立戦争を仕掛けたのだ。そしてその混乱に乗じて、クーデターまがいに当時の皇太子が代替わりを成し遂げた。
新たな若き皇帝は戦争をすぐに終結させようと、王国側の条件をほぼ受け入れる形で講和条約を結んだのだ。その際、国境があいまいだった南東部は、その多くが王国に帰属することとなった。
頭の中で王国史を復習していると、公爵が頷いて続けた。
「近年、その南東部の地域に豊富な地下資源が埋まっていることが判明したんだ」
「そこまでは聞いたことがあります。周辺国の動きが活発になっているとか」
そうか、と呟いた公爵が少し黙ってから重い口を開いた。
「これはまだ公になっていないことだが、陛下は帝国と教皇領が手を組んでその地域を狙っているとみている」
「そんな……」
講和条約を破るなんて、また戦争を引き起こすつもりなんだろうか。愕然としている私を横目に、公爵が言葉を続ける。
「つい先日のことだが、教皇領は治安維持を名目に独自の兵力を持つと発表したんだ。帝国側は承知していたようで帝国軍からも人を割いているらしい」
教皇領は王国との国境に近い帝国内に位置している。同じ言語を話し、程度の差はあれ、ルカーナ教の教えに従う両国が、二度と争わないように監督するという名目で王国独立後に設けられた。
教会を運営する人材を育て、二国内に点在する教会に神官を派遣している。侵略当時には見て見ぬふりをしたのに何を今さら、と苦々しく思っている人も王国には多い。
「皇帝がそんなことを指示するなんて……」
今の帝国と王国の元首はどちらも優れた指導者で、民に愛されている。ながらく戦を避けていた皇帝が戦争に乗り出すなんて、にわかには信じられなかった。
「……陛下は事態の背景に皇帝陛下がいるとは考えていない」
公爵の言葉に少し考え込んで、導かれた答えにぞっとした。口に出すことはできないで、公爵を見ると黙って頷いた。
その動きに確信した。教皇領と手を組んでいるのは皇弟殿下だ。もしかしたら皇帝が臥せっていることも病気ではないのかもしれない。立ち聞きした計画に納得がいくと同時に背中に冷たい汗が流れた。
式典に合わせて一人の命が失われるか、数か月後、もしかしたら数日後に帝国との戦争が始まるかの二択を、この国は迫られているのだ。
周りの空気が冷たく感じられて思わず身震いした。
「今日は少し冷えるな、もう屋敷へ戻ろう」
目ざとく気づいた公爵がそう言った。気付けば紅茶も冷めていた。
公爵がマーティンを呼んで二言三言会話を交わしている。テーブルをみると、綺麗なカップケーキが手付かずのままだった。
郷愁にかられ、スコーンやクッキーばかり食べてしまって、もったいないことをした。もうお腹は満たされているが、あとで使用人に食べてもらえるだろうか。
会話を終えたらしい公爵がこちらを見ているのに気づいて姿勢を正した。公爵が笑顔で口を開く。
「ケーキは部屋にもっていかせよう。メアリと食べてくれ」
「いいんですか? ありがとうございます」
意地汚くケーキを見ていたことが恥ずかしかったが、きっとメアリは喜ぶだろう。想像して笑みがこぼれた。
席を立った公爵が椅子を引いてくれる。テーブルの隅に置かれた新聞に気付いて、思い切って公爵に声を掛けた。
「あの、過去の新聞を読めるようなところはご存知ないでしょうか」
「どれくらい前のものだろうか」
「十年ほど前のものです」
ここ数日感じていたことだが、どうしてか私は夢で見た過去のことを思い出さなければいけない気がしていた。けれどもあの日以来、過去の夢を見ていないので、なにかきっかけが欲しかったのだ。
「宮殿の資料室か、中央図書館であれば置いてあるはずだ」
「そうですか……」
資料室への立ち入りは難しそうだ。図書館であれば、式典が無事終わったころに行けるだろうか。
「お二人で行ってきたらよろしいのでは? ついでにドレスをあつらってはいかがですか?」
執事の言葉に公爵が気まずげに黙り込む。
「あの、お手を煩わせるつもりはないんです」
「いや、陛下に許可をとれるか聞いてみよう」
「よろしいんですか?」
「あぁ、悪いが私も同行することになるだろうが」
すまなそうに言う公爵だが、ありがたい申し出だった。お礼を言って頭を下げた。
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