公爵家のお引っ越し
バルドレン王宮では舞踏会の真っ最中。尋ねずともわかる、王太子の新しい婚約者、聖女ハルカの第八回歓迎式典だ。ダンスフロアの天井や壁を季節はずれの春の花で彩り、流行りのワルツを流している。
私物を取りに寄り道をしたグレイ公爵家一行は、正面の扉から堂々と入室した。
先頭のカナールの鬼の形相に、踊り手が波のようにひいていく。兄シリルが両手をひろげれば、最奥の玉座まで美しい道ができた。
王の足もとまで歩をすすめ、礼を尽くす。
次に母エルサが無邪気な笑みを浮かべ、前にでた。
「お久しぶり、お兄さま! 私を抱きしめていただける?」
「もちろんだ、エルサ。さあおいで」
王はエルサを抱き寄せると、その肩越しにカナールへ厳しく問いかけた。
「お前たちの娘を気遣い、招待を諦めたのだが正面から入ってくるとは。今でなくてはならない、用があるのかな」
「ええ、それはもう早急に許可をいただきたく、一家で馳せ参じました」
「そうか。では、申してみよ」
「わたくしカナール・グレイ、本日をもって宰相の座を退かせていただきます」
「しり、……は?」
耳を疑う王のワンモアプリーズを人差し指を唇へ添えて防ぎ、兄シリルが父と肩を並べる。
「わたくしも外交官を退職させていただきます」
「は?」
「あなたの愛しいエルサは、今生の別れの挨拶に来たの」
「ええ?」
一方、疑問符の飛び交うなかでジュリアナは、王の頭上に咲くツクシに焦点を定め、ぼうっとみつめていた。いくら春の花を集めたからって、王のそばに雑草を生ける?
お得意の雑念は今の彼女にとって救いであった。
お花を摘みに行きたかったからだ。
利尿作用のある紅茶二杯。それ以前にハウスでポットいっぱいのローズヒップティーを飲んでいる。
頭のなかを文字どおりお花畑にしたジュリアナの慎ましい胸の前で、父と兄の手が同時に聖女を指し示した。
「理由は、判然としております。そこにいる聖女とやらが、我がグレイ城を破壊したからであります」
「えっ」
聖女はサンドイッチを頬張りながら、聖剣を後ろ手に隠した。神々しい柄がまる見えだ。
「さ、宰相どののお城とはいざ知らず、申し訳ございません〜。ですが、元を辿ればそこの頭お花畑女が、婚約破棄された分際で、アドリアンを誘惑したからでございましょう〜? その上、毒ヘドロで攻撃するなんて!」
残念ながら、真のお花畑を頭に咲かせたジュリアナには聞こえていない。代わりに激怒したのは、母エルサだ。
「誘惑……? アドリアンは、私のクッキーを食べに来ただけですが? ねぇ」
話しを振られたアドリアンは誰もが肯定とわかるよう、首を直角に倒した。エルサだけは敵にまわしたくない。王もまたいやなあぶら汗をかいていた。
「そ、それはまことか」
「ええ。アドリアンは、クッキーの焼けるにおいがしたから来たのだと、はっきりと申しておりましたわ。だからこそ、私もシリルも歓迎したのです」
「まったく、その通り」
シリルもまた会場の人間に指し示すように首肯する。
「ジュリは婚約破棄されて以来、部屋にこもりきり」
「そうよ。それなのに、私が宿泊を許したらいい気になって、ジュリの寝込みを襲おうとして、……恥を知りなさい!」
「アドリー、お前は王太子の分際でご令嬢の寝込みを襲おうとしたのか!」
「はい。……ぇえ!」
またもや首を直角に傾けたアドリアンに、周りの傍観者たちは悲鳴をあげた。
アドリアン王太子は、クッキーを食べに来ただけと言っておきながら、寝込みを襲う男。
その強烈なインパクトで、当初の聖女の言い分を忘れさせた。
エルサの話術だ。
ちなみに、ジュリアナへ素直な気持ちを伝える最後のチャンスとしてアドリアンを宿泊させたのもエルサだが、結果聖女のもとへ逃げ帰った彼は今、抹殺対象でしかない。
「ジュリアナは、あなたを拒んで毒ヘドロをぶつけたの。あなたはその報復に聖女の力を利用して、城を破壊した最低な男よ。そんなクソクズが王となる国に、仕え続ける意味がある?」
クソクズ……、次の王は、クソクズだ……。
もはや会場の人間全員が、エルサの言葉を肯定し、聞き入っていた。
エルサは王の肩を抱きながら、恍惚と言った。
「元を辿る……そう。ならば、王太子を略奪したのはどちら様かしら? 聖女? 聖女とは、どこぞの誰でいらっしゃるの? 出生もわからぬ小娘が、聖女の肩書きを利用して、我が愛娘を破滅の魔女などと罵って……!」
「わっ、わたしは、ほんとうに、ただ予言をしただけで──」
聖女ハルカが助けを求め、王子の袖にしがみつく。
アドリアンは膝を笑わせながらも、果敢に立ち向かった。噛みついたのはエルサではなく、カナールだ。何度も言うが、エルサだけは敵にまわしたくない。
「宰相殿は、聖女の予言を知らないのか? ジュリが王妃となれば、闇を司る魔法でこの国を破滅に導く。故に正式に、誠意をもって婚約を破棄したのだ。なにも間違ったことをしていない」
「なにも、していない……?」
父カナールのこめかみが浮き上がる。
みんな思った。それ、ツノじゃない?
「なにが予言だ! ジュリこそ、罪ひとつ犯していない。ジュリは正式な婚約式で、あなたに愛を囁かれることを望んで待っていただけだ。それなのにあろうことか公衆の場で罵り、さらには丸腰の娘へ枯渇の水を浴びせた!」
「そ、それは破滅を事前にとめようと」
「私物をとりに戻っただけで、ジュリアナの頬に神の鉄槌をぶつけた……! 頭が跡形もなく砕け散る凶悪な呪文だ、ジュリでなければ死んでいた!」
聖女ハルカが震え声で申し出る。
「そ、そうよ、おかしいわ! 私の魔法を二度も受けて生きているなんて、人間じゃないわよ!」
「貴様ぁ、ジュリを、まともな人間といっしょにするな────っ!」
内容はともかく、兄シリルの叫びに会場にいた全員がすくみ上がる。
しん、と静まり返った会場で、父カナールが再度王へ申し出た。
「王よ。ジュリは物心ついたころから、王宮へ通い、王室教育を受けてきました。その十年で、なにか粗相をしましたかな?」
「……いいや。義父となる日を心待ちにするはど、優しく思いやりのある姫君だった」
「私も、楽しみでしたよ」
懐から杖を取り出す。
「ときに聖女よ。あなたの予言は当たっていたのかもしれないね」
「ま、まさか。その杖を使い、闇の魔法で王宮を滅ぼそうと」
「いやいや、我々はなにもしないよ? ただ貸していた物を、返してもらうだけだ。立つ鳥跡を濁さずと言うだろう」
指揮を取るように流麗に杖を振る。
会場を彩っていた草花が一斉に、ぼたぼたと枯れ落ちていく。それから宮殿内の灯りがすべて、母エルサのカゴバッグへ集められた。中身は、先ほど寄り道をして城じゅうから押収した魔法石だ。
真暗闇となった会場のステンドグラスに、街の灯りが入りこむ。
「街の魔法石は民への餞別だ、勝手に取るなよ」
王子が惚けた顔で尋ねる。
「魔法石って……?」
「おいおい、それはないぞ王太子よ。鉱山に囲まれたバルドレン王国に、日夜灯りを点していたのは我々の魔力をこめた魔法石だということを、ご存じないのかな」
「そんなバカな話しがあるか! ランタンはこのとおり、火で──」
王子がポケットから取り出し火と呼んだものこそが、いつしかジュリアナが贈った魔法石だ。ランタンに灯りを点すことができれば、炭に火をつけ、暖をとることもできる。たった今カナールの呪文で無効化され、今はただの
「ひぃっ」
落とした黒炭は液状化し、瞬く間にフロアへひろがっていった。
「おやおや。王子はこの十年でなにを学んできたのかな? その調子では、隣国とつながる空の交易路もご存知ないか。飛行船を動かす時空石は置いていくが、我々がこめた魔力はひと月ぶん。あとは聖女ちゃんの力で、どうにかしてね?」
「そ、んな──」
聖女ハルカは、崩れるようにしてその場にへたりこんだ。この日のために新調したドレスが、枯れ葉と黒炭で汚れていく。
「それでは」
カナールの締めくくりの挨拶にジュリアナは花が咲いたように笑った。
やっと、お花を摘みに行ける!
王子はその笑みを生涯、忘れることがないだろう。
颯爽と踵を返し、王宮を退くカナールの背中へ王は命じたが。
「待て……っ! まだ話し合う余地はある!」
「爪の先ほどもないね。だって」
お花を摘みに行きたいから。
葡萄酒と紅茶のチャンポンで、限界に足をつっこんでいたのは父のカナールである。
かくしてグレイ公爵家は、
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