愚者も歩けば企みにあたる
1
たくましい軍服の腕に抱かれ、鈴を転がすような笑い声を上げる令嬢。
その表情を見た途端、歪んだどす黒い感情が男の胸に渦巻いた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇
軽快な音で王都を走る馬車。時間が早いこともあって、道はまばらだ。小窓を開けると早朝の澄み切った空気が、馬車の中へ吹き込んでくる。手元ではためく新聞をおさえながら目を通すも、ふと気づくと男は先日の舞踏会のことを考えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
社交シーズンの始まりを告げる宮殿主催の舞踏会。その数日前、旧知の女性から男のもとに一通の手紙が届いた。幼いときに何度か遊び相手になってくれた女性だったが、ここのところ久しく連絡を取り合っていなかった。
懐かしい気持ちで便箋を開くと、無沙汰を浴びるあいさつとともに、舞踏会に彼女が家族と参加する旨と、久しぶりに話したいという文言が美しい字でつづられていた。
しきたりに厳しい社会では、ともすれば突飛で無礼とも思える手紙だったが、悪い気はしなかった。差出人の、どこか人を振り回す天真爛漫さを思い出して男の口角が自然とあがる。
「フランチェスカ様ですか。お懐かしい」
横に控えていた執事のマーティンが目を細めると目元のしわがさらに増えた。
「どうやら舞踏会でなにか話があるらしい」
「話ですか……一体何のご用件でしょう」
「さあな、手紙では触れていない。それにあの方のやることはいつも想像を超えてくるから……。長男が宮殿で働きはじめたと聞くから顔をつなげたいのかもしれない」
考え込みながら言うと、執事は納得がいったようだった。
ダールトン家の長男は家督を継ぐまえに宮殿に仕えている。優秀で人当たりもよいと評判だ。その有能な長男が母親を通してなにか仕事の話をしたいのかもしれない。
思案を巡らせながらも、男は楽しみにしている自分に気付いた。複雑な歴史がありながらも、侯爵は立派な人物で国によく仕え、その子どもたちもなかなかの評判だった。
何より、あまり子どもらしい幼少期を送らなかった小憎らしかったかつての彼を、なんとか楽しませようと無茶をしつつかわいがってくれた侯爵夫人の存在が大きかった。彼女の子どもたちなら会ってみたい気がしたのだった。
そんな思いで迎えた舞踏会当日、陛下へのあいさつを済ませた後で夫人とその一家を探していた。知り合いや友人につかまりながら大広間を歩いていると、それらしき人物をようやく見つける。
彼女は若い男性と、長椅子に腰かけた令嬢となにやら問答しているようだった。男性は公爵に似た髪色で、女性はもう少し明るい栗色の髪をしている。その手に指輪はつけていない。
(未婚……とするとあれが秘蔵の末娘か)
歩みを進めながら男は推測する。ダールトン家の四兄弟は出来のいい長男にはじまり、見目のいい双子、そして末娘が続く。華々しい上の三人の陰で、王立の学園にも入らず、社交からも遠ざかっている末っ子の存在は人々の興味を駆り立てた。
下世話な噂を好まない男でさえも、様々な憶測を耳にしたことがあった。いわく、病弱で寝たきりだとか、姉以上の美人で父親が心配して領地に閉じ込めている、いやその反対でものすごく醜いのだ――などなど。
どうやらどれも外れていたらしい。少々ぎこちなくも、きちんと淑女の礼をとる姿を見ながら男は思った。薄い緑のドレスで着飾ったリンジーと名乗る彼女は、華奢ではあるが至って健康そうに見えるし、不細工ではないと断言できる。
美人と評判の姉とは面識がないので比べようがないが、美しすぎるというほどではないだろうか。ただ、と男は思った。遠巻きに見て感じた柔らかな雰囲気は好みだと。
こちらの無礼な考えを気取られないように観察していると、その母親からダンスをするように誘われる。それまで如才なく立ち回っていた次期侯爵がにわかに取り乱すが押し問答の末、彼もその場を離れていった。
彼女の思惑は分からなかったが、男は礼儀正しく娘を誘った。
踊りはじめてすぐに、男は令嬢の関心が自分にないと分かった。これまで分かりやすく女性から好意を寄せられることは幾度もあったし、相手を見定めたうえで気軽な恋愛を楽しんだこともあった。しかし、今日の踊りの相手はこちらには目もくれず、会話をする気もないようだった。
ならば一層、なぜ根回しまでして踊りに誘われたのか。不思議に思っているうちに、相手の顔色が青ざめていった。注意深く様子を見ていると、次第に足ももつれ、つなぐ手も冷えていく。それとなく壁際に移動して、人の輪から外れて落ち着かせる。
回復した様子の彼女が、どこか落ち込んでいるような気がして、気が付いたら男はもう一度手を差し伸べていた。再び踊りだした彼女の様子を見極めながら、男は段々とダンスの難易度をあげ、ついてこられなさそうなところでまた基本動作に戻った。
このころには会話もできるようになったらしい。会話を何往復かするとすぐに、令嬢が嘘や誤魔化しが致命的に下手なことがわかった。少し踊りの振り付けを変えるとすぐに表情と声にぼろが出る。
悪趣味だと思いつつも、彼女自身に興味がわいてそんなことを繰り返していると、完全に困った様子の彼女が口ごもってしまった。真剣な表情がかわいらしくて、おかしかった。つい笑ってしまうと、令嬢は暗い表情で身をすくめ、罪悪感が男を襲った。
話題を変えると、相手は分かりやすく安堵し、ほっとしたような笑みを小さくこぼした。男はなぜかそれに気をよくして、当たり障りのない会話を続けるのだった。
曲が終わるころ、それを少し残念に思うことが男は意外だった。駆け引きのない会話とダンスは久々で思っていた以上に楽しめた。本心を混ぜつつ世辞を言って令嬢と別れ、その場を後にした。
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