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 姉と買い物に出かけた翌日、早速買ったばかりのハイヒールを履いてみた。姉や母と同じ緑の目で鏡を見ていると、なんとなく髪型も凝りたくなってしまって、侍女の助けを借りていつもより凝った編み方でまとめてみた。


 姉よりもほんの少し暗い私の栗毛は癖が強く、いつも簡単にまとめるだけだったが、熟練の技術で久しぶりに貴族令嬢らしくなった気がする。朝食のために食堂へ向かうと家族が勢ぞろいしていて、思わぬ人の姿に心が躍った。


「おはようございます。カイルお兄様! 戻ってらしたのね!」

 辛うじて挨拶をして駆け寄るように兄のカイルに抱きつく。少々はしたないが、しばらくぶりに会うせいか、大目に見てもらえたようで両親からのお咎めはなかった。


 ジャクリーンとカイルは双子の兄妹だ。母親似の兄は子どもたちの中で唯一の金髪で、幼い頃はそのことで散々姉と私に妬まれてうんざりしていた。少し巻き毛の華やかな金髪に緑色の瞳、整った顔立ちで、幼い頃は女の子によく間違えられていたが、その反動か、見た目のわりにやんちゃでたくましく、早いうちから独立したいと士官学校に入り、そのまま軍に入隊してしまった。


「おう、昨日帰ってきたんだ。久しぶりだな」

「それなら部屋にきてくださればよかったのに」

「行ったさ。そしたら気持ちよさそうにぐうすか寝てた」


 まったく口の減らない兄だ。「淑女の寝室に勝手に入るなんて失礼ね」。笑いながら抗議のつもりで軽く握った拳で胸を打ちつける。しばらく会わないうちにすっかりたくましくなってしまったようで全く効いていないのが少し寂しい。


 騎士団に所属する兄は遠方での二年間の任務を終えて王都に帰ってきたばかりだ。普段は独身寮に入っているがこの夏は式典に合わせて各地から騎士が警備のために引き上げて王都に滞在するため、実家や親戚の邸宅など、拠点がある者は寮を出ることが許可されるそうだ。


「僕に挨拶はなしかい?」

 さみしいなぁと続けるのは長男のアーサーだ。いずれ家督を引き継ぐ兄は、王立学園で学び優秀な成績をおさめ、現在は宮廷で文官として仕えている。最近はお母様を筆頭に結婚をせっつかれているが、仕事を言い訳にうまくかわしている。


「ごめんなさいお兄様。おはよう」

「おはよう。いつもと髪型が違うのかな? 似合ってるね」

 妹二人のあしらいに慣れ、学園でマナーを完璧に叩き込まれた兄だ。ちょっとした変化に目ざとく気づいてさらりと褒めてくれる。


 姉や私よりも暗い、こっくりとした艶のある茶色い髪に、祖父譲りのヘーゼル色の瞳が優しげに輝く。将来有望で見た目だって悪くないのに、昨日聞いた話では、アーサーお兄様よりもカイルお兄様の方が女性からの人気があるらしい。曰く、ちょっと粗野なところに魅力を感じるんだとか。結局派手な美形がいいんだろうか。思わず二人を見比べてしまう。


 すると目があった次男にじとっと睨まれる。

「なんか失礼なこと考えただろう」

 慌てて否定するより先にお姉さまが笑いながら割り込んだ。


「リンジーったら。昨日カイルがお兄様よりご令嬢に人気だって教えたのが信じきれないのね」

「お姉さま、言いつけるなんてひどい」

「君は分かりやすいからね。光栄だよ、ありがとう」

 おかしそうに笑い声をあげた長兄にとりなされる。


「さぁ、みんな席について。今日は忙しいよ」

 にこやかにやり取りを眺めていた父がグラスをスプーンで軽くたたいて注意を集めた。今日は社交シーズンの幕開けを飾る王宮舞踏会が開催されるのだ。伯爵以上の上位貴族がここぞとばかりに着飾り、短い夏を楽しもうと国中から集まってくる。我が家も警備に駆り出されるカイルを除いて全員が招待されている。


 父の合図を受けた使用人が給仕をはじめ、清潔な白いクロスのテーブルに豪華な朝食が供されていく。久々の再会を喜びながら、みんなで話に花を咲かせた。話題の中心は来月の独立記念式典だ。


 王宮の舞踏会を皮切りに、今年の夏は狩猟大会や、王立公園での茶会、屋外演劇の上演など行事が目白押しで予定される。こうしたイベントを終え、来月に開かれるのが最重要行事として国を挙げて進める独立記念式典だ。


 元々独立国家であったトレランド王国は八十五年前、南に位置する強大なアルトザラン帝国に攻め込まれ、まもなく併合された。しかし、王族の生き残りが旧王国勢力と合流してひそかに力をつけ、五十年前に蜂起して独立を勝ち取ったのだ。


 以降、皇帝の代替わりを経て二国間はおおむね友好関係にある。今回の式典では、アルトザランの皇帝が直々に参加する予定だ。王国としては、いまなお繁栄し大きな影響力を持つ帝国との友好関係をアピールして周辺国を牽制したい狙いがある。


「なんと。皇帝陛下の体調が思わしくないらしい」

 執事が手渡した新聞に目を通した父が顔を曇らせた。記事によると、皇帝はここ一カ月ほど原因不明の病で床に臥せているらしい。


「それなら教会の勝手も納得だ!奴ら、最近やけに教皇領に兵力を集めて妙なんだよな」

「あんまりそういう情報を軽々しく話すものではないよ」

 少し興奮した様子の次男がなるほど、と相槌を打ち、長男がたしなめた。教皇領は王国との国境にほど近い帝国内に位置し、ルカーナの教えを両国に広めている。なにやらそこできなくさい動きがあるようだ。


「でも……もし皇帝陛下がお目見えにならなかったら我が国の外交は困ったことになるんでしょう?」

 静かに会話を聞いていた姉が尋ねると、なにやら思案気な長男が口を開いた。


「まあ帝国側としては代役を遣わすしかないだろうね。弟の皇弟殿下かもしくは――皇太子殿下か」

 皇太子、という単語に一同がぎくりと身を強張らせたのは気のせいだろうか。不思議に思って周りをうかがっていると、兄のへーゼル色の瞳と目が合った。


「そんなお話おやめになって」

「これは失敬」


 どことなく重くなった雰囲気を変えたのは意外にもお母様だった。公爵家の出で、箱入り娘らしい純粋さを残しつつも、夫をそっと支える良妻として名高い母が、いつになくぴしゃりと言い放った。かと思うと無邪気な笑みを浮かべて続ける。

「そんなことよりも今夜の舞踏会が大事だわ。リンジー、あなたもう用意したドレスは見て?」


 そこからはもっぱら舞踏会の話で盛り上がった。招待された顔ぶれや食事、楽団の予想に始まり、何度か参加した長男がこれまでの舞踏会で起こった珍事をおもしろおかしく紹介した。次男による、軍隊ならではの警備目線の解説も新鮮で家族を楽しませた。


 話題は姉が買ってくれた靴の話にも及んだ。

「このハイヒールならきっとあのドレスにも合うと思うわ」

お姉さまが自分のことのように楽しそうに話し始めると、購入に至るまでの経緯を聞かれ、ことの顛末を二人で話して聞かせた。


「どんなカードを引いたらそんな適当な結果になるんだよ。ぼられたんじゃないか?」

 結果に呆れ、相談料の高さに驚いたカイルが胡乱げに言い放った。


「そうか? その占い師のことならよく噂で聞くよ。実際お忍びで言った貴族も知っているし」

 王都で顔の広いアーサーが穏やかに反論した。


「なんでも占いの精度はぴかいちなんだけど、気まぐれで予約がなかなかとれないらしい。金額を倍出すって言っても断られた人もいたそうだよ」

 そんなに名高い占い師だったのか。なんとも現金な話だが、靴をもらってよかったと思う自分がいる。


「それに良心的な値段なんじゃないか?」

「そうよね、お兄様」

 ……自分でお金を稼ぐ必要のない二人には良心的らしい。家を出てゆくゆくは自分で生計を立てなければいけない私と次男とは感覚が違うのかもしれない。ほんの少し惨めな気持ちでいると、同じようにげんなりした顔の次男と目が合った。


 自分の表情は棚に上げて、人の顔を見てぷっと噴出した兄がせっかくきれいに結い上げた髪をぐしゃぐしゃとなで回す。

「お前はこっち側だと思ったよ」

「……およしになって」

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