死に戻った双子(上)

「ビアンカ、糸は出来ていて?」


 ジュリアナ・グレイ公爵令嬢の予約時刻。

 おびただしい光の柱とともに、彼女はヴィランバケーションハウスの床へ足をつけた。受付に立つクロドが左手を全力で振りかぶる。


「ほらよ」

「びゃっ」


 公爵令嬢が一生発しないであろう声を奏で、ジュリアナは顔面に貼りついたおしぼりをはがした。


「あれ? これ……」


 おしぼりの冷ややかな感触はしっかりと感じられるのに、おしぼりそのものも、受け取った自身の手も見えない。


「このおしぼり、まさかビアンカが?」

「そ。試しに綿コットンを紡がせたらハマってな。目には見えないがハウスのそこらじゅうに飾られているぞ。お前のオーダーした絹糸は三日前に仕上がっているから安心しろ」


 受付に置かれた呼び鈴を鳴らす。

 すると、滑らかな総レースのドレスに身をまとったビアンカが階段を滑りおりてきた。


「お待たせしましたわー!」


 おりきったところでドレスの裾を踏み、ハウスの床へ顔面を派手に打ちつける。クロドはおしぼりにポーションスプレーを吹きつけ、ビアンカへ紳士の所作で手渡した。

 ビアンカが立膝をついて起きあがる。


「ブランシェ様にいただいたドレス、丈を詰めたのにおかしいなぁ」

「今から貴族転生する練習でもしているの? 失礼だけど、あなたにはエプロン姿が似合うわ」

「悪役令嬢って、その前置きでほんとうに失礼を言うのな!」


 などと言葉を交わしながら、ジュリアナとビアンカは互いに肩の重なる距離で、カウンターチェアへと同時に腰を入れた。


「あら、わたくしのお母さまはキッチン仕事が好きで、特注で仕立てたエプロンドレスを着ておりますのよ。小柄なビアンカによく似合うと思うのですけれど」

「ふぅん、貴族もエプロンをつけるのか」

「人それぞれでしょう。それよりブランシェ様の、スイート・ルームの居心地はどうでした?」

「それこそ私には不相応だったよ。一泊限りで遠慮したさ」


 なぜか、げっそりと言う。

 軟禁生活の長いビアンカには広すぎたのかもしれない。そう思い、ジュリアナは部屋の話題をやめた。


「クロド、紅茶を」

「当ハウスは予約手数料先払いですよ、ジュリアナ嬢」

 

 苛立ちをペン先にのせ、宿泊名簿に文字を綴る。一体なにをそこまで書くことがあるのか。ジュリアナの名簿はそこそこの厚みができている。


「そうでしたの。ごめんあそばせ」


 ジュリアナは平坦な調子で言葉を返し、包み布を広げた。


「ほんものが、五本……! たしかに」


 クロドはその中身に目を輝かせると、颯と奪うようにカウンター下へしのばせ、代わりにティーポットを持ち上げた。


「それでは、宿泊理由をお願いいたします」


 紅茶ウェルカムドリンクは嬉しいが、宿泊理由なる話題を頭に思い浮かべると、グンと気落ちする。

 ジュリアナはポツポツと話し始めた。


「先日、わたくしが開発した魔具なのですけど」

「グレイ公爵当主の動きを奪ったという魔具ですか。今も尚、縛られていると」

「縛られているというか、包まれているというか」

「包まれ? 寝具ですか」

「座ると腰を上げることが難しくなるクッションです」

「拘束具ですか……! なんと興味深い、その材料は」

「バルドレンの翼竜の崖に咲く、アマラントスの実を詰めましたの」

「アマラントス……!? 幻の不死の花ではないですか! 翼竜の巣の下にしか咲かず、摘みにきた人間はみな彼らの餌食になるという──。その花ではなく、実!?」

「はい。とってもちいさな実なのですが、弾力があって、これはもしかしたらと思いまして。布に詰めたらあら不思議。立つことが難しくなるほど座り心地のよいクッションが出来上がりました」

「座り心地がよい」

「はい」


 アマラントスの実は一輪につき五百から千粒採種できるが、それでもクッションに詰めるとなると、幻の花を何百と摘まなければならない。翼竜に襲われる危険に晒されながら集め、作り上げた魔具の威力たるや。


「その名も、人をダメにする緩衝材バッファ


 鼻高々に言う。

 クロドは不安心を抱かずにはいられなかった。

 どこかで聞いたことがあるな。


「まさか、ほんとうに座り心地がいいだけとか言いませんよね」

「恐ろしいほどそのとおりよ」


 もっともらしく言うが、結局のところ「イエス」である。


「まあ、それで宰相の手腕を王国から奪えたら、少しはお前も悪役に近づけるか」


 クロドはスライスしたレモンをカップへ沈めながら、思い直した。

 王子に婚約破棄されたジュリアナがその腹いせに宰相である父を束縛したと広まれば、政務官たちは我儘なジュリアナを疎ましく思うだろう。聖女の予言と重ねて断罪すべきだと、王自ら動くかもしれない。


「あら、お父さまは渋々お務めに出ておりますわよ」


 レモンで明るくなった紅茶の色に、ジュリアナは少し心を晴れやかにして話した。


「素敵……、お母さまの焼いたジンジャーブレッドによく合いそう」

「俺はなにを聞かされていたんだ。親孝行の話しか」

「そうですわね。問題は、お父さまが生理現象といれに立った隙にお母さまが座られたことです。興味本位だったのでしょうけれど、その魅力に取り憑かれたようで、以来」


 カップを取り、紅茶の表面に溜め息の風を送る。


「キッチンに立たなくなってしまいましたの」


 この世の終わりのようなジュリアナの手もとで、ビアンカとクロドが「私にもレモンちょうだい」「どうぞいくらでも」などというやり取りを始めた。

 ジュリアナはカップに口をつけ、尚も続ける。


「こんなに美味しい紅茶があるのに、どうしてクッキーがないの!」

「ビアンカの話しを聞いたあとで、よく揚々と語れたものだな」

「我が家にとっては一大事ですわ。お母さまの焼きたてのクッキーがないアフタヌーンティーなんて、冥界じごくのよう」


 ビアンカは「焼きたてのクッキーが毎日食べられることが、貴族の暮らしなのだな〜」と惚れ惚れ聞き入っているが、宿泊理由としての価値はない。

 予約料金分は頂戴しているため、この先どうしたものかクロドが考えあぐねていると、受付のベルがひとりでに鳴った。


「おかしいな。今日一日、来客予定はないはずだが。まさか──」


 ヴィランバケーションハウスでは、午前零時にその日の宿泊予定客が決まり、受付に名簿がならぶ。神の目による裁きだが、時として突然、当日客を迎え入れることがある。たとえば一度死を迎え、神の目を離れたにもかかわらず、死に戻ったご令嬢──。


「マーガレット嬢……、では、ない」


 腕のなかにおさまった名簿は、白紙だ。リピーターではない、はじめての来客。クロドは魔法円に立つ令嬢へ頭を下げ、言った。


「ヴィラン・バケーションハウスへようこそ。恐れ入りますが、あなた様のお名前はガーネット・スプリングフィールド様でお間違えないでしょうか」

「ええ。間違いなく、私はガーネットよ」


 ジュリアナとビアンカが揃って両手で口を塞いだ。

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