混沌とする世界樹

「グレイ公爵令嬢に生まれついたわたくしは、血胤を護るべく、嫁ぎ先がすべて」

「ゴホッ、だから、なんだって言うんだ!」

「この力はすべて夫の、ヴィラン・バケーションハウスのために、全力を尽くしますわ……!」

「ヒィイ!」


 ふたりは頭を抱えてその場に伏せたが、なにも起こらない。恐る恐る辺りを見渡すと、再生の泉に白い煙がたっていた。

 氷の霧だ。

 泉に浮かぶ花々が一瞬にして凍り、砕け散った。

 バタフライ泳法で華麗に現れたのは、


「ふ、冬の魔女……!」


 ブランシェだ。

 これにはクロドも目を丸くした。


「ブランシェ、に……、手が、足が、ある。動いている!」

「この杖のお礼として、お兄さまに冥界から取ってきてもらったの。ヘルトユート王国に嫁ぐから封印を解くことはできないけれど、せめて手足くらいはと」

「くらいは、って、そんな簡単に」


 クロドの力をもってしても、千年つなげられなかった手足だ。


「セリーヌ様の指導のもと、断面に焼きつけられた闇の炎を信号に変換し、神経とつなげてみました。結果、大成功です」

「火の魔女、セリーヌ嬢がここに?」

「ええ。彼女にとってブランシェ様は命の恩人。是非協力させてほしいと、いっしょに考えてくださいましたの」


 闇の炎はグレイ公爵家の血胤にしか操ることはできないが、火の仕組みに関してはセリーヌの専門分野。偶然、ふたりが居合わせたことで奇跡的に成し得たのだった。


「それから、ヘルトユート王国は嫁ぎ先ではなくなったので、たった今封印も解いちゃいました」

「解いちゃいましたって、そんな簡単に」

「簡単でしたわよ? 封印は、ブランシェ様の手足がなければ解けない。つまりは、手足こそが鍵でしたの。わたくしは鍵穴を、ブランシェ様にお伝えしただけ」

「鍵穴は泉の底だ。まさか潜水泳法が必要だとはな。夏に水泳を嗜んでおいてよかった」


 自身の指で髪をかきあげ、泉から上がってきたブランシェは、冷気で身体を乾燥させると、ジュリアナに抱きついた。


「お嬢ちゃん……っ! ありがとう!」

「ブランシェ様っ、冷たい!」

「ああ、すまない。完全体は千年ぶりだ。制御が難しいねぇ……っ!」


 ブランシェの荒々しい語気トーンに、群衆がその場に凍りついた。

 無事生身でいる人間はグレイ公爵家御一行にヘルトユートの王家と聖女、無駄に鋭い勘と運動神経で逃れたアドリアンだけだ。

 ユートは剣を握らず聖女にすがった。


「このままでは世界中が凍ってしまう! 君の力で、冬の魔女を倒してくれ……!」

「えー、いいけどお。神さま、お願いできる?」


 聖女のひと声で世界樹にひと筋の光が落ちる。

 羽衣をまとった和装の女神が、枝に腰を落とし手を振った。

 聖女が鼻を鳴らす。


「あの雪女をやればいいのね?」


 クロドがブランシェを庇うように前に立ったが、ジュリアナはその横で花の笑みを浮かべた。

 

「キャハ……! こんなにはやく禁忌魔法が試せるなんて……!」


 聞いたことのない笑い声だ。クロドと共に、そばにいたグレイ公爵家御一行が震え上がった。


「ジュリが! キャハって!」

「おい、なにをするつもりだ」

「なにって。禁忌魔法で召喚しますのよ」

「だれを」

「冥界の神、イヌビス様を……!」


 歌をうたうように詠唱し、指揮をとるように杖を振ると、白銀の世界樹がたちまち闇に染まった。空が口を開き、黒炭を滴らせる。


『人間ごときが妾を呼びだすとは。魂を差し出さねばならぬことを承知の上か』


 喋るたびに降る黒炭の雨が、凍った衛兵を黒く汚していく。

 ジュリアナは上目遣いで頬にはえくぼをつくり、願い出た。


「元魔王のクロドに免じてどうかお許しを」

『なにぃ? クロドだと。船の外へは決して出てはならぬ決まりだ。まさかとは思うが、そこにいるのか』


 クロドは透明マントで難を逃れた。

 船とは、ヴィラン・バケーションハウスのことだ。

 合点のいったジュリアナがすかさず話しをそらす。


「イヌビス様。下界にて神の采配が必要となるときは、無償での召喚が可能でしたわよね?」

『ふむ、そのとおりだが』

「では、あの女神をご覧くださいまし」

『女神……? おい、貴様。日の本の神だな。異世界の神がここでなにをしている』


 イヌビスの声音にすくみあがった女神は振っていた手を引っこめ押し黙った。

 代わってジュリアナが申し開く。


「聖女に加護を与えております」

『聖女だとぉ?』

「異世界から転移させたと、小耳に挟んでおりますが」


 ジュリアナは、母エルサ仕込みの話術で聖女にまつわるエトセトラをまくしたてた。


『なにぃ? 過失致死で異世界転移!? その上チート能力を授けただと!」

『も、申し訳ございません〜!』

『未曾有の事態じゃ、今すぐに神謀りを行うぞ』

『ぃやぁあぁ〜! それだけはどうかご勘弁を〜!』


 女神は冥界神イヌビスにより黒雲に吸い寄せられるように、瞬く間に連行されていった。

 空が明るくなり、辺りがしん、と静まる。

 

「えっ、とぉ……」


 聖女がぽりぽりと頭をかく。


「雪女、やっつけられなくなっちゃった」

「はぁ!? なぜだ! 君は、聖女なのだろう!」

「加護なしでも?」

「加護が、ない……、聖女など、まるで価値がないじゃないか!」


 王子もひどいことを言う。

 クロドは、透明マントのなかで聖女の能力開示を忘れなかった。

 無論、女神のいない聖女は、無力だ。?の羅列が消え、ひと桁の数字がならんだ。残念ながら王子の言ったとおり、聖女の価値は皆無。そこいらの平民より低い。


「俺がイヌビス様を召喚するつもりだったんだが……、ジュリアナのおかげで手間がはぶけたな」


 クロドが召喚していれば、舟から出た罪は、当然償わなくてはならなかっただろう。


「ああジュリアナ……、なんていい女に生まれ変わったんだ……」

「あのー、もし」

「はい?」


 フードをはずし、首だけとなったクロドに話しかけたのは、エルサ・グレイ。ジュリアナの母だ。


「失礼ですけどあなた。元魔王で、娘のジュリと結婚するってほんと?」


 クロドは口もとをによによさせて、言い切った。


「はい。かならずや幸せにしますので」

「そう? じゃあ、図々しいんだけど、未来の旦那様にお願いしてもいい?」

「お母さまのお望みとあらば、なんなりと」

「そのマント、貸してもらえないかしら。馬車に乗るまででいいから」

「お安い御用ですよ」


 痴話喧嘩がとまらない聖女とユートを背景に、クロドはグレイ公爵家御一行へ人数分の透明マントを配った。


「もちろん差し上げます。欺瞞の森でも役立ちますので」

「あらほんとう? すっごく助かったわー! 娘ももらってくれてありがとうね!」


 母にとって自分はマントと同価値かと思うと腑に落ちないジュリアナであったが、まあいい。涙で水溜まりを作るだけの父と兄を一瞥し、クロドの手をとった。


「聖女も無害となったわけですし、わたくしたちもはやくこの場を離れましょう」

「ば!? 勝手に、俺にさわるな!」

「えっ」


 妻は夫の許しがなくては触れてはならないのか。


「失礼いたしました。元魔王ですものね、以後気をつけます」

「ち、ちが! ほら、まだ片付けねばならない敵がいるんだよ!」

「聖女以上の?」


 覇気のある、野太い声がとおる。

  

「わたしのことかい」

 

 忘れてはならない、ヘルトユートの現国王ユート十九世だ。聖女から聖剣を奪い、ブランシェの前に立ちはだかった。


「グレイ公爵令嬢、息子の心ない婚約破棄については謝罪するが、冬の魔女を復活させた罪は重いぞ」

「なるほど、勇者の末裔と聖剣の組み合わせはまずいですわね」


 遠慮なく王へ杖を向ける。

 終始口を開けて見ていたブランシェもまた、拳を鳴らして立ち向かうが、今度はクロドがふたりを制した。


「お前たちは下がってみていろ」

「ですが、聖剣は城を切り裂くほどの威力がございますのよ」

「だからと言って、妻に頼ってばかりいるのは、性分じゃないんでね」


 自分で言って、んんんっ、と悶える。


「妻……!」

「聖剣より強い武器があると?」

「いいや? もっと恐ろしいもんだよ」


 クロドは胸ポケットから呼び笛を取り出すと、いつもより長めに吹いた。その間隔はシマさんの召喚時に値するものだ。ジュリアナがシマさんの魔法がみられるのかとワクワクして待っていると、たしかに降り立ったのはシマさんだが、その背には


 傾国の美女、マリエルが乗っていた。


「ほんとうに、私の願いを叶えてくれる王がいるんでしょうねえ」

「ええ、そちらに」


 クロドが王を中指で差して言う。


「なによ、年寄りじゃない」

「ヘルトユート王国の王、ユート十九世でございますよ。堕としがいがあるかと」

「世界樹の? ……ふぅん?」


 マリエルはシマさんの背中を滑り下りると、王の足もとで腰を落とした。まじまじと見上げる。


「ヘルトユート……、戦好きで有名な、大国じゃないの!」


 心が決まったようだ。ジュリアナとは異なる、妖艶な上目遣いで願いでた。


「王様ぁ、私、つま先を失って歩けないの。抱き上げてくださる?」

「お、ぉおぉ……」


 王はマリエルと目を合わせた瞬間から、堕ちている。

 背後で王妃が金切り声をあげた。


「おぉ……、なんと、うつくし、いや痛ましい……」

「婚約していた王子に裏切られ、足の指を切られてしまったの。私のために復讐してくださいな。南の山の向こうの国よ」

「お、おおぉ……、よかろう……」


 カラン。

 聖剣が虚しい音をたてて地に伏せる。

 王はマリエルを横抱きにすると、金切り声の王妃を従え、城へ入っていった。

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