偽りの魔女(下)

 クッキーを喉につまらせたのだ。

 傾国の美女マリエルを頭に浮かべながら紅茶で流しこむ。魔法円に現れたのは、古いローブに身を包み宙に横わる、


「お久しぶりでございますね。おいくつになられましたか」

「レディに歳を聞くもんじゃないよ。一〇六だ」


 白髪の老婆であった。

 手でキュッと握りつぶしたような、こじんまりとしたおばあさんだ。


「クレマントゥール嬢、どうぞソファへお進みください」


 嬢……? 

 という、カウンターからの風を背中で受けながら、クロドは老婆の手をとる。

 だが、骨と皮の腕を引いても動こうとしない。


「クレマンでええよ。それと、宿泊理由はここで話そう。動きとうない」

「さようでございますか」


 いつもなら、すぐにソファに腰を沈めるのだか。歳が歳だ、腰の上げ下げが難しいのだろうと、おしぼりと白湯の入ったティーカップをのせた、サイドテーブルをそばへ寄せた。テーブルの下からのぞけば、まるでなにかに包まれているように宙にたゆたっている。

 浮遊魔法が使えるほど魔力が残っているなら、ソファに座ればいいのに。そう思いながらも口にはせず、淡々と先へ進ませる。


「それでは、どうぞお話しください」


 老婆──クレマンは、天井に揺れるシャンデリアに息を吐いた。


「ワシもついに潮時かねぇ。人間に愛着がわいてしもうてなぁ」


 ジュリアナもまた、老婆にならうように天井を見上げた。シャンデリアにクリスタル製の髑髏がぶら下がっている。さすがヴィラン。気づかぬところで趣味が悪い。


「ねぇ、クロド」

「聞かれる前に答えておきますが、彼女はまやかしの森に住む偽りの魔女です。冒険者が理非を問わず辿り着きたい、帰りたいときに現れるまやかしの森。そこで行き合う彼女に道を尋ねればかえってくるのは偽り。彼女の言葉を信じれば路頭に迷い、力尽きて死ぬ運命を辿るのです」

 

 髑髏を茶化したかっただけなのだが、思いがけず彼女の歴史を知り得た。シャンデリアとならぶ絶妙に悪趣味な生業だ。


「森には様々な罠をしかけていてねぇ、指を差した先が断崖絶壁だったり、底なし沼だったり」

「その罠にご自身がハマって、いつも休暇を取られるのですよね」

「やだ、なにそれー!」


 あっはっは。ビアンカが快活に笑うと、クレマンの細糸のような目が刮目した。

 彼女の瞳は世界を力で掌握したような色をしている。

 ジュリアナはカウンターの下でビアンカの太ももをつねった。ハウスに森を喚ばれてはひとたまりもない。

 

「あんた、なにすんのよ! もが」

「お母さまの焼いたクッキー、美味しいでしょうおほほほほほほ」

「うん? クッキーがあるのかい。お嬢ちゃん、ワシにもひとつくれないかい」

「どうぞ」


 ビアンカの口に詰めこみながら、クロドが差し出してきた小皿にもクッキーを滑らせる。クレマンはスン、とひと嗅ぎ、シワで吸いとるように食べた。


「ふむ。これはまた、愛情のこもったクッキーだこと。プレーンなだけに材料の味がよくわかる。金のグリンカムビの卵に、冥界の山羊バフォメットか。特に発酵させた山羊のバターの風味がとてもいい」

「お褒めの言葉をありがとうございます。わたくしのお母さまが作りましたのよ」

「なるほど。隠し味は"家族にヒミツはなし"、効能は"決して忘れない"。お嬢ちゃん、さてはグレイ公爵令嬢だね?」

「さすが偽りの魔女、クレマン様! 大正解ですわ」


 クロドが皿の上のクッキーを二度見する。なんの変哲もない、いたってシンプルなアイスボックスクッキーだ。


「このクッキーには、そんな効能が……」

「わたくし魔法は覚えられるんですけど、王室のマナーがめっきり苦手で。このクッキーにずいぶんと助けられましたわ」


 ジュリアナの事情はさておいて、母エルサの魔女としての資質に舌を巻く。

 一方、クレマンは腰に巻いていた巾着袋を開けた。


「ほれ、お返しにワシの作ったクッキーをやろう」

「クレマン様が?」

「なに、毒も薬も入っとりゃせんよ。安心してお食べ」


 ジュリアナが受け取ったクッキーは、手のひらよりも大きなドロップクッキーだ。溶けかけのチョコチップがツノを出している。

 ジュリアナはなんの躊躇いもなくかぶりついた。食べかすが飛び散らないのは、さすが元王妃候補である。


「うわぁ、美味しい〜! ザクザクして、お母さまのクッキーと食感がまるでちがう! 一枚でお食事になるサイズ感もいいですね」

「そうだろう? あの子もそうやって嬉しそうに食べてくれた」

「あの子?」

「ハーロルトだ」


 ピシリ。ラウンジに鋭い音が響く。ハウスに漂う剣呑な空気を察知し、シャンデリアの髑髏にヒビがいったのだ。

 しばらくして、紅いドレスに身をまとう令嬢が、音もなく階段を駆け下りてきた。ガーネットだ。


「今、誰かハーロルトを呼んだ?」


 偏見ではなく、ハウス利用客はみな耳ざとい。ガーネットは当たり前のように一番前の席に座った。

 人口密度と温度の上がるラウンジで、クレマンは話しを続ける。


「ある満月の夜のことだ。まやかしの森を喚ぶ声が聞こえてね。向かってみれば腹部に深傷を負った男が、気を失い倒れていたんだ」


 びくり、ビアンカの肩が揺れる。

 ジュリアナは感慨深くうなずいた。しぶとく生きていたんだね!


「記憶に残らなければ面白くない。ワシはその男を小屋へ引き入れ、寝かせてやった。傷が癒えるまでじゃない。ひと晩だけだ。意識が戻れば偽りの道を教えて追い出してやろう。そう思っていた。だが──」

「ひと晩で回復したのですね」

「ああ。自身に回復魔法をかけて、全快した。怪しく思って額に手をかざしたら、案の定、紋章が表れたのさ」

「紋章……?」

「王家の紋章ですよ」


 王家は同族、もしくは魔法使いの血胤が額に手をかざすと、その国の紋章が表れるのだと、クロドが説明した。

 誰も、どこの紋章かは尋ねなかった。

 ヘルトユート王国の紋章で決まりだ。


「それからハーロルトは、お礼にと水汲みに洗濯、掃除まで勝手にやり始めた。ワシは小屋に入れただけなのに。王子という身分がありながら。お礼のお礼だと、クッキーを与えれば味をしめてしまってねぇ」


 偽りの魔女に会える人間は、道標を欲する冒険者だけだ。だがハーロルトは道を尋ねることなく、月が欠けて見えなくなるまで居座り続けた。


「男が道標を願ったのはクッキーに飽きたころさ。男はヘルトユート王国の第二王子、ハーロルトだと明かし、ビアンカという女性に会いたいのだと願った。ビアンカは命の恩人。短いあいだ共に暮らしていたのだが、眠っている間に強盗にあい、彼女だけがさらわれてしまったらしい」

「ほう」


 ビアンカに視線が集まる。本人は居た堪れない顔をしているが、王子が誤解しててよかったね!


「ワシは迷った。偽り続けて百年──、迷ったのははじめてだった。困惑したワシは、ハーロルトにひと晩考えさせておくれと頼んだ。そしてその夜」


 腹をこぶしで叩く。

 革のベルトに染みこむ血痕が、やけに目立った。


「ハーロルトを殺してしもうた」


 どこかで聞いた話しだ。話しは佳境であったが、誰も相槌を打たなかった。クロドとガーネットの手がクッキー皿にのびる。なるほど、クッキーは反応に困ったときに最適のおやつである。

 ジュリアナは、クッキーの後口を紅茶で一掃し、人差し指を立てて言った。


「つまりお婆さまは、来世でハーロルトと添い遂げるために、殺害を自白して自ら処刑を望むおつもりなのですね?」


 クレマンは糸目をふたたび刮目させ、ジュリアナに拍手を送った。


「驚いた。まだ若いのに、悪役の掟をよく知っているじゃないか」

「それほどでも」 


 二度目ですし。

 なぜかジュリアナの株だけが爆上がりする理不尽な昼下がりに、ほか三名は神妙アンニュイな面持ちで、二枚目のクッキーを食した。


「この気持ち悪い空気、私一生忘れないわ」

「ガーネット嬢、そもそもクッキーにそういう効能がありますので」

  

 一斉に溜め息をつく。


「なんかこう、なにも考えずスカッとしたいな」

「それならビアンカ、是非マリエル様とスプラッタを鑑賞しましょう」


 なんだかんだ気に入ったのかハンカチーフにクッキーをおさめ、ガーネットとビアンカが階段をのぼっていく。

 これから鑑賞するスプラッタは生涯忘れることのできないトラウマとなるだろう。

 クロドもまた、なんとも言えない気持ちに区切りをつけ、胸ポケットを探った。


「えー、それでは、王子を殺害されたクレマントゥール嬢にふさわしいお部屋を……」


 どうせ今ごろ息を吹き返しているが、仕方ない。一日くらいはいいだろうと、大魔女の部屋スイートルームの鍵を取り出すが。


「クレマントゥール嬢?」


 にわかに信じがたいことに、クレマンは魔法円の上でうたた寝をはじめた。話し疲れたとはいえ、困ったものだ。

 表へまわるクロドへ、ジュリアナが遠慮がちに声をかけた。


「あの、クロド。誠に言い出しにくいのですが……」

「なんだ」

「おそらく、緩衝材バッファのせいかと……」

「バ?」


 クッションは布で隠したが、またいつ誰かが犠牲ダメになるかわからない。ハウスで処分してもらおうと持ちこんだのだが、話しに夢中になって存在を忘れていた。


「なにせ、見えないものですから」

「つまり、ハウスに来たときから座っていると」


 宙に浮かんで見えたのは魔法でもなんでもなく、クッションに包まれていたからだ。


「クレマントゥール嬢、失礼を」

「シッ」


 抱き上げようと伸ばした手をピシャリと叩かれたクロドは、怒髪天をついた。


「……おい、ジュリアナ」

「ジュリアナ?」


 気安く呼び捨てないでと苦言を呈するところ、名前を間違いなく発音したクロドに、ジュリアナはただ驚いた。思えばクロドは初日から、一字一句間違わず、ジュリアナと発音していた。

 家族ですら、愛称でしか呼ばないのに。


「クロド。あの」


 だが今は、クロドの強面メーターの振り子が振り切っている。

 ジュリアナは丁寧に聞き返した。


「なにか御用でして?」

「クッキーも追加だ。これ発注書な」

「煙草ツーカートンに、クッキーを二ダース。……今晩までに!?」

「さっさとお母さまとお兄さまにお願いしてこい」


 クロドの行き場のない怒りはすべて、ジュリアナへ向けられていたのだった。

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