婚約式典

 ヘルトユート王国の冬は、冬の魔女ブランシェの存在を讃えるかのごとく、雪に覆われた。たとえ空が晴れていても、世界樹の枝に積もる雪が風で落ち、吹雪はやまない。春まで石畳とはお別れだ。

 だが第一王子、ユート二〇世とジュリアナの婚約式典だけは、馬車の轍が城へと続く道を示したのだった。


「バルドレンは、冬を乗り越えられるかしら……」


 控え室で、ちいさくつぶやく。

 白いドレスを身にまとい、鏡の前に立つジュリアナの顔色は、秋と変わらず物憂げだった。

 兄シリルが励ますように鏡越しに語る。


「聖女が消えた今、心を入れ替えた王太子が国じゅうの魔導師を集め、魔法石を精製していると聞く。以前ほどではないものの、暖炉に焚べる薪くらいは補充できているだろう」

「そう、よかった。ところでお兄さま、鏡に映りこまないでくださる。せっかくの婚約式が呪われてしまいそうよ」

「ひどい! 気にしてるのに!」

「それと、約束のものを出して」

「まったく……、可愛い妹のためとはいえ、探すのに苦労したんだぞ?」


 白いスーツケースを床に広げ、中身を鏡越しにみせる。


「たしかに、ほんものだわ……! お兄さま、ありがとう!」


 呪われると蔑んでからの抱擁。

 妹のあざとさを理解していても、やはり嬉しいものである。シリルは咳払いで嬉し涙を堪えた。


「王子との婚約が条件だったからな。約束は約束だ。しかし、ほんとうにやる気なのか?」

「もちろん、今日しかないもの」

「そうか」


 シリルはそれ以上は何も言わず、控え室を出た。


「うわぁあああん! お兄さまを置いていかないでジュリィ!」

「えっ、なに」


 涙が決壊したシリルとすれ違い様に、紅いドレスの女が扉の前に立つ。

 守衛の騎士が戸惑いながら、ジュリアナへ判断を仰いだ。


「失礼ながら、ご友人とお約束がございますか」

「わたくしに?」


 うっすらとビアンカの顔が浮かぶが、ジュリアナに友達と呼べる人間などひとりもいない。


「セリーヌ・フレミー侯爵令嬢と名乗られておりますが」

「まあ……! お通しして」


 ドレスの裾をつまみ、おどけて現れた令嬢は紛うことなき、火の魔女セリーヌだ。


「ご無事でしたのね……!」

「ええ。今日はお祝いに」


 招待状のなかにフレミー侯爵家の名をみつけてはいたが、セリーヌが来てくれるとは。


「あなたに会えたことが、最高のプレゼントですわ。あれからガーディアンはみつかりました?」

「いいえ。でも、もういいの」


 腰の近くで手を添え、ポンポンと音を鳴らせて叩く。


「ヴィラン・バケーションハウスから、素敵な贈り物が届いたのよ」


 目に見えないものを掲げて見せた。


「透明な巾着。クロドの発案で、ビアンカが作ってくれたの。感情が昂ったときに、余分な熱量をこの巾着へこめれば不思議とおさまるのよ」

「まあ……! ビアンカの紡いだ糸は、魔力も吸い取るのですね!」


 ジュリアナは感心して宙をみつめた。

 布は火が弱点だと思いこんでいたが、袋状にして包んでしまえば魔法を無力化できるのだ。作りようでは最強防具、いや街ごと覆ってしまえば無敵の王国になり得る。ビアンカの特殊能力に改めて脱帽させられた。

 セリーヌが胸を張る。


「アイラの罪状が明らかとなり、私はバッチを取り戻した。このまま首席で卒業、来年にはフレミー家の当主よ。もう男になんて頼らない!」

「頼もしいわ」


 弱々しく手を叩く。

 セリーヌを素直に祝えない自分に、ジュリアナは胸を苦しくさせた。


「……羨ましい」


 グレイ公爵家の習わしに縛られて、男に頼らざるを得ないのは自分だ。まるで殻を破れないサナギのよう。

 気落ちしたジュリアナをセリーヌが気遣う。


「マリッジブルーかしら。そういえば、ヘルトユート王国へ越してきてから、ハウスへ行っていないの? ビアンカが手紙で寂しそうにしていたわよ」

「ビアンカ……、そう。でも、ハウスへは行かない。聖女がいるもの」


 ジュリアナが人生においてもっとも関わりたくない人間。それが、聖女ハルカだ。

 

「聖女なら、少し前にハウスを離れたと聞いているけれど」

「そう」


 よかった。では参りましょう、とはならない。

 彼女はこれからも悪役としてヴィラン・バケーションハウスへ立ち入ることができる。その可能性がすべてだ。

 ハチ合わせなど二度と御免こうむる。だからこそ、ハウスで過ごした時間を思い返しては、胸を詰まらせているのだ。家族以外で、はじめて自分の居場所だと思えた場所だからこそ──。


「みんなに会えず、寂しい思いをしているのはほんとうよ。せめてその気持ちだけでも伝えに行かなくちゃ」

「伝える? 誰に、どうやって」

「ちょっとそこまで」


 スーツケースを両手でかかえて控え室を出ると、守衛へ「彼女とリハーサルに」とひと言、裸足のまま会場へと飛び出して行った。




 ヘルトユート王国第一王子の婚約式典は、婚姻式典や戴冠式典と同様に世界樹ユグドラシルの根もとで行われる。王子とふたりきり、再生の泉を舟で渡り、愛を誓い合うのだ。その一部始終を見届けた観客たちは泉のほとりで、祝いの花を手向ける。泉に浮かべられた花は永久に枯れることなく、水面を彩る。


「この下にブランシェ様がいらっしゃることを、みんなは存じ上げているのかしら」

「それでジョンアナ、彼女のことなんだけど」

「ジュリアナです」


 舟に乗る一歩手前、王子と共に現れたのは二度とその面を拝みたくなかった聖女ハルカ。ジュリアナはうんざりと、人を蔑む角度に首を傾けた。


「なるほど。ユート様は王国にとってよりよい伴侶を選んだと言うわけですわね?」


 未だ謎多き闇の魔術の総てを知り得るため、ユートはジュリアナを娶ろうと目論んだ。だが婚約式典を前にして、闇の魔術よりずっと強力な、神の力を思うがままにあやつる聖女が現れた。

 天秤にかけた結果が、これだ。

 ユートの肩に聖女の烏羽色の髪が枝垂れかかった。


「よろしいのではなくて? おふたりは髪色もお顔立ちもよく似ていて、お似合いですわ」

「そ、そんなあっさりと、いいのか」


 口火を切った本人が困惑している。


「ほらね! 彼女ならすぐに許してくれるって、私の言ったとおりでしょう? 彼女にとって結婚は形式上のもの。ユートのこと、愛してなんかなかったのよ」


 聖女の軽やかな言葉さばきに、ユートは思わず心に深傷を負った。秋の誕生日パーティーで出逢い三ヶ月。自分なりにゆっくりと愛を育んできたつもりだったのに。


「おのれ……! 魔王の手先、グレイ公爵家の娘め! 王太子妃の立場を利用して、王国を乗っ取るつもりだったのだな!」


 ユートが腰にさしていた剣に手を添える。それだけでジュリアナは婚約破棄された悲劇の令嬢から、抹殺すべき謀叛人へと立場を変えた。


「どうしてそうなるの」


 呆れたジュリアナもまた悠然と腰に手をあて、杖をとるが。


「そういうことなら、私がジュリを貰い受けよう!」


 耳馴染んだ声に吐き気を覚える。

 人生において二番目に会いたくない人物が目の前に現れた。

 ジュリアナの元婚約者、バルドレン王国の王太子アドリアンだ。


「ジュリがヘルトユート王国の王子と婚約すると知らせが来て、あれに乗って急いで来たんだ!」


 見上げれば、ちいさな飛行船のようなものが、世界樹の枝に引っかかっている。


「アドリー、乗り物の発明に限っては称賛しますが、許可なしに国境を超えてしまっては立派な侵入になるのでは?」

「あ」


 間の抜けた反応に、周りの緊張が和らぐ。


「ジ、ジュリを取り返すためだ! このまま戦争になったってかまわない!」

「頼んでないし、あなたのもとへ戻る気もないわ」

「えっ」


 今度は一度ほどかれた緊張の糸がもつれ、場が混乱し始めた。衛兵が集まりふくらむ雑踏に、ジュリアナは深い溜め息を吐く。

 この状況を放っておいたら、打算的なユートがひと足先にアドリアンを侵略者として捕らえ、バルドレン王国との戦争へ持ちこむだろう。祖国に降りそぼる銃弾を想像し、総身を震わせた。


 それだけは、絶対に避けなければならない。


 今ならまだ、二組のカップル成立で平和に終われる。

 アドリーが迎えに来てくれたわ! わたくしは彼と結婚します! ありがとうさようなら!

 そう叫ぶだけだ。

 ジュリアナは、祖国の民のためにアドリアンの胸へと飛びこむことに決めた。もう目に入れたくもないので、目をつむっていこう。


「ジュアンナ! 行こう……!」

「ジュリアナなんだけどなぁ」


 あーあ。

 暗闇で思う。

 どうして、私の名前すら呼べない男と添い遂げなければならないのか。

 ジュリアナ。

 私の名前って、そんなに語呂が悪い?

 家族にすら、愛称でしか呼んでもらえない。

 はじめて正式な発音で耳に聞けたのは、そうだ。

 ヴィラン・バケーションハウス。

 支配人のノワ・クロドだけが、ジュリアナと呼んだ──。


「……クロド」

「御用でございますか」


 まぶたを開ける。

 ユートとアドリアンの間でクロドが跪き、ジュリアナへ手を差し伸べていた。


「どうして……?」

「わたくしを呼んだのは、あなた様でございましょう」


 ジュリアナへ二つ折りの紙を差し出す。昨夜、クロドへ送り返した本にはさんだ紙だ。


 ──三つ目の選択肢がまだ残っているのなら、迎えに来て。


 およそ叶いそうにない、願いをしたためて。

 クロドは笑った。


「お迎えは千年に一度きり。特別の特別ですよ」


 ジュリアナはその手をすがるようにつかんだ。

 するとクロドは華麗に立ち上がり、ジュリアナを自身の胸のなかへと引き寄せた。

 それから悪態を吐く。


「百本吸ってきたのに、クソッ、クラクラする」


 煙草の吸い過ぎでは?


 二度目の横やりにユートが頭を痛めたように、こめかみをおさえて言う。


「お前は──? 忘れてはならない、誰かのような気がする」

「勇者の血が騒ぐのでしょう。魔王を殺せ、──と」

「魔王!?」


 広い会場にどよめきが起こる。


「もと、ですよ。元、魔王。我が弟バルドレンの子孫アドリアンよ、貴様の血は騒がないのか」

「弟……? まったく」


 阿保づらで固まるアドリアンの顔にクロドの要素はひとつもないが。


「クロドが、……バルドレン王の、兄。つまり、王族?」

「血でしたら、純血も純血です」

「では、わたくしを娶ると今すぐ約束をして。婚約破棄は不可よ」


 クロドは胸ポケットに手を這わせると、何を思ったかシケモクを取り出し、火をつけた。

 先端をジリジリと言わせて吸いこむ。ユートとアドリアンの顔面へ煙を吐き、ようやく言葉を紡いだ。


「俺の台詞だ、ジュリアナ。元魔王の妻となれ」

「はい、喜んで!」


 あっさりとした返事をかえしたあと、クロドから離れたジュリアナは、ゲホゴホ咳こむふたりの鼻先で杖を振った。

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