火の魔女(三)

「聖女に城が真っ二つに破壊されましたの」


 その日のジュリアナは何日も路頭に迷ったかのように身だしなみが乱れていた。いつも丁寧に編みこまれている髪は地に向かってストンと落ちたまま、化粧気がない。なにより豊満な胸をもつ母のエプロンドレスを見事に着崩していた。未成熟なからだつきに童顔をのせ、まるで少女のよう。令嬢には程遠いジュリアナを、クロドは冷然とあしらった。


「はん」

「はん!?」

「それで? 王太子と逃避行でも続けていたのか」

「アドリーのこと? あの男、聖女の力に恐れをなして、すたこらと王宮に逃げ帰りましたわ!」

「寄りを戻したんじゃないのかよ」


 そっけなく、明後日を向いておしぼりを手渡す。


「冗談じゃありませんわ。あんなクソクズと」

「そのクソクズを同じ屋根の下に泊めたのは誰だよ」

「お母さまとお兄さまよ! 言われるがまま食後の紅茶を淹れてあげたら、あのクソクズ調子に乗って。私室へ入ってこようとしたので、そこまでは許していないと、顔面に毒ヘドロをぶつけてやりました」

「へぇ、そうなのか」


 口もとを手でおおいながらも嬉しそうに言う。


「ではお前はこの半月ものあいだ、なにをしていたんだ」

「もちろん、城の修復に砕身しておりました。聖女が聖剣とやらで冥界へ続く城の根もとまで切り裂いてしまったものですから、一族の総力をあげて」

「そりゃあ、大変だったな。だがなおったんなら、よかったじゃねえか。めでたし、めでたし」

「それが、ちっともめでたくないのです」


 すきま風が吹く胸もとから一枚の羊皮紙を引き出し、クロドへ差し出した。


「なになに。聖剣の傷あとは何度修復しても元に戻るどころか、深くなっていく。冥界への転移門だけは死守しているのだが、このままではいつ破られるかわからない。どうかクロドの助言を得られないだろうか。シリル・グレイより」

「報酬は煙草一年分だそうです」


 ジュリアナが鼻をならす。


「一年分か……、ふつうに欲しいな」


 ヴィラン・バケーションハウスは本来、悪役令嬢の力尽きた心身を療養する御用邸だ。世界地図のどの座標に存在しているのかわからないその幻のお邸に、ただのおつかいで来着したことに本人もクロドもまったく気づいていない。


 カウンター奥で紅茶を飲んでいた糸紡ぎの魔女スピナー、ビアンカだけが、首をかしげていた。


「際立った能力もないのに、へんなの」

「ビアンカ嬢、なにか御用でしたか」

「いいや。クロドがお城の修復にハウスを出るとしたら、そのあいだ私たち宿泊客はどうしたらいいのかと思って」

「私はハウスを出られませんよ。──永久に」

「永久に?」

「ですので、シリル殿にお越しいただき、助力することになりますね。ただ当ハウスは男子禁制。別邸を使用しますか」

「別邸?」


 ジュリアナとビアンカが目の色を変える。

 ご令嬢は『別邸』という単語に弱い。それはおよそ、子どもが屋根裏部屋の引き戸をみつけたときの感覚に近い。


「ハウスには、別邸があるのか」

「はい。滅多に使われることはございませんがね」

「わたくしたちも泊まれる?」


 ハウスに一度も泊まったことのないジュリアナが、希望を胸いっぱいにして言う。

 クロドはゆっくりと、首を横に振った。


「どうして!」

「当ハウスがご令嬢専用なら、別邸はご令息専用──その名も」


 悪役顔で、朱肉に人差し指を落とす。


「悪役を演じるご令息の休息場所、ヴィラン・ヴィラでございますよ」


 羊皮紙に指印の捺し、ジュリアナに返却すると、クロドは受付の呼び鈴をけたたましく鳴らした。





 呼び鈴を鳴らし、現れたのはジュリアナの腰ほどの高さの、とりわけ美しい少年ひとり。

 名は、マクシム。

 ヴィラで過ごすクロドに代わって受付に立つ従僕フットマンだ。

 天使の笑みで両手を広げ、言った。


「本日のお客様はおひとりです。みなさん、気を緩めていきましょう」


 ん?

 いつもどおりカウンターチェアでくつろぐジュリアナとビアンカの頭上に疑問符が浮かびあがる。

 従業員として扱われているようだが気のせいだろうか。それに端から気を緩めようとしている。

 ふたりが惑いの顔を見合わせていると、マクシムは手を打ち鳴らした。


「お客様のご到着までおよそ五分を切りました。ビアンカ嬢はおしぼりを、ジュリアロン嬢は紅茶のご準備をお任せしますね」

「ジュリアナですけど、まあいいでしょう」


 画家が生涯をかけて描きあげたような微笑を浮かべ、当然のごとく言うので、ふたりは無言でカウンターの内へとまわり、テキパキと仕事をこなした。

 魔法円に光の柱が立つ。

 

「あの、……お久しぶり、です」


 被っていたフードをはぎ、ぺこり、お辞儀から返ってきたその顔を、ジュリアナは知っている。


「ジョリアンナ」

「ジュリアナです。お久しぶり、セリーヌ嬢」


 本日の宿泊予定客は火の魔女、セリーヌ・フレミー侯爵令嬢。前回、婚約者に振られたことで魔力が暴走、学園を火の海にしたなかなかのツワモノである。

 セリーヌがビアンカからおしぼりを受け取ると、手を拭き終わるころには灰にしてテーブルを汚した。マクシムがすかさず、目を皿にするビアンカに掃除を言いつける。


「時は金なり。ぼうっとしていないで、灰を片してください」

「あ、ああ」

「返事は、はい!」

「はい!」

「ジョリアンナ嬢、紅茶は」

「ジュリアナです。火を司る血胤は猫舌だと本で読んだことがあります。濃いめに出してアイスティーになさいます?」

「よくご存知なのね。氷多めでお願い」

「かしこまりました」


 ビアンカは新しいおしぼりでテーブルを拭きながら、今度は口を開けてジュリアナを見届けた。箱入りのお嬢様なジュリアナのほうがよっぽど、板についている。

 大理石の傷に入りこむばかりの灰に、マクシムの叱咤がとぶ。


「ビアンカ嬢!」

「わかってるよ、裁縫意外はどうも苦手なんだ」

「人間、乗り越えられない壁はありませんが、乗り越えたくない壁はたくさんありますもんね」

「は?」


 もっともらしい言葉で励ましているようで、諦めさせるようなことを言っている。謎の従僕マクシムと、そもそもマクシムの言葉の意味がわからないビアンカ。ふたりの混沌とした空気は受付係として大問題だ。

 ジュリアナは出来上がったアイスティーのグラスをカウンターの最奥へ設置すると、できるだけセリーヌをふたりから引き離した。


「今日は支配人のクロドが不在ですの。わたくしが宿泊理由をおうかがいしても?」

「もちろんよ。安心して体を休められるのなら」


 チェアに乗りあがる衣装は以前と同じ聖レスタンクール学園の制服だが、ローブにバッチがついていない。それどころか刃物で切り裂かれたようにところどころ破れ、濡れている。


「焦らず、ゆっくりとお話しください。わたくしも飲み物をいただきますわね」


 ジュリアナはもうひとつ、自分様に淹れたグラスを持ち上げて言った。好きな飲み物を好きなだけ飲めるのは、従業員の特権だ。

 その平和的な動作に安心したセリーヌもまたグラスをもちあげてひと口飲むと、前回から今日までの空白の時間を話しはじめた。


「あれから学園へ戻った私は、なんとか火を鎮めることができた。学園は半壊してしまったけれど、終業後の教室に犠牲者はなく、再建もこの夏休みのあいだに、魔法で終わらせられた」

「あなたの処分は」

「このとおり、バッチは剥奪されてしまったけれど、退学にはならなかったわ。その……、新しいガーディアンが、私の身の潔白を証明してくださったの。すごいのよ、消火だってほとんど彼の力なの」


 ジュリアナはクロドがそうするように、眉を寄せた。

 話しがどれだけうまく運んでも、退学処分は逃れられないと思っていたからだ。フレミー侯爵家が指折りの資産家であり、再建費用をすべて支払えたとしても、それはそれ。格式の高い学園の建築物を燃やした罪を償ったことにはならないし、またいつ同じ被害をもたらすかわからない。

 いや、ハウスに転移したということは、すでに二度目の火災を引き起こしているのではないだろうか。

 考えたすえ、ジュリアナは「それで、ガーディアンとは?」と短く話しの続きを促した。いつものクロドのように。

 そしてその答えは、ジュリアナの知る人物の名だった。


「驚かないでね? 私のガーディアンは、なんと……ヘルトユート王国の第三王子、アスラン・ヘルトユート様なのよ!」 


 遠くでビアンカの肩が激しく揺れ動いたが知らんぷり。

 ジュリアナはおそらく人生ではじめて、愛想笑いというものを浮かべた。


「それはぁ、素晴らしいですわねぇ?」


 平たい笑みの奥で必死に頭を回転させる。

 スプリングフィールドの双子が死に戻ったのだ、川に流されなかったアスランの未来は、学園生活の舞台ステージへと進んだのだろう。水の精霊の加護のあるヘルトユートの血胤ならば、彼女の強い火の魔力を抑制できるのも納得がいく。


「アスランは、私が王国に身を賭すことを条件に、生涯私のガーディアンでいることを誓ってくれた。互いに助け合い、生きていこうって……!」

「素敵なお言葉ねぇ? それはぁもう、事実上の婚姻ではぁ?」

「そうでしょう! 学園だって、アスランの先導のもと、すべて王国の魔導師が建て直してくださったのよ」


 国立ならそうあるべきだと思うが、先導とは。古臭い校舎と寮を好みの建築様式と間取りに変えられて満足しているのは、アスランでは。

 それにセリーヌが王国に身を賭すとは、言い方を変えれば戦において、拒否権はないと言うことになる。どうも第三王子のアスランは頭がキレるだけでなく、腹黒いようだ。セリーヌも学園も、彼にいいように利用されているだけではないだろうか。

 だが今は、彼女の言葉だけで安易に思いこんではならない。

 ジュリアナは、いつもならすぐに喋り出す舌をとめ、とにかく話しを先へと進めた。


「今までのお話しでは、ずいぶんとおしあわせそうですのに。ご衣装がそれほどまでに傷つく出来事とは一体、セリーヌ様の身になにがあったのです?」


 するとセリーヌはローブが外れてしまいそうになるほど、肩を落とした。


「アスランが、消えたの」


 水に流される男の影が脳裏を過ぎる。


「川へ?」

「いいえ。再建が終わってすぐ、アスランは実兄である第一王子ハーロルトの捜索に出てそのまま──。アスランもまた、行方知れずとなってしまったのです」


 ごくり、生唾を飲む音が三つ重なる。

 ジュリアナとビアンカ、それから観葉植物の向こうのクレマンによるものだ。階段の上では、ガーネットが身を乗りだしている。


 セリーヌは川を否したがたぶん、いや必ずや沼か海かに流されていることだろう。


「アスラン王子が行方不明……、では、再建が終わったあと、セリーヌ様はどちらに? ガーディアンが不在では学園に戻れないのでは」

「そうなの。制御できなくなってしまったら、次こそは退学を免れないもの。新学期も休学していたのだけれど、昨日に学園から手紙がきた。王子がみつかったって」

「それは──」

「嘘だった。でも愚かな私はその手紙を信じ、このとおり制服を身にまとって、学園を目指した。襲われたのは馬車に乗り、領地を出てすぐのことよ」


 下り坂で車輪がぬかるみにはまり、暴れた馬は馬車道を外れ、岩山のなかへ入ってしまった。加速する馬車の物見から前方を見やればすでに馬の姿はなく──、崖下へ滑落していた。


「やはり崖下は川でしたの?」

「いいえ。でもアイラの力ならば簡単に水没できるほどのせまい谷底だった」


 アイラとは、庶民でありながら水属性の魔法に強く、学園でも上位クラスの生徒だ。セリーヌの婚約者のケインを虜にし、セリーヌを暴走させた原因ともいえる存在である。


「では、嘘の手紙はアイラの策略だったと」

「アイラこそが悪女だったのよ。彼女、水に溺れる私や馭者を笑いながらみていた。私は馭者を助けるために、やむを得ず」

「火の魔法を使ったのですね」

「火は、恐ろしいはやさで燃え広がっていった。アイラが森の空気中の水分を乾燥させていたの」

「ずいぶんと計画的ですこと」

「水を蒸発させるために魔力を消耗した私は、私の炎に閉じ込められた。気づいたら、ここに居たわ。きっと、馭者のステインはもう──」


 魔力がおしぼりで枯渇しているため、グラスのなかの氷は溶けない。代わりにぽたぽたと涙が落ちた。


「こうして話している間にも、山火事の犠牲が出ている。どうしたら森を、みんなを救えるの。ああ、アスラン、彼さえ居てくれたら……っ」



「火の魔女が、男に頼るんじゃないよ」



 手首の先のない腕がカウンターテーブルに立つ。

 ブランシェだ。


「私が行こう」

「ブランシェ様が?」 

「ふん、どうせ冬はすぐそこさ。山を凍らせたら、私はそのまま世界樹へ戻るよ。お嬢ちゃんから、クロドによろしく伝えておくれ」


 テーブルから腕を引く。すると一本の細長い黒棒が乾いた音をたてて、ジュリアナのティーカップに添うように転がった。


「これは、私の持ってきた黒炭タール……から作られた、魔法の杖?」

「やるよ。闇の魔法にはやはり、黒い杖がないとしまらないからねぇ」


 ブランシェは笑った。

 冷ややかな、されど親しげな笑みだった。


「ありがとうございます……! なんとお礼を申し上げたらよいか」

「お返しは来年の夏に。楽しみにしているよ」


 ジュリアナにウィンクを送ったブランシェは、次には大胆にセリーヌの両肩に腕をのせた。


「さあいくよ、火の魔女」

「私も、行くのですか」

「私は歩けないんだ、あんたにおぶってもらわなくちゃあね。それに悪いがここは、あんたみたいな善良な魔女が泊まる場所じゃあないのさ」


 セリーヌは、もうなにも言わず席を立つと、両腕をシマさんの背中へのばし、ブランシェのおおきな体を譲り受けた。

 重そうに、されど一歩一歩、扉に進んでいく。

 扉は外側から開かれた。

 クロドだ。

 クロドは深々と一礼し、ふたりへたおやかな笑みを送りながら、そのうしろ姿をしっかりと見届けたのだった。

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