滅国姫のお見合い
追い出されるようにしてハウスから戻ったジュリアナはそのまま、新居の大理石の床をヒールで打ち鳴らし、兄シリルの待つエントランスへ向かった。
シリルは妹の手を取ると、鼻先まで頬を寄せ、スンと音を鳴らして嗅いだ。
「ジュリ、獣臭いぞ。無邪気に骨つき肉にでもかぶりついていたのか」
いや、かぶりつかれていたの間違いだ。シマさんに組み敷かれたジュリアナは、聖女がカウンターを離れるまで、顔じゅうをねぶられていたのだった。
「やっぱり、まだ匂います? おしぼりで拭いたのですが」
「おしぼり……?」
シリルにとって普段聞きなれない単語であるが、今のふたりには説明の需要供給をしている暇はない。
「今すぐにシャワーを浴びて、二十分で支度なさい。先方には少し遅れると伝えておくから」
「はい」
「ジュリ」
ひるがえったドレスの裾を目で追いながら、控えめに呼ぶ。
「気乗りしないのなら、断ってもいいんだぞ」
「いいえ、お兄さま。一〇分で準備いたします」
ジュリアナは兄へ淑女の笑みを捧げつつ、心のなかで溜め息をついた。
今宵、ヘルトユート王城で第一王子の誕生パーティーが催される。秘書を務める兄シリルの同伴者として出席するのだが、ジュリアナにとってはヘルトユート王国の社交界デビューであり、兄シリルにとっては主君と妹をひきあわせる見合いの場。
ヒールの高い靴をはかなくったって、足は重くなる。
シャワー室を出たジュリアナは風の精霊に髪を乾かしてもらいながら、すがた鏡の前に立った。今宵、ジュリアナを彩るのは返り血に濡れたグレイ公爵家の象徴色、真紅色のドレスだ。ジュリアナのくすみひとつない白い肌には、いささか浮いて見える。
「……やっぱり、いつものドレスを着ていこうかな」
クロドだって、なにも言ってくれなかったし。
不健康な支配人の顔が思い浮かび、げんなりとした。
だが彼の、悪役令嬢への思慮深さは本物だ。真摯に願い出ればぶつぶつと文句をこぼしながらも、悪役令嬢らしいドレスやアクセサリーを見立ててくれるだろう。
悪役令嬢を志すならば。
「そもそも悪役って、決してなりたくてなるものではないわよね」
では悪役令嬢は、未来ある来世のために悪役を演じるのか。そんなの、現世は不幸ですと背中に貼り紙をして歩いているようなものだ。
ジュリアナはいつものカナリアイエローのドレスへ着替えた。鏡の向こうの顔は、昨日より少し大人びてみえる。
「ジュリアナは、ジュリアナよ」
クロドに贈られたパンプスに足を滑りこませると、五分で馬車へと飛びこんだ。
「わぁ……っ!」
それからすぐに荷の重さを忘れ、馬車の外の景色に胸を熱くさせた。
城からながめる世界樹は、細くのびた枝が王国を覆うようで幻想的だったが、下から望むと空の色がわからないほどの緑と枝が、重なり合い、音を奏でている。壮観だ。
そして王城は樹の根本に寄り添うようにして建っていた。城の周りにだけ水堀があり、衛兵が橋をおろさないと入城できない仕組みになっている。
物見から身を乗り出していたジュリアナは、シリルに馬車のなかへと引き戻されながら、感嘆の声をあげた。
「城は王国の象徴として建つだけではなく、あらゆる危害から世界樹を護っているのですね! バルドレンの王宮とはまったくちがう」
「あの国は、鉱山という自然の砦に守られていたからな。陸つながりの国はほとんどこんなもんだよ。城内は魔法円での転移も禁止されている」
「まあ、不便ですわね」
「その代わりに在宅ワークが増えたから最高」
つり目を最大限にゆるませる。
感情とは真逆に鬼みたいな形相だ。
ジュリアナは願った。
どうかお兄さまに春を。お城で強面好きなご令嬢がみつかりますように。
「さあ、着いたぞ。城のなかは広いから迷わぬよう、かならずそばにいるように」
「では決して、この手を離さないでくださいまし」
と、言って馬車を降りたジュリアナは、晩餐会の会場へ足を踏み入れ、三歩で置いていかれた。
千年経った今、グレイ公爵家の悪行は、おとぎ話のなか。魔法使いの家系のものたちにとっては、鉱山のなかに長年隠され続けた闇の魔法に興味津々なのだ。外交では恐れられるばかりであったシリルは喜び勇み、導かれるまま先を急ぎ、最愛の妹は忘却のかなたへ。
遠ざかっていくシリルは、首もとの紅い蝶ネクタイで、ニワトリに見えた。
「妹のエスコートすら疎かにするなんて。やはり、お兄さまに結婚は難しいわね」
ジュリアナはシリルの背中を恨めしげに見送ると、人の出入りの激しい、別室を選んで入った。お腹が空いたのだ。その部屋には軽食と飲み物が揃えられており、ジュリアナは目を輝かせた。さすが王子の誕生パーティーといったところか。大盤振る舞いの一句に尽きる。
ひとしきり皿に盛ると、ジュリアナはそのまま中庭へ出た。少し肌寒いがやむを得ない。
──闇の滅国姫。
会場から中庭に出るまで、何度囁かれたことだろうか。ときに物珍しげに、ときに悲鳴まじりに。どうやらジュリアナはバルドレン王国を滅亡へと追いこんだ張本人としてすでに有名らしい。
指でサンドイッチをつまみ、溜め息とひとりごとを吹きかけた。
「滅国姫さま、サンドイッチをいただきまーす」
「僕にも、もらえる?」
尋ねておきながら、その男はジュリアナの指からサンドイッチをさらっていった。舞踏会だというのに、白いシャツとパンツにロングブーツを履いただけのシンプルな服装をしている。その周りに人気はない。
「……ここは、口説かれたい女性が待つ場所でした?」
「いいや。君を口説きたいのは僕で、そのために人は払ったけれど。問題あるかな」
「ありますわ。わたくし、これからお相手しなければならない御方がいますの」
「しなければならない? まるで乗り気ではないようだ」
「残念ながらそのとおりです」
「なるほど。役目はきちんとこなすから、腹ごしらえくらいさせろってことか」
指についたマスタードを舌で拭う。
そのしぐさは子どものようにつたないものでいて、高貴な色気をまとっていた。
「じゃあ、食べ終わるまでは僕が君をひとりじめしていい?」
「お好きに。わたくしを誘う物好きな殿方など、あなたぐらいですけど」
「そうかなあ? みんな、君の美貌に目が眩んでいるよ」
「怖がっているの間違いでは」
「闇の滅国姫ってやつ?」
男は無邪気にカラカラと笑った。
「まあたしかに、公爵家を失ったバルドレン王国は魔力の枯渇で滅んだも同然だ。だからって、娘の失恋ごときで国をでるな? ひどいよねぇ、公爵家との婚姻がいかに国にとって重責であるかを考えず、婚約破棄したのは王子だろうに」
「……詳しいのね」
「みんな知ってるよ?」
ハムを口に貯えながら言う。
「闇の滅国姫には悪いんだけどさ、公爵家にはみんなすごい期待してるよね。なんてったって、光も水もない鉱山のなか、魔法だけで千年も王国を保っていたんだから。生活魔法だけでも学ぶことが多そうだ」
「生活魔法で終わればいいですけれど」
「あれ? もしかして君、あんまり王国を信用してないかんじ?」
「ええ。正義を振りかざし、未だに小国の土地を奪取していると伺っておりますもの」
「はっきり言うなあ。まあでも、蟻だって集まれば木を腐らせるからね。その前に始末しなくちゃ!」
はつらつと笑い飛ばすその男を、ジュリアナはあけすけに眉をひそめ、尋ねた。
「サンドイッチを差し上げたのです。先に名乗っていただけます?」
「これはこれは、大変申し遅れました」
男はその場に跪きジュリアナの手をとると、クロドのように落ちた黒髪を耳にかけ、言った。
「ヘルトユート王国第一王子、ユート二〇世と申します。以後お見知り置きを」
手の甲に唇を落とす。
「それでは、あなたの番ですよ。お名前を教えていただけますか」
「……ジュリアナよ。闇の滅国姫ジュリアナ・グレイ」
「それ、自分で言うものなの? 気に入った! いっしょに踊ろうジャナリア」
「ジュリアナです」
第一王子ユートはジュリアナの手から皿を奪うと、強引に会場へ誘いこみ、夜がふけるまで踊り続けた。
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