5

 二人を止めてくれたのは予想外に若い男性だった。少年から青年に移り変わる時期特有の線の細さがあるが、すらっと背が高く、赤味がかった金髪が太陽を受けてきらきらときらめいている。その手にはなぜか日傘が握られている。


 いち早く落ち着きを取り戻したヘレナ様が立ち上がって深く礼をしてから口を開いた。先ほどのやり取りなどなかったかのような優雅さに舌を巻いた。


「あの、わたくしたち……」

「まだいるの? さっさと行きなよ」


 可憐な令嬢に、青年がにべもなく言い放った。羞恥からか、妖精の頬にさっと赤みが差す。居心地の悪さを感じながら見守っていると、二人は顔を見合わせた後深く礼をして去っていった。一瞬合ったヘレナ様の視線が、私をきっと睨んでいった。


「綺麗な顔して腹は真っ黒! 大丈夫だった?」

「はい、ありがとうございました」

 入れ替わるようにして隣に腰掛けた青年にお礼を言いながら、必死になってこの男性が誰かを考えた。二人のあの驚きよう、またとんでもなく身分が高い人だろう。


 かっちりとした帝国風の装いで、瞳は明るい空色、その下にほんのりそばかすが散ってる。どこかで見たような懐かしさがあったが、ふと思い当たった名前にそんな感情はふっ飛んで行った。


 答えが間違っていることを祈りながら、その名を口にする。

「あ、アレキサンダー皇太子殿下……?」

「うん、久しぶりだね」


 にかっと彼がほほ笑んだが、それどころではなかった。横に座っているのが隣国、アルトザランの皇太子だなんて、叫び出さないだけでも褒めてほしいくらいだった。


 呆然とする私を見て殿下が尋ねる。

「あれ、もしかして覚えてない?」

「ど、どこかでお目にかかったでしょうか?」

 皇太子にお目にかかるなんて一大行事、忘れるはずがないのだが……必死に振り返るも心当たりはなかった。


「ううん、僕の思い違いだったみたい」

 その返事に安堵した私は、皇太子が少しさびしそうにこちらを見つめていることに気が付かなかった。


 皇太子と並んで腰かけている異常事態にようやく頭が追い付くと、あいさつもしていないことに気付いた。知らなかったとはいえ、座ったままなんてとんだ失礼を働いてしまった。慌てて席を立とうと腰を浮かす。


「あぁ、座ったままでいて」

 そっと手を取られて制止され、迷いながら腰を下ろす。いいんだろうか、でもお願いに逆らうわけにもいかない。


「あの、リンジー・ダールトンと申します。お目にかかれて光栄です」

「うん、アレキサンダー。よろしくね」


 ひとまず腰掛けたまま名を名乗ると、私の左手を握ったまま、ご機嫌な様子で殿下が続けた。少年のような無邪気さ故か、接触していても普段、男性に感じる恐怖感がなかった。


「皇太子殿下!」

「あちゃあ、もう見つかったか」

 わらわらと皇太子のお付きらしき人達がベンチに向けてやってきた。この方、お付きを巻いてきてしまったんだろうか。慌てた様子の公爵も早歩きで向かってきている。


 小言交じりに皇太子と二言三言交わしたお付きの方々は、少し離れたところで待機するようだった。公爵と皇太子はにこやかにあいさつを交わしている。


「それで……私の婚約者がなにか不手際でも?」

「不手際? 彼女は何もしていない」

 あくまでも穏やかに公爵と皇太子が会話する。


「むしろされてた方かな。婚約中の相手を怒れる女狐の目の前にほっとくなんて、随分余裕だね」

「……会話を楽しんでいるとばかり」

「呆れたね。女性は口説けても大切にはしていないようだ」


 鷹揚な口調だが、公爵を咎めるような皇太子の口調にはらはらする。しかし先ほどの会話が楽しく見えていたなんて私の演技が上達したのか、それとも公爵がそういった女性の戦いに疎いのか……。


 失礼なことを考えていると、握られるままだった左手が、そっと皇太子の方に引き寄せられて我に返る。皇太子がにこにこと私を見下ろしていた。


「急に降ってわいた婚約ならまだ取り消しもできるんじゃない?リンジー、次の夜会では僕とも踊ってね」

「まぁ、殿下。お戯れを」

 勘弁してください、そう思いながらなんとか言葉を返した。公爵と婚約しただけでこの騒ぎなのに、婚約中の身で皇太子と踊ったりなんかしたら……想像するだけでぞっとした。


「彼女はここのところ体調があまり優れないので。申し訳ありませんがここで失礼いたします」

 にこやかにしつつも、やや唐突に差し出された手をとって席を立つ。周囲に人だかりもできていたので早く退散したかった。


「あ、待って」

 呼び止められて振り返ると、立ち上がった皇太子に日傘を手渡される。


「これ使って、暑いでしょう」

 受け取れないと断る私に強引に日傘が握らされる。ねだられるがままにその場で傘を広げると、心地よい日陰ができた。傘はうっすら緑がかっていて、上品なフリルがふんだんに使われている。


「うん、かわいい。緑にしてよかったな」

 嬉しそうに言われ、えぐられつづけた自尊心が少し回復した気がした。照れ臭い気持ちでお礼を言った。


「行こう」

 公爵に促されるままその場を後にした。道を行く公爵の先取りは、散策していた時よりも速くなっていた。不自然に見えないように気を付けながら早足で追いかけた。


「すまない」

 少し遅れた私に気づいた公爵が一瞬立ち止まってペースを落とした。


「いえ、こちらこそ……帰ったら私、もっと楽な靴をあつらえるようメアリに頼みますね」

 なんとなく間を持たせたくて付け足すと、不思議そうに私の足元を見た公爵が、あぁ、と何かに思い当たったようなため息をついた。


「別にそのままで構わない。その、似合っているし……」

「まぁ、ありがとうございます」

 意識してにっこり笑ってお礼を言った。気を使わせてしまったようだ。近くにいると、公爵の表情が強張っているのが見て取れた。


『大人っぽくなって綺麗だって――』はしゃぐ令嬢の言葉が脳裏をよぎって、胸の奥がまたつきんと傷んだ。公爵はどんな風にヘレナ様を賛美したんだろう。


 道すがら再び公爵の知人に囲まれ、私はつまらない思考を頭の片隅に追いやった。茶会は夕方まで続き、私と公爵は幸せな婚約者の仮面を被り続けたのだった。


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