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「オリバー様! 探しましたよ!」

 不意に公爵の背後から男性の声がして、はっと我に返った私たちは弾かれたように身を離した。


「コリングウッド伯爵、ごきげんよう」

 見事な変わり身の早さで、公爵が優雅に笑みを浮かべてあいさつする。


 コリングウッド伯爵……コリングウッド侯爵家の長男だ。まだ当主が現役で、複数持つ爵位を一つご子息に譲られたはず。侯爵家は過去には王妃を輩出したこともあるお家柄で、ガーフィールド公爵領の隣に領地を有している。名前で呼んだということはそれなりに親交も深いのだろう。


「あぁ、こちらがリンジー様ですか! お噂はかねがね」

 年のころはアーサーお兄様と同じくらいだっただろうか。金髪で恰幅のいい人だ。慌てて膝を折ってあいさつする。


「公爵のお耳に入れたいことが……」

「なんだろうか」

「実はその、少々込み入っておりまして」

 伯爵は意味ありげな視線をちらりと寄越した。どうやら私がいると都合が悪いらしい。


「オリバー様、行ってらして下さい」

「しかし――」

「あちらのベンチで待ってますわ」

 先ほどの落ち着かない空気の後だったので、渡りに船のお誘いだった。渋る公爵の背中を押すように笑顔で畳みかける。


「分かった。まだ手が汚れているかもしれないからこれを使ってくれ」

「ありがとうございます」

 公爵はなんだか浮かない顔で、伯爵に手を引かれるまま去って行った。



 その姿を見送り、ほっと一息ついて木陰のベンチに腰掛けた。心地よい涼しさに包まれながら、手の汚れをゆっくり拭って、ドレスの裾に取り除きそびれた草がないか確かめた。ハンカチには細かな刺繍が入っていた。上等な品だろうに、汚れていくのが申し訳なかった。


「お隣、よろしいかしら」

 歌うような声にはっと見上げると、日傘を差した二人の令嬢が目の前に立っていた。


「えぇもちろん。私リンジー・ダールトンと申します」

 立ち上がって端に詰め、令嬢たちに挨拶する。


「まぁあなたが。ヘレナ・コリングウッドですわ」

「ミランダ・クラウンと申します」

 二人がにこやかにあいさつを返して隣に腰掛けた。ヘレナ様は先ほどの伯爵の妹で侯爵令嬢、クラウン家は確か伯爵のはず。


 口元に手を当てて上品に驚いたヘレナ様は、目の覚めるように美しい人だった。結い上げられたつややかな白金の髪に透けるような白い肌。深い青の瞳を囲むまつげは瞬きしたら音が聞こえそうなくらい長い。瞳に合わせたのか、青いドレスがとてもよく似合っていた。確か私よりも二歳年下のはずだが溢れ出る気品があった。


(こういう方なら妖精って言葉もお似合いだわ……)

 思わず感嘆しながら兄の誉め言葉を思い出した。


 妖精の隣に座っているのも素敵な令嬢だった。豊かな茶髪は胸に下ろしていて、胸元のあいた黄色いドレスを着こなしている。くりっとした猫目が印象的だ。垢抜けた雰囲気の彼女から、わずかに敵意を感じるのは気のせいだろうか。


 違和感があったのも束の間、二人からにこやかに婚約を祝福されて笑顔でお礼を言った。他愛もない世間話が始まり、ぼろを出さないように緊張しながら笑顔で相槌を打った。


「あら? そのハンカチ……」

 ふと私の手元に目を留めたヘレナ様が不思議そうに首を傾げた。先ほどつまずいてしまい、手が汚れたので公爵から借りたことを説明する。


「よかったわ、先日お渡ししたばかりなのに、オリバー様ったらもう手放してしまわれたのかと」

 朗らかに言う彼女の言葉にぎくりと固まる。このハンカチ、公爵にヘレナ様が贈ったものなのか。異性にハンカチを渡すというのは好意の表現とされている。


 こちらの動揺をよそに、妖精は言葉を続けた。

「軍になんか出入りするから、しょっちゅう汚してしまうの」

「それでよくヘレナ様が差し上げてるのよね」

「えぇ、でもご婚約されたことだし、これからは控えるから安心なさってね」


 笑顔の令嬢に返事をしながらようやく理解した。このかわいらしい二人は私と公爵の婚約に納得していないのだろう。侯爵令嬢とはいえ、社交から遠ざかっていた人間が、急に婚約者におさまったことが不満で文句を言いに来たのだ。伯爵が公爵を連れ出したのもわざとだろうかと邪推する。


 その後も二人はどんなに両家が親しく、オリバー様がどんなに素晴らしいかを穏やかに話し続ける。

「でもオリバー様、なんだか最近様子がおかしいんですの」

「頬のお怪我もめずらしいものね……」

「えぇ、もう大分目立たないようだけど、先日お会いした時なんて真っ青に腫れてしまっていて本当に心配したわ」

 カイルお兄様が殴った傷のことだ。同調しながらも背筋が冷えた。


 あざが濃い時を知っているということは、つい二、三日前に会っていたということか。仕事で忙しいと思っていたが社交の場にも顔を出していたのだろうか、とぼんやり思った。


「先日って晩餐会のとき?」

「えぇ、そういえばその時に、紺のジャケットを着てくださいっておねだりしたの」


「あらそうだったの」

「最近あつらえたそうなんだけど、とってもお似合いなんだもの。リンジー様もそう思わない?」

「えぇ本当に」


 ヘレナ様の青いドレスと並んだら、一層素敵です、心の中で付け足した。夫婦や恋人同士が、同系色や同じ質感の衣装を着るのが最近の流行だった。


「でも悪いことしたわ、まさかリンジー様が舞踏会の時と同じドレスをお選びになるとは思わなくて……」

 ヘレナ様のお顔がしょんぼりと暗くなる。抱きしめてあげたくなるような可憐さだ。


「ヘレナ様のせいじゃないわ。新しくドレスはご用意なさらなかったの?」

「そうなんです……少し体調を崩していまして」

「あらそれはおかわいそうに。もうよろしいの」

「えぇ、ご心配ありがとうございます」


「それにしてもリンジー様って本当に幸運な方だわ。ガーフィールド様って理想の婚約者ですもの。さっきも……ねぇ?」

 ミランダ様がヘレナ様を見て意味ありげに微笑む。


 視線を追うようにヘレナ様を見つめると、彼女は頬をばら色に染めてはにかんだ。

「あら、恥ずかしいわ。オリバー様がただドレスを褒めてくれただけなんです」

「まぁ、ドレスだけなんて。すっかり大人っぽくなって綺麗だっておっしゃてたじゃない。笑顔も素敵だったわ」

 きゃあきゃあとかわいらしく騒ぐ二人の声が頭に響くようだった。


 公爵の横に青いドレスのヘレナ様が並ぶ姿を想像した。お似合いすぎてなんだか嫉妬の感情も湧かない。その後も、彼女たちの独壇場が続いた。お二人の学園生活での話や公爵の昔の話……嵐が過ぎるのを待つ気持ちで、曖昧に微笑んでひたすらに聞き役に徹した。


 くるりくるり、手持ち無沙汰に二人が手元に畳んだ日傘を回す。歌うような声が少しずつ心をえぐっていく。鮮やかなドレスを着た令嬢をぼんやりと見ながら、氷菓みたいだと思った。見た目もかわいくて中身だって一流。洗練されていて、だけどひんやり冷たいのだ。


 ふと周りを見渡すと、周囲に人が増えていた。軽く腹ごしらえして散策がてら足を延ばしたのか、手にグラスを持った人も散見された。遠くの方に公爵の姿も見て取れた。また伯爵とは別の男性となにやら話し込んでいる。


「そういえばリンジー様、訓練校に行ってらしたとか」

 あまり反応しない私に業を煮やしたのか、ミランダ様が意地悪そうに問いかけてきた。


「えぇそうですわ」

 別に恥じることはない。忌避されるだろうということはもう覚悟もできていたのでしゃんと答えた。


 二人はまあと口を押えて目配せする。

「きっとご家族思いなのね。使用人に身をやつそうだなんて……」

 私きっと耐えられないわ、そう瞳をうるませて、ヘレナ様が身を震わせた。


「ダールトン家も大変ですのね」

「なんだか最近政情が安定しませんものね」


「教会が独自に兵力をつけるなんて話も出ているようですし」

「え……」

「まぁご存知ないのね」


 ミランダ様が勝ち誇ったような笑みを浮かべるが、頭の中はそれどころではなった。最近カイルお兄様も教皇領で怪しい動きがあるといっていなかっただろうか。今何が起こっているのだろう……。新聞も久しく読んでいない。軍に所属する兄が心配だった。


 考え込んでいると、猫目がまた意地悪そうに光った。

「でもリンジー様のお家でしたら身の振り方も心得ていらっしゃいそう」

「まぁ、どうして?」


「一度お仕えする国を変えたんですもの。二度目も難しくないでしょう」

「あら、そうしたら帝国側にまた戻ってしまわれるってこと? せっかくお知り合いになれたのにさびしいわ」

 わざとらしく驚いた妖精が高らかな声で言った。


 家族への侮辱にかっと顔に熱が集まる。幼いときに喧嘩をしたときのように、怒りが全身を駆け巡った。


 ダールトン家は元々帝国の貴族だった。帝国に仕えていた祖父がトレランドの復活を狙う王族、後の国王に説得され、王国側について独立戦争に参加したのだ。以来、誠心誠意、王国に仕える祖父が、父が、家族がこんなつまらないことで侮辱されて怒りのあまり体が震えた。


 反論したい気持ちでいっぱいだったが、家族のためには黙っているのが賢明だと、どこか冷静になって考えた。失礼がない程度にあいさつしてこの場を去ろう。口を開こうとして、正面から来た誰かに先を越された。


「独立戦争で立ち上がりもせず、後からうまいところだけかっさらった家の人間がよく言う」

「なんですって! なんて無礼、な――」


 目を釣り上げて、正面の男性をねめつけたミランダ様がうろたえて言葉をなくした。猫目がかっと見開かれ、その顔色は見る見るうちに青ざめていった。


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