水の魔女

 クロドが食器を搬出口へ片付けている間にドレスへ着替えを済ませたジュリアナは、部屋を出てラウンジへ向かった。宿泊予定客の来着だ。

 階段の降り口からすでに魔法円の光が赤黒くみえた。


「すでにいらっしゃっていますね。クロドが受付に立つあいだに、わたくしが紅茶を淹れましょうか」

「いや、お前も宿泊客だろう。カウンターに座っていてくれ」


 そう言いながら慌ただしく受付に立ち、宿泊名簿を開く。

 ならば、どうして扉を開けたときに私を先に行かせたのだろうか。レディファーストを取り違えた? 小首を傾げながらいつもの特等席へ着席すると、間もなくふたつ空けた先の席が埋まった。世界的に稀少なはずの魔法学園のローブが目端に映り、恐る恐る顔をあげる。


「アイラ嬢、どうぞこちらをお召し上がりください」


 クロドははっきりと、アイラと発音した。

 火の魔女セリーヌを二度も陥れた女学生だ。彼女は霜に覆われた肩を震わせ、霜焼けた両手でマグカップを受け取った。中身はホットミルクだ。おしぼりからも湯気がたっている。


 故なき好待遇は、冬の魔女の魔法を受けたから。


 ハウスに辿り着いた理由はわかりきってはいたが、それでもクロドはお決まりの言葉を吐いた。

 

「それでは、ご宿泊理由をお教えください」


 アイラはごくごくと喉を鳴らせながらホットミルクを飲みきると、口のまわりを白く汚したまま喋りはじめた。


「あの女……! こんなことになったのは、すべてあのセリーヌのせいよ!」

「ほう、セリーヌとは」


 白々しく尋ねる。


「火を司る魔法使いの血胤とかいう、侯爵令嬢よ。あの女、いつだって自分は特別なんだって、顔をして威張って、ほんとうにムカつくやつなの!」

「その御方が、あなたをそこまで追いつめたのですか」

「私が……? あの女に? ちがうわ! この私があの女にやられるわけないじゃない! 私はね、生まれこそ名もない農村だったけれど、神に選ばれし魔法使いなのよ。なんてったって、あの聖レスタンクール学園へ特待生として入ったのだから」

「それはすごいですね」


 神は魔法使いを選んだりしないが。

 急に始まったアイラの自分語りにジュリアナは目を細めた。お腹がいっぱいで眠い。


「入学後も、群を抜いた成績でみんなを驚かせた。天才が現れたって。それにこの容姿でしょう? 家に居た頃が嘘みたいに、学園ではもてはやされた」


 なるほど、アイラの顔は男受けのよさそうなふんわりと愛嬌のある顔立ちをしている。それでもジュリアナの規格外の美しさをとなりに置いて、自身の愛らしさを前面に押し出せる彼女の図太さにクロドは恐れ入った。


「学園で過ごす日々はそれはそれは、楽しかったわ。でも一年目で気づいた。夏休みに家に帰ったら、なにもない。待っているのは見すぼらしい家族だけ。家での私の評価は、井戸よ。水が欲しいの、お願いアイラと、私を呼ぶの。その行為に銅貨一枚の価値もない……! だから、次の年の夏休みは家に帰らないって決めた」


 ジュリアナはまどろみながらも思った。

 家族と過ごす時間に価値など必要なのだろうか。


「そのためには新しい家族が必要でしょう? どうせなら別荘もちがいいわ。長い夏休みだもの、優雅に過ごしたい。一般寮で、手ぶらでついていけるほどの資産家はただひとり。風の魔法使いの血胤であるケインだった。取り入るの簡単だったわ。彼、最初っから私に夢中だったもの。でも、ケインにはむかつく婚約者がいた」

「セリーヌ嬢ですね」

「そう、令嬢。まごうことなき純血の侯爵令嬢。あの女、入学式から目障りだったわ。特待生の私を差し置いて新入生代表として登壇した。親の七光りだってのに、恥ずかしくないのかしら。学園生活も華々しく目立った行動ばかり、図々しくバッチというバッチをことごとくさらっていく。あの女は私の欲しいものすべてを持っていた」

「バッチは才能だけで授与されるものではありませんからねえ」


 アイラがクロドの皮肉に満足げにうなずく。

 ジュリアナは舟をこぎながら呆れた。

 アイラは家柄だけでなく、知性と努力が足りなかったことを理解していない。


「婚約者を奪うだけでは到底満たされない。あの女のすべてを壊してやろうと、ケインから弱点を聞き出したの。そうしたら傑作よ! 感情が昂ると魔力を自分で制御できないのですって! いつもすました顔をしていたのは、感情を抑えるためだったのよ。破滅へのシナリオは簡単に書き上げられたわ」

「ケインを利用し、セリーヌ嬢の感情を揺さぶったと」

「よくわかったわね!」


 クロドは目を閉じて微笑んだ。一度聞いています。


「ではこのことは知ってる? 学園の結界はチョークで描かれているから水に弱いの」

「なるほど、結界はアイラ嬢が事前に解いていたのですか」

「そうよ。それから学園中に火薬を仕込んでから、ケインにセリーヌをふらせた。見事な大爆発だったわ。大成功よ。……アスランさえ、いなければ」

 

 出た王子!

 ジュリアナは夢の世界とカウンターテーブルの狭間から舞い戻った。


「アスランはヘルトユート王国の第二王子で、私と同じ水属性の魔法に長けていた。ケインと高台へ避難しているうちに、学園はアスランの魔法で消火されていた。そのうえセリーヌを庇い、元凶はケインにあると、彼をひどく責めたわ。結果、ケインは停学処分となり、私は頼るすべをなくした」

「寮が焼けてしまっては、学園に居座り続けることもできない。本末転倒ですね」

「わかってるわよ! それでも家に帰るのだけは、絶対にいやだった!」

「ではどうしたのです?」

「アスランにすがったわよ。ケインと違って同じ水属性だし相性は抜群よ。夏休みのあいだだけでいい、私のことは好きにしていいからと。そうしたらあの男、なんて言ったと思う? 身のほどをわきまえろって……!」


 アイラにとっていちばん癪に障る言葉だ。

 クロドは先んじて言った。

 

「川に突き飛ばしたのですね」

「そうよ」 そうだった。


「王子を殺した私は学園に戻れないどころか、死刑よ。必死で森のなかを逃げ走りながら、頭に浮かんだのは、セリーヌの忌まわしい顔。あの女が生きているうちは死ねない。私はセリーヌを確実に殺せるシナリオを練りに練った」


 ジュリアナは思った。

 シナリオ、シナリオってそんな時間があったら魔術書の一冊でも読めばいいのに。でもシナリオ作りが趣味なら仕方ないか。

 割愛するが、それからアイラは学園からの偽の通知書を作り上げ、馬車を滑落させ山火事を起こしたところまで話した。

 自身の眠気覚ましにと、クロドが紅茶を淹れはじめる。


「ふわぁ、山火事となると生き抜くのは難しいですねえ」

「火の魔女が火に焼かれて死ぬのよ? なんて無様な最期なの! 笑いながらそばで観ていたわ。でも、急に消えたの。冗談じゃないわ、やみくもに探していたら急に雪が降ってきて」

「この初秋に」

「雪というより、氷よ! 氷が火を飲みこむようにして森を覆いつくした。信じられない……っ、神の采配だとでもいうの?」

「……セリーヌ嬢は」

「真っ白なでかい女を背負って現れたわ」

「その女、なにか言っておりましたか」

「意味がわからないことなら言っていたわ。お嬢ちゃんがあんたにどんな言葉をかけるか、見届けられず残念だって」


 ジュリアナとクロドは、ほぼ同時に生温かい笑みを浮かべた。


「そのあとすぐに、私へ直接攻撃してきた。水と氷なんて相性最悪よ! 森を抜けるために残していた魔力もなくなって、私はその場から一歩も動けなくなった」

「なるほど。それで当ハウスに転移されたのですか」

「ほらね、最後は神も私を味方したわ。ここでしばらく骨を休めたら、すぐにセリーヌを殺しに向かう。あのデカ女もなんとかしてぶっ倒してやるんだから」


 一気にまくしたて喉が乾いたのか、毒を吐きながらクロドが口をつけたティーカップを手首ごと引き寄せ、飲んだ。

 その音は鶏の首の骨を手折ったような、耳障りなものだった。

 ジュリアナが、カナリアのような声で囁く。


「音をたてて飲まないでくださる」

「は?」


 それから流麗に席を離れると、ドレスの裾をつまんで愛らしくお辞儀をしてみせた。

 クロドの仕立てたカナリアイエローのドレスは誰が見ても、ジュリアナのために存在する世界に一枚だけのオートクチュール。

 所作も相まって、頭上にはティアラがみえた。

 ご令嬢どころか、立派なお姫様だ。


「どうも、お嬢ちゃんです」


 唖然とするアイラ。

 クロドはティーカップを置いてすぐに、ジュリアナの宿泊名簿とペンをとった。


「お嬢ちゃん……? あのときあのデカ女が言っていたのは、あんたのことだったの」

「デカ女だなんて、そんな」


 ジュリアナはアイラの鼻先まで顔を寄せ、言った。


「彼女は世界という世界から恐れられる冬の魔女。失礼が過ぎましてよ」

「冬の魔女……?」


 アイラはサァ、と顔を青ざめさせた。


「う、嘘よ、教科書で冬の魔女は千年姿を現していないって」

「お分かりにならない? 秋も顔を出したばかりのこの季節に、山火事が消えるほどの氷を降らせることができるのは彼女──、冬の魔女だけ」

「でも、なんだって急に」

「血統もない濁った混じり血のあなたが、純血の魔法使いであるセリーヌ様を陥れたから。あなたは冬の魔女を怒らせた。ああ憐れなアイラ。たまたま魔力をもって生まれたばっかりに」


 ジュリアナはドレスのポケットから黒い棒を抜いた。

 ブランシェから託された黒炭の杖だ。


「ヴィラン・バケーションハウスは、悪役令嬢の御用邸。音をたてて紅茶を飲むあなたに足を踏み入れる資格はないわ。身のほどをわきまえなさい」


 杖を振るしぐさにアイラはのけ反り、チェアから転げ落ちた。クロドが表へまわり手を差し伸べるが、おしぼり越しだ。


「あっ、あんたまでなによ!」

「彼女、闇を司るグレイ公爵令嬢ですよ」

「グレイ──」


 グレイ公爵家は庶民に語り継がれるおとぎ話のなかで、もっとも残忍で恐ろしい悪役として名を馳せている。


「大変申し訳ございませんが、急いだほうがよろしいかと」


 触れれば溶けいってしまいそうな深い闇が空中に渦巻きはじめた。

 アイラはクロドの手をとらず髪を振り乱し四つん這いで、ひとりでに開いた扉の向こうへと逃げて行ったのだった。


「ふぅ、やれやれ」

 

 クロドは宿泊名簿を閉じ煙草に火をつけると、内側から鍵を閉めた。本日のもてなしは宿泊客のみとなる。


「ふわぁ、一服したら少し寝るかぁ」


 くわえ煙草で背伸びをする。

 すると視界に入った階段上で、庶民代表のビアンカが生まれたての子鹿のように、小刻みに震えていたのだった。

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