修道院の伯爵令嬢(下)

 クレマンのご機嫌をうかがうためだ。

 ディアナは整っていた口もとを歪め、吐き捨てるように言った。


「なぁにが発想と機転よ。体よく席を離れたかっただけじゃない」

「そうでしょうか」


 ジュリアナは席をずらし、ディアナのとなりに座った。


「ちょっとっ、近いわよ!」

「わたくし、感動しましたの……! ディアナ様の行動力に!」

「は?」

「王室教育から婚約破棄まで同じ境遇ですのに、さらなる悲劇に見舞われ、それでも運命に屈さずに立ち上がり、報復を成し遂げた。いえ、報復以上の悲劇を、今も与え続けている……! なんて素晴らしいの!」

「そ、そうかしら」

「特に、修道女たちをはきだめと罵りつつ、女としての自信と尊厳をもたせたところが滾りましたわ」


 ディアナの両手を取りながら、その真下へと目を落とす。


「だからこそ、未来に迷われているのですね」

「だからこそって……?」

「お腹に、赤ちゃんがいるのでしょう?」


 ディアナは、つながれた手を衣擦れが起きるほど激しく振りほどいた。


「っ、どうして、わかったの」

「見た目にはわかりませんが、クロドがハーブティーを出したので。お砂糖を溶かすためなら、紅茶でよい話しではありませんこと? 王宮のお茶会で紅茶以外のハーブティーが淹れられるのは、ご懐妊された方が居るときだけでしたし、このお茶──、ローズヒップティーなら尚のこと」

「ローズヒップ、ティー?」

「鎮静効果の高いハーブティーは様々ですが、美容に良く稀少なローズヒップティーは特に高価なため、懐妊パーティーなど特別な日に出されるのです。あなたのお国では、……ちがいましたか?」


 ディアナは息をのんだ。

 華やかなお茶会は好んで参加していたが、自分のカップにそそがれる以外、ましてや他人のポットの中身まで意識を傾けたことがない。

 

「だ、だからって、なによ。この子は、……そう! 王子の子よ!」

「復縁を申し込まれたのは、今朝のお話しでは? それも、手紙で」


 つぶらな目を弧にさせ、言う。


「よって王子の子どもではありません、でしょう?」


「そ、そんなわけがないでしょう……!」

「わたくしの家では代々、拷問についての教えを受けます。自白を引き出すコツも。人間は嘘をつくとき、顔の表情に個性が出るそうです。ディアナ様の場合──、右の眉が少し、上がるようですね」


 ひくひくと引きつる右の眉をおさえる。

 ジュリアナは笑った。難問を与えられ、解いていく子どものように。


「わたくし、ちょっと引っかかっておりましたの。男子生徒たちを修道院の土に埋めたと簡単に仰いましたけど、ディアナ様おひとりの力で、何人もの男を殺し、埋めたのです? それがほんとうならクロドの言ったとおり、外道の極み。もちろん、悪役令嬢たるもの外道でよろしいのでしょうけど、……ディアナ様は、修道女にはお優しい。果てには、お腹の子の未来を思いやっている。外道でいて、聖母のよう。この落差、すごく気持ち悪い。美しくない」


 ぶつぶつと、早口でまくしたてていたが、やがて紐解いたように両手をあげて喜んだ。


「共犯者」

「っな──」

「ディアナ様には、共犯者がおりますのね?」


 必死に首を横に振るディアナ。

 ジュリアナはクツクツと音をたてて笑った。

 もはや肯定しているようにしか見えない。


「その方を除いては到底、解決策へたどり着けませんわ。どうぞお教えくださいまし」

 

 ジュリアナはふたたびティーカップを手にとると、ハーブティーを味わいながらディアナを待った。

 ディアナは静かに、共犯者の存在を明かしはじめた。


「名を、アスランと言うの」


 ジュリアナは口の中身を噴いた。

 カウンターテーブルの上が、血しぶきのように恐ろしげに染まった。


「知り合いに同じ名の方がいるの?」

「ええ? まあ?」


 ジュリアナの右眉がピクピク引きつる。


「その、アスランというお方は、どちらでお知り合いに?」

「浜辺で倒れていたのよ。その前夜の海は高波だったからきっと、船から投げ出されたのね」


 ジュリアナは心のなかで答えた。

 いいえ、落ちたのはきっと川です。オータン領はヘルトユート王国からひと国先の港街。流されるまま国をまたいで海へ出たのでしょう。


「修道院まで運び介抱したのだけれど、彼は自分の名前以外のすべてを忘れてしまっていた」

「記憶喪失ですか」

「ええ。記憶が戻るまでのあいだ、命を救ってくれた私のためだけに生きようって、言ってくれたのよ」

「おふたりは、……恋仲に?」


 こくり、うなずく。


「出逢ってすぐのころは、しあわせだった。でも私の過去を知った彼は激怒し、豹変したわ。男子生徒の名を調べに学園へ忍びこんだり、街じゅうを探しまわって、みつけては懺悔室に引きずりこみ、尋問した。そのうちのひとりがアンナの指示だったことを明かすと、復讐は彼女にまで及んだ」


 ジュリアナはアスランの新たな一面を知り、ひとり身震いを起こした。勇者らしい身勝手な正義の器のなかに、狡猾さと狂気があふれ出ている。ディアナもまたアスランの本質に恐怖を感じていた。


「男子生徒をひとり、またひとりと、まるで狩りを愉しむかのように殺して……、埋め終えたあとに彼、笑って言ったのよ? 貪欲な人間を肥料にしたら、どんなに美味しい野菜が育つのかなぁって」

「いやぁああ!」

「私も同じように悲鳴をあげて、逃げ出したわ。彼は、君のためにしたことなのにどうして喜んでくれないんだって、私の行動を理解できずに、追いかけてきた。そして崖に追いつめられた私を──」

「とらえようとして足を踏みはずし崖から落ちた」

「どうしてわかってしまうの」


 ディアナが驚いた様子でジュリアナをみつめるが、崖の下に海があれば答えはひとつである。


「アスランが崖から落ちたその夜、修道院に戻ると神父様が扉の前で待っていた。近ごろの様子が気になってねと、手を握られたときにはアスランの犯行や畑のことが知られたのだと思った。でも違ったの」

「神父様は、ディアナ様に芽生えた新しい命について言及されたのですね」

「頭のなかがぐちゃぐちゃになったわ。はじめて心から愛した人が残虐な殺人鬼で、彼と同じ血が流れる子が、このなかにいるのよ? そして私は、どうしたってこの子を愛しいと思うの……っ」


 修道服に覆われた腹部を、護るように両手で包みこむ。


「この子には、神父様のもとで真っ当に生きてもらいたい。……私、罪を告白するわ。名も知らないあなた、聞いてくれてありがとう」

「それは正しい判断とは言えませんね」

 

 ジュリアナは腹に添えられていたディアナの両手をとった。


「な、なに」

「真実は述べるべきではありません。アスランが実行犯とはいえ、男子生徒惨殺の一件が明るみに出れば黙視していたあなたは牢獄行き、遺体の埋まった修道院は廃院となるでしょう。神父様や修道女たちだけでなく、当然産まれたお子も路頭に迷います」

「では、どうしろと……!」

「そうですわねぇ」


 ジュリアナはディアナの手を握りながら考えるふりをした。


「出産までハウスに滞在なさっては?」


 はあ!?

 風が吹いたように観葉植物の向こう側がざわめく。


「神に貞潔を誓ったはずのあなたが妊娠したのです。このまま居なくなっても罪の意識から修道院を出たと思われるのは自然な流れ。それとも、犯罪の形跡を残してきています?」

「いいえ。アスランは周到だったもの。畑の下といっても、常人では掘り返せない深さだし」

「では問題ありませんわね」

「でもわたくしは、アスランの犯行を傍観していただけ。長期休暇に見合う悪事など、到底──」

「あら、ございますわよここに」


 ジュリアナは握っていた手をようやく離すと、ディアナの腹へかざした。ディアナの漆黒の修道服に青白い光が灯る。

 ヘルトユート王国の紋章だ。


「王族、または純血の魔法使いが、ヘルトユート王家の血胤の額に手をかざすと、紋章が浮かび上がります。このように」

「ヘルトユート……? 勇者が築いたと言われる、あの大国の」

「はい。アスランは、ヘルトユート王国の第三王子です」


 話すべきではなかったのか、観葉植物の向こう側から注がれる視線が痛い。ジュリアナは素知らぬふりをして、話しを進めた。


「ここはヴィラン・バケーションハウスですよ? 悪役が、王子の子を人質にとっているようなもの。あなた様がこのハウスに居続けること、そのものが重罪なのですよ」

「でも……、私、まだ産むと決めたわけでは」

「すでに母の顔のあなたが? ご冗談はおよしになって。平民として密かに暮らすのか、ヘルトユート王国へ行くのかという悩みでしたら、これから迷えばよいではありませんか。十月十日、時間はたっぷりとあるんでございましょう?」


 王家の教育に精通しているディアナならば、アスランの妻として充分にやっていけそうだ。問題は当の本人が未だ行方知れずな点であるが、それこそ妊娠中にゆっくり探せばよい。

 それでも不安げなディアナの手をふたたび握った。


「足りない対価は、修道院仕込みのお菓子でどうです?」

「お菓子……! そうだわ! わたくしも、あなたのように従業員として働けばよいのね!?」

「いえ、わたくしはまだ従業員では」

「あなた、名前は?」

「ジュリアナです」

「ジャリエナ」

「ジュリアナです!」


 令嬢たちの麗しい嘆声がカウンターの大理石に染みこんでいく。腰に丁寧に薬草を貼られながらも、クレマンは不満げにクッションへつぶやいた。


「いいのかい? あのお嬢ちゃん、勝手に従業員を増やしちまったよ。それもコブ付き、どうせなら美少年がよかったねえ」

「ちょうどパティシエールの手が欲しかったところです。ここはお腹のお子に甘んじて受け入れましょう」

「腹の子じゃあなく、お嬢ちゃんにだろ? 甘いのは角砂糖だけにして欲しいねえ」


 切長の目を細め、クロドはカウンターをみつめた。

 ふたりの容姿はまったく違うのに、まるで姉妹のように波長が合っている。ビアンカとはまた違う、固結びにつながれた強い運命を感じるのだ。


「ディアナはもしかしたら、春の魔女の生まれ変わりかもしれないな……」


 そのあたたかな表情は、単に秋の強い陽射しが創り出したものとは言えない、やりきれなさを漂わせていた。

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