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「まったくお母様ったら信じられない! 私に嘘までついてリンジーを公爵と躍らせるなんて」

「だって舞踏会なのにダンスなしじゃつまらないじゃない。リンジーも楽しそうだったわ」

「そういう問題じゃないわ!」


 騙し討ちのような形の公爵とのダンスを終えてしばらくしても姉はまだ母に怒っていた。なによ、と口をとがらせる少女的な仕草もなんだか母なら似あってしまう。


 結局姉の友人夫妻からの呼び出しというのは母の真っ赤な嘘だったらしい。何度目か分からないやりとりに困った顔の父とため息をつく。アーサーお兄様はダンスの後に他の令嬢や仕事仲間に捕まってしまい、今も戻らない。


 公爵と別れた後、すぐに父とも合流して来賓に開放されている遊戯室や庭園、音楽演奏室などを見て回った。どこもかしこも壮大で素晴らしかったが、とりわけ気に入ったのは庭園だった。


 庭園に出るころにはすっかり日も落ちていたが、広大な敷地には夕闇でも楽しめるようにと蝋燭を灯したランタンがいくつも置かれていた。幻想的な雰囲気のなか、しばらく庭園を散策して、ベンチに家族で腰かけて歓談した。ふと夜空を見上げると、少し欠けた月と幾つもの星が瞬いていて、思わずため息が漏れた。花を楽しむことはできなかったが、また機会は来るだろう。


 大広間へ戻る道すがら、折を見て姉と連れ立って手洗いに立つ。気慣れない服のせいで手間取ってしまった。もう先に出て待たせているかもしれない。大広間へ向かう廊下を少し早歩きで進む。


 不意に後ろから名前を呼ばれると同時に腕を引かれる。きゃっと声をあげて顔を見ると、ここにいないはずのカイルお兄様だった。


「お兄様!? 一体ここで何をなさってるの?」

「ご挨拶だな、アーサーから聞いてお前を見にきたんだよ」

 行くぞ、ここだと一目に着く、と手を引かれ大広間とは逆方向に歩き始める。


「待ってお姉さまが!」

「ジャクリーンならさっき会った。父上と母上に俺が一緒だって伝えるよう頼んである」

 兄は慣れた様子で早足に道を行く。追いつくために小走りでついて行くと庭園に出た。生垣の近くに華奢な白いベンチが置かれている。


 兄が疲れた様子でどっかりとベンチに腰をおろす。裾に気を付けながらその隣に腰かけ、慣れないヒールで疲れた足をようやく休ませる。


 夜半の空気は冷たく、ショールを体に巻き付けた。散策していた人たちもみな広間へ戻ったのか庭園には人気がない。

 結構歩いたような気がしたが、会場からそう離れていないのか、音楽や笑い声がそれと判別できるほどには聴こえてくる。宴もたけなわで、あと数曲でお開きになりそうだ。


 もしかしたらあのまま大広間に戻っていたら、またお母様に強請られて誰かと踊ることになっていたかもしれない。無骨な兄だが彼なりに気を利かせて連れ出してくれたんだろう。


「それで? 何があった?」

 口を開くなり、尋問のような口調で聞かれる。表情をみると心配してくれているようだが本当に不器用な人だ。


「大丈夫よ。一曲踊っただけ」

「手をつないだのか? 倒れなかったか?」

 血相を変えた兄が畳みかけるようにして言う。まるで幼い子扱いだ。最初に体調を崩しかけたことは言うまい。



「見ての通りよ。至って元気です」

 胸をそらして言うと、若干腑に落ちない顔をしつつも、兄は納得したようだった。


「それならいいが……。まったくあの人は何考えてるんだか」

 お兄様もお母様に何か結婚関係で迫られているのか、ぶつぶつと恨言を吐き出す。


 そんな兄を尻目に先ほどのダンスを振り返る。公爵のおかげもあって、仕切り直してからはそれなりに踊れた気がする。上出来とはいえないまでも、及第点くらいはつけられるんじゃないだろうか。会話も意外に楽しめた。きっと私よりずっと教養溢れる令嬢を相手にしている公爵には物足りなかっただろうが。そう思うとなぜか少しだけ胸が痛んだ。


「それよりお兄様は仕事じゃなかったの?」

「例の出迎えはお抱えの護衛を帯同してたんで用済み。宮殿の警備に回されたんだ」

 なんでも送迎からとんぼ返りして、宮殿に戻っていたんだとか。妹のデビューを知った上司が気を利かせて、早く切り上げていいと許可してくれたらしい。


「そうだったの……ねぇ、それよりなにか言うことなくて?」

 立ち上がって見せつけるようにドレスの裾を軽く持って広げて見せる。


「あ? 俺はそういうの苦手なんだって」

 げんなりした顔で勘弁してくれと兄が言う。


 何かを無理強いすることは滅多にないが、こんなに着飾れるのは今日が最後だ。思う存分に駄々をこねたい。

「だめ! ちゃんと言って」

「ほら、あれだ。緑で葉っぱぽくていい。靴も白い」


 えーとかうーんとか言ったのちの言葉がこれである。絶望的だ。

「……お兄様まで結婚できなかったらお母様本当にどうかしてしまうわ」


 なんだよちゃんと褒めただろ、などとぶつくさいう兄がふと尋ねる。

「ちなみに兄貴はなんてほめたんだよ」


「……森の妖精」


「は?」

「だから、森の妖精」

 数秒置いたのちお兄様は腹を抱えて笑い出す。我慢していた私も吹き出してしまう。


 笑い疲れたところでふと沈黙に包まれる。広間から聞こえる音楽に耳を澄ませる。有名なワルツだった。おそらくこの曲で最後だろう。


「それじゃ森の妖精さま、お手をどうぞ」

「あら嬉しい」

 ゆっくりと立ち上がったお兄様が差し出す手に右手をつないだ。


 音楽に合わせてステップを踏む。公爵と踊った時よりも単調な動きだがずっとリラックスして楽しめた。しかし地面が芝生なことと、足にがたが来ていることもあって何度かつまづいてしまう。


「きゃっ」

「おーまだ持ち上げられた」

 何度目かのつまずいたタイミングで、バランスを崩して転びかける私は兄が抱き上げ、そのままぐるぐると回る。昔遊んだときのように声を上げて笑い声を上げてしまう。


 二、三回まわった後にそっと地面に降ろされる。少しふらつく私を、めずらしいことにそっと兄が抱き締める。

「どうしたの?」

「辺境での任務が一年伸びたんだ」


「え……」

 それまでのはしゃいでいた気持ちが一気に萎んでしまう。家を出たら、次期侯爵となる兄はもちろん、伯爵夫人の姉とも簡単には超えられない身分の壁ができる。軍所属で比較的しがらみのない次兄とはもう少し気軽に会えるんじゃないかと頼りにしていた。


「そうなの……仕事なら仕方ないわ。王都にはいつまでいるの?」

「独立記念式典が終わるまでの予定だ」

 少し緩んだ手からそっと抜け出しながら尋ねる。大体あと一ヶ月か。きっとその期間は警備で忙しいだろう。


 落ち込む私を励ますように両肩に手を置いてカイルお兄様が力強くいう。

「きっと一年で戻ってくる。まだまだ下っ端だけど、必要なときはいつでもお前の力になるから」

「ありがとう。お体に気をつけてね」

「まだ早いだろう」


 不安はあるが、心配させたくない。なんとか笑顔で告げるとほっとした顔で兄が言い返してきた。


 ぱきん――枝が折れたような乾いた音がして我に帰る。いつの間にか音楽も終わっていた。

「いけない。そろそろ戻らなきゃ。みんな待ってるわ」

「あぁ、行こう。足元に気をつけろよ」


 兄が素早い動作で動き始める。こんな風にして兄は軽やかにどこかへ行ってしまうんだろうか。のどのあたりに熱いものがこみあげてくる。いけない。


 ばれないようにわざと少し立ち止まって、兄が遠のいたのを確かめてから、ほっと気を緩めると、涙が頬を滑り落ちた。跡に残らないようにそっとそれを拭って、深呼吸を繰り返して落ち着いてから、兄の後を追いかけた。




 その背中を別の人影が息をひそめて見つめていた。



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