夜のハウス

「アドリーが城に泊まるのですって」


 広い城のなかといえど、元婚約者と同じ屋根の下でなど眠れない。今日こそはハウスに泊めてもらおうと、クッキーと煙草の箱を両手で抱え、ジュリアナは魔法円に立った。

 だが宵のラウンジは気味が悪いほどひと気がなく、悲痛の声もひとりごとで終わってしまった。

 強いて言えば、偽りの魔女クレマンが階段下で眠っているだけだ。引きずって移動させたはいいが、段差を前にして見限られたのだろう。

 ジュリアナは折り重なった箱を受付にのせると、中庭を目指した。以前、クロドが出入りしていた場所であるし、なかが単純に気になったのだ。なにしろガラス越しの中庭には浜辺の砂とヤシの木が一本あるだけなのに、内から戻ったクロドの手にはいつも見たことのない草花が握られているからだ。開けてくださいと言わんばかりに目立つ金のドアノブに触れる。


「お待ちよ」


 苛立ちの目立つ声に、手をとめた。

 声の方角を見やれば、ブランシェの冷ややかな顔が鼻先まで近づいていた。


「誰の許可を得て立ち入るつもりだい」

「支配人のクロドが不在だったものですから、探そうとしただけですわ」

「クロドは宿泊客のもてなしに忙しいんだ、特に夜はな。お嬢ちゃんの相手はこの私がしてやろう」

「そんな、ブランシェ様はお客様ですのに」

「ここはバケーションハウスだぞ? 本来はもてなしもなにもない。紅茶も自分で淹れるし、調理だってする。悪役を脱ぎ捨て、好き勝手に過ごすもんだ。クロドは同胞を甘やかしすぎなんだよ」

「同胞……?」

「おっと、お嬢ちゃん相手だとどうも喋りすぎてしまうねぇ。どれ、その発注書を見せな」


 シマさんの巨躯を受付へ寄せ、発注書と箱の中身を照らし合わせる。


「ふむ。……対価は、ビジタールームでの御一泊か。どうやら今夜は泊まれるようだね」

「よかったですわ!」

「鍵の管理はクロドの胸ポケットだ。奴が戻ってくるまで、私がいつもの場所で宿泊理由を聞こうじゃないか」


 シマさんが器用に前足を上げ、ブランシェの体をカウンターチェアへと移す。重ねて言うが、予約料の価値があるものを持ち合わせていても、宿泊には理由がいる。

 ジュリアナはせっかくですからと、カウンターの内へとまわり、クロドの見よう見まねでお湯を沸かしはじめた。


「ナッツの入ったクッキーがあるから、さっぱりとした香りの茶葉にしましょう」

「しかし、お嬢ちゃんの元婚約者も変わった男だねぇ。グレイ城へのりこむとは、殺されに行くようなもんじゃないか」

「わたくしも、ボコボコになったアドリーの顔を見に帰ったつもりだったのですけれど」


 クッキーを皿に移しながら、ちいさく溜め息を吐く。


「談話室をのぞいたら、お母さまとお兄さまといっしょに紅茶とクッキーを囲い、談笑しておりましたの。なぜ城に入れたのだと問いつめたら、たとえ敵であろうとアフタヌーンティーには、紅茶を振る舞うものだって!」

「いい心構えじゃないか」

「陽は陰っておりましたわ!」


 それはジュリアナへの苦しい言い訳であって、本来の理由は恐らく、敵の腹を探るためだ。アドリアンの愛が真実ならば、保護者は復縁を視野に入れなければならない。


「わたくし、母と兄に発注書を突き出して、はっきりと申し開きましたわ。アドリーがいる限り、城には帰らないと。そうしたらふたりとも、クッキーと煙草を携えこう言いましたのよ。一泊くらいならばいい経験になるから、行って来なさいって! アドリーには寝間着パジャマを持たせて!」

「驚いた。やはり双方、復縁を望んでいるのかい」

「でしたらまず、わたくしに話しをとおすべきでは」

「話しをとおされたら、お嬢ちゃんはどうするのさ。望まれるがままに王宮へ戻り、王太子妃となるのかい」


 ジュリアナが言葉を詰まらせる。

 クッキーはまだ指でつまんでもいない。


「……いいえ。ぜったいに、いやですわ」


 次に舌を滑りでたのは、子どもが駄々をこねたような、頑是ない言葉。瑠璃色の瞳は未来への希望で満ちあふれていた。

 ジュリアナは、ヴィラン・バケーションハウスで悪役令嬢たちの物語を聞いてしまった。

 バルドレン王国という排他的な土地に生まれつき、王宮に入ることだけを目指してきたジュリアナにとって、彼女たちの宿泊理由はまるで大冒険クエスト。おとぎ話ではない、真実の世界を知ってしまった今はもう、王宮になど戻れない。


「それに王宮には聖女が、居りますもの。無理な話しですわ」

「王太子が王位を捨ててでも添い遂げたいと言ったら?」

「彼以外に継承権のある王族がおりません。それこそ実現しようがないでしょう。そうよ、聖女がいる限り復縁などあり得ない。アドリーはほんとうにクッキーが食べたかっただけなのだわ」


 紅茶で口の渇きを癒し、クッキーを口に放りこむ。ブランシェと語り合ううちに、腹に燻っていた怒りはすっかり鎮火していた。

 

「アドリーを城に入れなかった自身が、愚かしく思えてきましたわ。このクッキーのおかげかしら」

「そのクッキーに入っている粒々はなんだい」

「嘆きの海に浮く孤島で育った、慈愛のアーモンドです」


 効能は、許し。ジュリアナがアドリーを許すよう、母エルサが持たせたのだ。材料名でようやく腑に落ち、ジュリアナは口をへの字に結んだ。

 ブランシェもまたナッツクッキーの皿を疎ましげに避け、プレーンクッキーの皿を顎で引き寄せた。


「私は春一番に花を咲かせるアーモンドが苦手でね。こちらをいただくよ」


 舌で拾おうとするブランシェの口もとへ、ジュリアナが添える。


「これは、プレーンクッキーです。家族間で隠しごとはなし」

「ふぅん」


 ジュリアナの指から青白い歯で奪うと、ブランシェは丁寧に咀嚼した。飲みくだした喉をジュリアナの鼻先へゆっくりと持っていき、そして見下し、言う。



「では話そうか。私がお嬢ちゃんをとても、とてつもなく恨んでいることを。未来永劫、決して許さないことも」



 涙で結露したブランシェの瞳が震える。

 シャンデリアの灯りが落ちた暗がりのラウンジで、シマさんのちいさな鳴き声が甘く、空気に揺蕩う。

 ブランシェは話した。


「映画が、観られないんだ」


「えいが?」

「新作を楽しみにしていたのに……、マリエルが視聴覚室シアターから出てこない。部屋で観ろと、ビデオデッキを渡された。ブルーライトでもなんでもない、テープのビデオだ。それだけじゃない」


 この世の終わりのように言いこぼす。


「となりの部屋に、あの裏切り者のスプリングフィールドの娘が泊まっているんだ。信じられるか? すれ違う冬は春と相いれることはない。冬を溶かしていく春ととなりだなんて、耐えられん……っ、お前がアドリーを許しても、私は春の末裔と慣れ親しむつもりはない! 極めつけが、あの婆さん!」


 階段下で健やかに眠る、クレマンを指差して言う。


「あの枯れ木のような女が、ハウスのどこへ行っても視界に入ってくる。景観が台無しだ!」

「それが、わたくしとどんな関係が?」

「人をダメにする緩衝材は、お嬢ちゃんが置いていったんだろうが!」


 そうだった。

 すっかり頭から抜け落ちていたジュリアナはさも驚いたように口に手を添えた。

 クッキーを食べたからだ。


「その間の抜けた顔、やめな!」

「ひどい!」

「そもそも氷のマンドラゴラは、お嬢ちゃんに使うつもりだったんだ! 前世のお前は千年転生できぬほど罪深い悪女だった。かならず死に戻りがいるだろうからと、丁寧に育てたのに! 無駄になってしまった回帰薬を、あいつはあろうことかスプリングフィールドへ、あげやがったんだ……!」

「あいつとは?」

「ノワ・クロドのことだ! おかげで姉妹ともどもに引っかきまわされ、琥珀の部屋スイートルームまで奪われた。あの部屋だって、本来はお嬢ちゃんに整えていたんだ。それをクロドのやつめ、易々と空け渡しおって……っ」


 ブランシェのこぼした涙がみぞれとなって、ジュリアナの頬を伝う。


「お嬢ちゃんが来てからというもの、散々だ。わかっているのかい? 秋がすぐそこまで忍び寄っている。秋の始まりは冬の予感。私の休暇が終わるんだ。一年で唯一の安らぎが、お前にかき乱されて、終わりを遂げるんだよ」

「おい、いい加減にしろ」


 ブランシェの肩をつかみ、話しを止めさせたのはクロドだ。手足がなくとも多少なら魔法を使えるブランシェは、彼の手を二の腕まで凍りつかせた。

 クロドはその冷たさも痛みも拒まず、受け入れた。


「悪いのは、俺だ。目先のことばかりに追われ、お前のことを蔑ろにしてしまった。ほんとうにすまなかった」

「今更、謝るんじゃないよ……っ」

「お前は大丈夫か?」


 カウンター奥に立つ、ジュリアナに声をかける。

 ジュリアナは笑っていた。


「ええ。だってブランシェ様のお話し、わたくしのことを好いてくださっているようにしか聞こえませんでしたもの」

「な……!?」

「ですが、クレマン様の件だけは早急に片付けねばなりませんね。クロド、手伝ってくださる?」

「ああ」


 たちまち、二の腕の氷を溶かす。

 ジュリアナはクロドに暴れるクレマンを抱えさせ、クッションをラウンジの隅へとおろすと、その手前におおきな観葉植物ガジュマルをパーテーションのように置いた。クレマンは金切り声をあげたが、クッションにおろし、ナッツクッキーを口に放りこめばあら不思議。スン、と落ち着きうたた寝に戻った。


「これで景観のお邪魔にはならないでしょう?」

「ならないが、存在を忘れてしまいそうになるな」


 クロドが頭をかく。

 ジュリアナはカウンターへ戻ると、自分のティーカップと皿を片してから、ブランシェに頭を下げた。


「未来永劫許されないことは承知の上、謝罪いたします。今までの無礼、誠に申し訳ございませんでした」

「……いいよ。許す」

「でも」

「許すよ。たった今間違えて、ナッツクッキーを食べたんだ。アーモンドもなかなか悪くはないね」


 笑い合うふたりの狭間に、クロドが遠慮がちに鍵を差し出したが。


「クロドにも申し訳ないのですが、今夜は城にアドリーが泊まりますの。久しぶりの来客ですので、もてなさなくては」


 ジュリアナは満面の笑みを浮かべたまま、おやすみなさいとひと言残し、扉へと向かって行った。


「見た目はまったく異なるのに、芯の強い中身はあの女そのものだな、クロド。クロド?」

「泊まる……、元婚約者が……、同じ屋根の下に」


 カシャーン。

 カウンターテーブルに落ちた鍵が、虚しく響いたのだった。

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