修道院の伯爵令嬢(上)

 日差しが宝珠となって中庭に降り注ぐ朝。

 偽りの魔女クレマンは腰をさすりながら、ちいさな溜め息をついた。


「なんだか……、田舎のパブみたいだねぇ」


 バケーションハウスのラウンジは紅色を基調にして、優越感を得られつつ嫌味のない程度の高級家具が美術品のように並べられている。腹に心地よく響くジャジーな音楽に、宿泊客が飽きぬようにと毎朝生け替えられるソファテーブルの花。

 だが一度カウンターを見やれば、副流煙と甘ったるい香りで湿気た空気を漂わせている。


 ついにハウスに、それも最上級のダイヤモンド・ルームに御一泊を果たしたジュリアナは朝も後半、どんよりとブレックファーストをビアンカと共にしていた。


「ビアンカがブランシェ様のお部屋を一度きりで出た理由がわかりました」

「そうだろ? あのヒト、一年のほとんど封印で身動きしないから、片付けの意味がわからないんだよ」

「ベッドのなかに酒瓶を入れておく言い訳にはなりませんわ。それもゴロゴロと」

「温めたブランデーの瓶を湯たんぽ代わりにしてたんだってさ。飲んでも抱いてもあったまるって。ほら冷え性だから」

「冬の魔女ですのに? もうスイートルームはこりごりですわ。朝食をいただいたら帰らせていただきます」

「ぜひとも、そうしてくれ」


 焼き上がったクロワッサンを皿に並べながら、クロドが言う。


「たったひと晩同じ屋根の下で過ごしただけなのに……っ、一睡もできねぇなんて、クソッ」


 ブツブツと悪態を吐くその顔色はジュリアナに増してひどい。二日酔いを紛らわすように、くわえ煙草も三本に増えている。


「昨日の話しも一旦忘れてくれないか」

「そうですわね、お父さまが簡単に許すとは思えませんし。わたくしとしても、一度家に持ち帰って整理したいですわ」


 ジュリアナはお片付けが過ぎて、言葉の節々がハウスキーパーのようになっている。

 ビジター・ルームを満喫しているはずのビアンカもまた、顔を曇らせて言った。


「昨日の話しってなんだよ」

「秘密にしておくようなお話しではございませんわ。ねぇ、クロド」

「ああ。ビアンカにも同じことを話しているからな」

「あら、そうでしたの」


 ジュリアナは目の前に置かれたクロワッサン目がけて口を猛進させた。

 だがビアンカは、そのクロワッサンを手に取ることもできないでいた。


「ヴィラン・バケーションハウスの従業員にならないかって、やつか」


 ジュリアナは美味しそうに、されどパン屑ひとつこぼさずに綺麗に食べる。バターロールならまだしも、相手はパリパリのクロワッサンだというのに。


「……血統のない私には、不釣り合いじゃないかな」


 ティーカップをもつ手が震える。

 糸を紡ぎ続け太くなったタコだらけの指に、金の持ち手は似合わない。


「もしかして昨日のことを気にされています?」

「そうだ、悪いか! 私は毎朝、テーブルも床もパン屑だらけにしてるような女だ。生まれた家の場所も親の顔も覚えちゃいない、ただの悪党。令嬢の御用邸で働くなんて、この私には身に余る」

「そう、残念ですわね。ではハーロルト王子と添い遂げるため、処刑されにお帰りになるの?」

「ぐっ、それは──」


 ちらり、背後の観葉植物を見やる。

 ヘルトユート王国の第二王子ハーロルトは、身分違いの恋に病んだビアンカに刺されたが死に至らず、クレマンによって救われている。むしろ罪を問われるとしたら、同じ刺殺行為に及んだクレマンだ。


「それに今さら私が出ていったところで、王国で体良くこき使われる気がして……」

「あら、よくわかっているじゃない」


 生まれ変わっても添い遂げたいとまで想いを寄せた相手ではあるが、ガーネットやクレマンの話しを聞いているうちに、ヘルトユート王家の打算的な一面を知り、ビアンカの恋はすっかり冷めてしまった。

 ハーロルトへの想いは今、飲み残した紅茶のように渋い。


「だからといって、クロワッサンのほとんどをこぼす私が、ここで働き続けるわけには」

「ビアンカったら、ほとんどをこぼすの? それは少し、みてみたいわ」

「ウソだ。見苦しいだろ?」

「身のほど知らずのアイラはね。あの女はなんの努力もせず、ただ家柄だけを妬んだ。あなたは違うわ。ちゃんと自分を理解できているし、令嬢に憧れ、目指し、努力しているではないの」


 ねぇ、クロド。

 同意を求めた先で、クロドはタバコをくわえたまま、ジュリアナの宿泊名簿にペンを走らせていた。灰が手の甲に落ち、あちちと振りまわす。


「そもそもハウスの支配人が、朝食をとる令嬢の目の前で煙草を吸っているのよ? 血統がどうとか以前の問題よ」

「そうそう」


 クロドは満足げに名簿を閉じると、ビアンカへペン先を向けて言った。


「それにお前の場合、拒否権はない」

「はあ? なんで!」

「お前がやった悪事は立派な殺人未遂だ。だがクレマンの話しでは、ハーロルトはお前を恨んじゃあいない。つまりは、悪事未遂。土産も布一枚で連泊されちゃあ、こっちは割に合わないんだよ」


 落ちてきた前髪をかき分け、睨みをきかせるクロドは寝不足も相まって、悪魔のような面構えをしている。


「こんどこそ王子を殺してツケを払うか、俺の下で働くか。お前の選択肢は二択しかない」


 ビアンカは大口を開けて、パクパクさせた。

 ジュリアナは思った。

 それだけ口が開くなら、まるごと食べればパン屑もこぼれないのでは?


「えいっ」

「んぐ、んー!」

「ほら! ビアンカ、みて」

「ん?」


 クロワッサンをひと口でおさめたビアンカの皿は、パン屑ひとつ落ちていなかった。



 受付の呼び鈴が鳴る。宿泊予定客の来着だ。


「おひゃくはん? わたひ、なにふればいいの」

「食べながら喋るからこぼれるんでしょうに!」


 ジュリアナが、パン屑を噴き出すビアンカの口をクロスでおさえている間に、ラウンジに光の柱が走る。

 受付で名簿を広げるクロドのむこうで、妖艶な修道女が微笑を浮かべた。


「これはこれは、ディアナ・オータン伯爵令嬢。美しくご成長なされてすぐに気づかず、誠に申し訳ございません。二度目のご宿泊で間違いございませんか」

「もと、伯爵令嬢よ。間違いないわ」

「ではこちらで、理由をお聞かせください」


 クロドがおしぼりを手渡すと、ディアナはおしぼりの清潔さに安堵したような表情で、カウンターの席についた。

 マリエル以来の、色香の強い栗毛の大人の美女だ。

 カウンターテーブルにのしかかった胸に、ジュリアナとビアンカは頬杖をついて生唾をのんだ。

 ディアナが戸惑う。


「あの、こちらの方々は」

「面接中の従業員でございます」

「女性を従業員に? それは、いい心掛けだわ」


 納得した様子で深く腰を据える。

 クロドはポットへ湯をそそぎ茶葉を泳がせる心地よい音を奏でながら、やわらかに語りかけた。

 ジュリアナは思った。

 ウェルカムドリンクの格差はやはり、胸の大きさを基準にしていないか?

 クロドは寝不足顔をすまして話しを進める。


「たしかディアナ様は、幼少期よりご婚約されていた王子に婚約破棄され、修道院に入られたのですよね」

「ええ。何しろ私は学園で、王子の婚約者という立場を利用し、下級生徒たちを虐げていた。結果、王子が選んだ伴侶は私がもっとも虐めていた女生徒ヒロイン、アンナだった。学園の卒業パーティーで、大勢の観衆の居るなかで婚約破棄されて。更には、……帰り道に」

「あなた様が虐げていた男子生徒たちに、貞操を奪われた」


 おしぼりを握るディアナの手が震える。

 

「庶民に穢されては、王家どころか婚姻そのものが難しい。お父上はあなた様をその身ひとつで修道院へ入れた」

「あのとき、あなたに慰めてもらわなかったら、私……っ」


 ジュリアナは頬杖をついていた手で頭を抱えた。

 なんとなく聞き始めた話しが、初っ端から差し出口を挟めないほど重い。


 クロドは胸ポケットからハンカチーフを引き出すと、ディアナの涙をソッと吸わせた。


「あれから二年ですか。ご宿泊されるということは、悪役のご引退はなさらなかったのですね」

「当然よ。修道院? あんな女のはきだめで、この私がおさまるわけがないでしょう。飢えに苦しむ修道女に、金のありがたみを叩きこんでやったわ」

「では修道女に春を売らせたので」

「まさか。女は売り物じゃないのよクロド。修道院で作られたお菓子がとても美味しいものだったから、礼拝のあとにお茶を愉しむことができるカフェテリアにしたの。甘いお菓子を貞潔の誓いをたてた修道女が配膳する。それだけで大流行り。私はその収益で、私を襲った男たちを利用してやった」


 クロドの骨ばった手からハンカチーフを払いのける。目にはもう、涙はない。


「男たちを問いつめたら、私を襲うよう命じた真犯人は、アンナだと吐いた。私の復讐が始まったのは、そこからよ。私は男たちにアンナの罪を手紙に書かせて王城へ送らせたわ。それから全員始末し、修道院の畑の肥やしにしてやった。アンナに殺されると、書き置きをさせてね。城であぐらをかいていたアンナは、あっという間に牢獄行き」


 クロドはディアナの手を両手で包みこんで言った。


「外道の極みではないですか……!」


 寝不足の興奮も相まって、実に恍惚と。

 一方、ジュリアナは涙目で疑念を抱いていた。悪事が魔女のそれよりずっと生々しいが彼女は一般客ビジター、よね? 


「そして今朝、ついに王子から手紙が届いたの。……君ともう一度、恋人からやり直したいって」

「なんと、王子から復縁を申し込まれたのですか」


 悪役令嬢としてこの上なく順調な道を辿っているように聞こえるが、ここへ至ってディアナの声色が弱々しく落ちた。

 クロドはディアナから優しく手を引くと、空のティーカップをふたつ、飾り棚から取り出した。すぐにポットから注がれたお茶は紅茶よりずっと濃く、赤みが混ざった色をしている。


「角砂糖をひとつ、ふたつ、と」


 酸味のあるさわやかな湯気が、鼻先でローズの甘い花の香りへと変化する。

 スプーンでしっかりと攪拌してから、ディアナの手もとへ持ち手を向け、ティーカップを置いた。ジュリアナへも同じく、致し方なしといった面持ちでカップを差し出す。


「わたくしも、いただいていいの?」

「本意ではないがな。ついでだ、ありがたく飲め」

「ちょっと! 私のは!」


 ビアンカがキャンキャンと吠えるが、「お部屋にお務めのものがございますよ」と、丁重に初仕事へと送り出された。


 静かになったラウンジで、ふたりの令嬢が同時にティーカップへ口をつける。

 ソーサーを持つ指先、腕の角度。唇に触れる飲み口の幅から口にふくむ量まで同じだ。それはふたりが身に染みこませてきた、王家のたしなみだった。

 クロドが言う。


「ディアナ嬢、あなた様はこれからの未来を悩まれているのですね。そして奇しくも、となりに座る小娘もまた、道に迷う小ネズミ」


 随所にジュリアナへの失礼がただようが、間違いではない。


「今お飲みになったハーブティーには、互いの未来を互いに預ける魔法の砂糖シュガーが入っております」

「預ける? 冗談はよして。未熟者を顔に貼り付けたような、この娘に私の運命を決めさせるっていうの」


 ディアナは目を吊り上げ不服を申し立てたが、ジュリアナは期待に目を輝かせた。

 彼女ならば、極悪なシナリオを書いてくれそう!


「ご心配なさらず。あなた様に今必要なものは、この娘の知性や経験ではなく発想と機転。かならずや納得のいく答えがみつかることでしょう」


 クロドはふたりのはざまにたっぷりと重そうなポットを置くと、引きとめる隙を与えずにカウンターを離れた。

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