街角の魔術師

1

「ご令嬢、あんたいま岐路に立っているね……」


 頭巾のついた、黒に近い紫のマントをきた老婆がしわがれた声でゆったりそう告げる。甘いのにどこかピリッとした嗅ぎ慣れない不思議な香りが充満した部屋に、その声は不思議とよく響いた。


 昼間だというのに分厚いカーテンは閉まっており、その合間からさすわずかな初夏の陽光といくつかの蝋燭の炎だけが部屋を照らしていた。薄暗さも相まって意識がぼやけていく。


「まぁ」と横で邪魔にならない程度に、そしてあくまでも上品に姉のジャクリーンが感嘆の声を上げた。


 お姉様には申し訳ないが人は占星に頼りたいとき、おまけにその相談料が平民の月の稼ぎの半分にあたるような高級占い師を選ぶような場合、ほぼ確実にそのお客は人生を左右するような大きな悩み事を抱えているんじゃないだろうか。


 しかも明日は社交シーズンの幕開け。大抵の貴族令嬢にとって結婚は人生最大のイベントといっても過言ではない。人生の伴侶を探し、探される重要な季節の始まりだ。


 お忍びの散策のため、普段よりずっと簡素な装いをしてはいるものの、私たち―特に隣に凛と佇む姉が―貴族ということはどう贔屓目に見ても全く隠しきれていない。


 甘い香りとゆらめく炎にぼんやりしながらそんなことを考えていると、占い師のおばあさんが憮然とした様子で言葉を続けた。

 先ほどの謎めいた雰囲気とは打って変わって、幼い子に小言を言うような気安さだ。


「嬢ちゃんあんた信じてないね」

「いえ、そんなことは――」

 シャボン玉が弾けたようにはっとして、慌てて否定する。せっかく見てもらっているのに申し訳ない。だけどこの後なんと続けたらいいんだろう。こういう時に咄嗟に機転が回らない自分が恨めしい。


「まあいいや。あんた、名前は?」

「リンジー・ダールトンと申します」

 しまった。動揺していたこともあり、急な問いにうっかり素直に答えてしまった。まもなく家を出るとはいえ、侯爵家の人間が街の占い師に気軽に身分を明かすのはいかがなものか。


 しかし目の前の夫人はこちらには目もくれず、なにやらぶつぶつ呟きながらベルベットの布が敷かれた机にカードを並べ始めた。二十枚ほどのカードを敷き詰め、裏返したり、表にしたりしたかと思うと、数枚を残してカードをしまった。


 視線をおそらくこちらに戻すと再び響く声で告げた。

「大きなうねりがあんたを待ち構えてる。飲み込まれるが、助けは過去に隠れてる。困った時は鳥があんたを導くよ」


 ……なんとも微妙な結果だ。鳥だけはやけに具体的だが、過去の経験を生かして困難を乗り越えろ、というよくある教えに近いんだろうか。これから宮殿で働く身としては大きなうねり、なんて思わせぶりな単語に少しおじけづいてしまう。


 なんだかんだその場の雰囲気にのまれて真剣に聞いていると、私以上に真剣な表情で聞き入っていた姉が、鳥のほかになにか自分で備えられることはないのか尋ねた。占い師はそうさねぇ…と少し考え込んでから続けた。


「できるだけ踵の高い靴を履きな」

「高い靴……ですか」

「そうだよ。でも身動き取りにくいのはだめだね。ぎりぎり走ったり踊ったりできる高さにしな」


 一体どんなカードを引いたらそんな助言に行き着くのか。ヒールの高い靴が役立つ場面をなんとか思い浮かべようとしていると、珍しくはしゃいだ様子の姉が「まぁ! では早速買いに行きましょう」と輝くばかりの笑みを見せた。


 姉はそのまま軽やかに席を立ち、これまた優雅に一礼して部屋を出ていく。呆気に取られつつも、続いて挨拶し部屋を出ようとすると、占い師にあんた、と呼び止められた。


 占いの結果を疑ったことにまた気づかれてしまったのだろうか。少し怯えながら振り返ると、彼女が続けた。


「がんばんな。何かあったらもう一度ならただで見てあげるよ」

 フードからわずかに除く口元は、分かりにくいが弧を描いているようだ。


「ありがとうございます。機会がありましたら」

 住み慣れた領地を離れ、王都での新生活を控えた身にはたとえお世辞でも素直にうれしかった。申し訳ないことに占いはどうも信じきれないけど。軽く膝を曲げて再度お礼を告げ、姉を追った。


 占いの館を出るとあたたかな日差しが降り注ぐ。薄暗さに慣れた目を眩しさに瞬きながら深呼吸すると、心地よい新緑の香りがした。不思議なお香も不快ではなかったが、この清々しさは格別だ。


 これまで過ごしていた王国の東北部に位置する領地はまだまだ冷え込みが厳しく、こちらよりもひと月ほど遅れて新芽が芽吹く。普段より一足早い初夏に浮き足立つ。


 姉の言うことには、帝国からの独立五十周年の式典を控えた王都はいつにもまして賑やかだそう。そこかしこに露店が並び、お菓子や女性向けの装飾品、国旗などをあしらった雑貨が売られている。大道芸や楽器の演奏も盛んで、街全体が活気にあふれている。道ゆく人々はなんとなく領地よりも洗練された雰囲気で、わくわくしつつも少し気後れしてしまう。


 街の喧騒に目もくれず颯爽と街を行く姉に通りすがりの人が自然と見とれて道を開ける。艶のある栗色の髪が風に吹かれて柔らかく揺れ、緑の瞳は生き生きと輝いている。配色は一応同じはずなのに、上品さと美しさがこうも違うのはなぜか。


 そんなことを考えながらしばらく歩くと、大通りに面した靴屋に入った。店内は若い女性で賑わっている。姉に気づいた店主がにこやかに近づいてくる。


「ジャクリーン様! ようこそいらっしゃいました」

「えぇ。今日はこの子に何足か見繕いたくて」

「さようでございますか。どんな靴をご希望でしょう?」

 そうねぇ、と姉と店主のやりとりが弾み、華やかでかわいらしい靴がいくつも並べられていく。


 促されるままに試していくと、二人はああでもないこうでもないとまた新しい靴を並べていく。試し履きをして気づいたが、ヒールの高さはあるものの見た目よりも歩きやすい。人気の秘密だろうか。なによりデザインが素敵でつい見惚れてしまう。試し履きを終えると、姉が満足げに口を開いた。


「この深い緑のハイヒールと色違いの……白がいいわね。それからそちらの革靴を四色頂くわ」

「待って! 私そんなに履ききれないわ」

「あらきっと必要になるわよ、あなた手持ちが一足だけでしょう? 就職祝いも兼ねて贈らせてちょうだい。ね? お願い」


 結局交渉の末、舞踏会や式典用にも履いていけそうなハイヒールと普段の仕事に履く少しヒールのある革靴をそれぞれ2足ずつ買ってもらった。デザインはもちろん気に入ったし、お洒落な姉と店主のお墨付きなら心強い。ありがたく履かせてもらおう。


 露店を冷やかしながら大通りを少し歩き、家から使わされた馬車に乗り込んで帰宅の途についた。五年前に嫁いだジャクリーンだが、この週末は実家の町屋敷に滞在する。


 向かい合わせに腰掛け、あのお店が素敵だった、占いのおばあさんのお香はなんだろうなどと今日の散策について盛り上がる。一通り思い思いに話した後はなんとなく小窓から外をみやる。夕焼けをぼんやりと眺めていると、姉が徐に切り出した。


「ねぇ、リンジーあなた本当に養子に出なくてはだめなの?いくら王宮とはいえ急に侍女として生活していくなんて……。我が家に来てもらってもいいのよ。今ならまだ撤回できるわ」

「お姉さま……」


 姉はどこか焦ったような顔で畳みかけるように続ける。

「働きたいんなら家庭教師でもいいんではなくて?旦那様に聞いたんだけど、取引のある商会に刺繍を出すこともできるそうよ」

「いいのよ。お姉さま、ありがとう。でも私楽しみなのよ。もちろん不安はあるけど」


 温室で大切に育てられた根っからのお嬢様で、たまに天然を発揮する姉だが本来は心配性のしっかり者。独身の貴族女性の身の振り方を彼女なりに調べてくれていたらしい。


 姉夫婦には一昨年かわいらしい女の子が誕生したが、世継ぎとなる男児はまだ生まれていない。嫁ぎ先は保守的な地域で、跡継ぎを生んでいない姉の立場はまだ強固なものではないだろう。義兄が納得していても義兄側の家族も受け入れてくれるかは微妙なところだ。なにより、万が一にも仲のいい2人の不和の原因になることは避けたかった。自分にうまく立ち回れる度胸も器量もない。


「でも……」

「みんなの心配もわかるけど私だって学校できちんと準備してきたわ。それに兄弟みんな王都にいてくれるでしょう?」

 領地にいるときより、きっと頻繁に会えるわ。そう簡単にはいかないことを知っていたが、希望を込めて口にする。


 自分で選んだことだ。姉に話した言葉に嘘はない。嫁ぐという選択肢をどうしても選べなかった私に家族は充分すぎるほど尽くしてくれた。


「それに――」

 あの怪しげで雰囲気のあるおばあさんを思い浮かべて笑みをこぼしながら付け加えた。


「占い師様のお墨付きもあるわ。ヒールの高い靴もね」

「あなたったら……。そうね、きっと大丈夫ね」

 姉も積まれた靴箱に目をやり、そっと微笑んだ。

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