グレイ公爵家会議

 日暮れとともにハウスから戻ったジュリアナは、屋根を失った実家の廊下を歩いていた。時計の針と同じリズムをヒールで打ち鳴らし、そのつま先が目指すところ、談話室。

 両手で扉を開くと五台あるソファのうちのひとつで、父のカナールと兄のシリルが葡萄酒を手にくつろいでいた。

 酔いを覚まさせるように、毅然と決意を表明する。


「お父さま、お兄さま、わたくしからお願いがありましてよ」

「お願いだと?」


 ふたりの刺すような鋭い視線にひるみ、かかとをずらしそうになる。下手な願いなら貴重な時間を削ったその対価に爪を剥ごうか。そんな極悪な顔をしている。

 グレイ公爵家は古代文明より永やかに続く、闇を司る魔法使いの家系。悪役令息、悪役令嬢の名を欲しいままにし、強面の面構えはその証といえる。またその強い力を不変のものとするため純血主義でなくてはならず、魔力の強い王家との血のつながりを絶対とした。王家はグレイ公爵家と血を交え、グレイ公爵家は王家のために魔法を使う。人骨を火山灰の泥を固めた釜で禁忌薬を精製することもあれば、街ひとつ消滅させる兵器だって作る。

 王家とつながる血胤は、グレイ公爵家にとって必然なのだ。

 現当主のカナールは、両手を拳にしてジュリアナを迎えた。


「なあに? ぼくの愛しいジュリちゃん」


 尚、拳は頬に添えている。

 嫡男であるシリルは青筋を立てて言った。


「お父さまはお控えください。ジュリのお願いは、私が引き受けます」


 当主であり王宮の宰相であるカナールを見下ろしながら言った。


「年寄りは下がって、さあ」

「年寄りと言われるほどシワはないわ、青二才が!」

「その大人げなさは、もはや老害。冥界の管理人兼外交官の私がジュリと触れ合える機会は月に一度あるかないかなのですよ。お譲りください」

「老害だと──!? 殺す」


 父カナールが実の子へ先祖代々伝わる魔法の杖を振りかざし、即死呪文を詠唱し始めたので、ジュリアナは再度きっぱりと言い放った。


「わたくしは、おふたりにお願いがあるのですけれど」


 グレイ公爵家は身内を盾のない駒に使う。

 クロドのその持論は、千年前ならば真実であったがいまや遠い過去の話し。

 魔法使いだって赤い血が流れている。

 娘は喉から手が出るほど可愛いし、歳の離れた妹は尊い。

 特にジュリアナは特別だ。悪役令嬢の美貌と悪賢さはどこへやら、いつまでも垢抜けないジュリアナの愛らしさは家族全員にとって、神からの御褒美といえた。

 婚約破棄されたジュリアナが帰路に着けば、拷問どころか真夏にあたたかいブランケットをくるませ、ホットココアを差し出す甘やかしっぷりである。

 ここ最近では活字中毒のジュリアナのために禁忌魔法の図書室の鍵を開け、毎時ティータイムを設けた。


「まあまあ、まずはジュリの話しを聞いてみましょう?」


 そして母エルサはとっておきのタイミングで焼っきたてのクッキーを携えやってくる。絶妙な焼き加減の秘密は、何百という家系を根絶やしにしてきた魔女の窯だ。一瞬でいいかんじに焼ける。

 家族一斉に熱々のクッキーを頬張りながら、ジュリアナの話しに耳を傾けた。


「わたくし、正式にこの国を出ます。できれば王子や聖女と二度と顔を合わせなくて済むような遠いところで、魔女として生きていきたいのです」


 母のエルサが紅茶を全員のカップへそそぎ入れながら言う。


「魔女として? 王妃になることを夢に見てきたあなたが?」


 ちなみに破壊されし城に住み込みのメイドは居ない。そもそも以前より、午後五時終業帰宅させている。


「本を読んでいて改めて思ったのです。グレイ公爵家には使われていない、忘れられた魔法がたくさんある。それをバルドレン王国ではなく、もっと広い世界で活かしたい」

「まあたしかに、自立の条件である魔具は合格だったけれど」


 クッションに思いを馳せる。


「そんな、行く当てもないのに」

「ありますわ、ひとつだけ」


 瞳に涙を潤わせ、ディアナの台本どおりに語る。

 ジュリアナはディアナに「人生において一番したいこととしたくないこと」を問われ、「アドリーと聖女のふたりと一切関わらず、本を読んで暮らしたい」と答えた。

 だとすればやはり、せまい鉱山を出ることが先決だ。行き先としてヴィラン・バケーションハウスはうってつけ。知識を生かせる働き口だってある。環境も最高だ。美味しい料理にお菓子、それから友人と呼べる話し相手まで揃っている。


 問題は保護者の同意を得られるかどうか。


 それならば最初に「魔女になりたい!」と、夢を大きくぼんやりとさせて語れば、次に出すちいさな提案「バケーションハウスの従業員」を、妥協案として受け取ってくれるだろう。

 

 ジュリアナが杏子の唇で、ヴィラン・バケーションハウスの「ヴィ」を形容するが。


「それは──、ゴホンッ」


 娘が王宮の一輪の花として輝く日を誰よりも望んでいた父のカナールは、苦々しい咳払いをこぼした。

 クッキーを詰めこみすぎたのだ。


「実は、私も考えていた。そろそろこの国を見限るころかなって」

「は?」

「アドリアンくんのこと許せないし。屋根もないし。宰相やめて、引っ越そうかなって」

「え? お父さまが? まさか、お父さまとお母さままで国を出るというの」


 千年続いた伝統の城を捨てて。

 カナールは、クッキーの食べかすを集められるほど付箋の貼られた分厚い冊子をテーブルへ突き出した。世界旅行の予定表かと見紛うほど浮かれたその紙の束は、引越し先候補リストだ。


「クッションに座っているときから考えていた。ジュリたん魔具なんて作って、まさか城を出るつもりなんじゃないかって! そんなのいやだっ、せめて嫁入りまではいっしょにいさせて!」

「僭越ながら冥界の管理人兼、外交官である私が申し上げますが──」


 兄のシリルは三枚目のクッキーをかじりながら、人を殺してきたような冷眼で、そのリストをペラペラとめくった。


「すでに、ここに決めております」


 一枚の紙を引き抜き、パーンッとテーブルに叩きつける。


「お兄さままでついてくる気!?」

「当然だろう。どうかこの兄を忘れないで置いていかないで」


 世界一似合わない涙をひと筋伝わせる。

 母エルサはシリルのこぼした食べかすを付箋で集めながら嘆いた。


「住み慣れた我が家を離れるなんて……私は反対だわ。みんなの、思い出が詰まったこの城を……っ、ぜったいにいや」


 当然の反応だ。

 そんな母の手もと(食べかすを集めた紙束)へ、シリルはソッともう一枚の紙を重ねた。新居の間取り図だ。

 ジュリアナは、デカデカと書かれたその新居の名に目を丸くした。


 欺瞞の泉の城/1SLDK+88


 ビアンカが隠れ家にしていた、魔物の城だ。

 母エルサはその治安の悪さより、間取りを吟味した。


「部屋数が末広がりだわ。それにキッチン……、ずいぶんと、広いのね?」

「人肉加工場でしたからね」


 サラッとすごいことを言う。


「だからこそ、リフォームし甲斐があります。お母さま愛用の魔女の窯、キッチンから遠くて不便でしたでしょう? ここなら、備え付けにできますよ。ついでに最新のアイランドキッチンへ変更などいかがですか」

「材質やデザインは」

「お母さま好みにカスタマイズオッケー」

「捨てましょう、この城」


 紙束と食べかすをバサァ床へ落とす。

 母があっさりと兄の手中に落ち、ジュリアナに異論を唱える術は皆無となった。

 兄のシリルが最後の説き伏せにかかる。


「実は、クロドの発案なのだよ」

「クロド、が……?」

「聖剣に貫かれた城の修復はクロドにすら手立てがみつからなかった。建て直しがこんなに難しいのならば、むしろ引っ越せばいいんじゃないかってな」

「でも、それではお兄さまの冥界のお務めが」

「クロドには、そこに知恵を絞ってもらった。今度の引っ越し先は、ヘルトユート王国の国境。つまり世界樹が近い。世界樹の根を通れば扉を介さず冥界と直通、通勤時間が短いから、これからは毎日ジュリの顔がみれるんだ!」


 極悪顔を近づけられ、父カナールへ助けを求めるが、彼も例外ではない。シリルの選んだ物件を妻が気に入ってしまっては、ポケットのなかの父とっておき物件もゴミ屑と化してしまった。カナールは臍を、いや妻のクッキーを噛み、魔法の杖を振った。

 新居の間取り図に、赤インクがにじむ。はなまるだ。


「善は、急げだな」


 カナールは葡萄酒と紅茶を一気に飲み干すと、いつもの通勤口となる魔法円をつなげた。


「こんな時間にどちらへ」

「バルドレン王へ拝謁を。さよならのご挨拶といこうじゃないか」


 かくしてグレイ公爵家御一家は、勤務地であり敵陣でもある王宮へのりこむのであった。

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