糸紡ぎの魔女(下)

 ハウスで夢のようなひとときを過ごしたビアンカは、二度と戦に利用されぬようにと、安息の地を念入りに選ぶのだが。


「どんなに遠い異国を選んで移り住んでも、毎回同じ末路を辿るんだよ。隠したってすぐにみつかる。親友だと信じた女に、恋人にも裏切られ。それでも糸を紡ぐことしか知らない私はこの能力を売りこむしかなかった。馬鹿な女だろ?」

「……いいえ。とても難しいことですわ。人はひとりでは、生きていけないもの」


 ビアンカはジュリアナの言葉に目を瞠ると、忙しなく宿泊名簿にペンを走らせるクロドへ、新しいティーセットをひと組出すよう命じた。


「こちらのお嬢さんへ。私に負けないひどいクマだ」

「かしこまりました」


 ティーポットがポットウォーマーから外され、紅色のハーブティーが注がれる。


「いただきます」

「まったくだ。心して飲め」


 そんな大層な。そう呆れつつジュリアナはひと口嗜み、全身に雷が走った。天然のベリーの酸味に、絡み合う蜂蜜の甘み。その個性を活かすようブレンドされた茶葉の香りが絶妙に混じり合い、鼻にぬけていく。脳を突き刺すような快楽に酔いしれ、そして心に強く決めた。

 今後、クロドの淹れる紅茶は決して断らないことにしよう。


「これが予約客の味……! それで、話しの続きは」


 ビアンカは回復した目を瞬かせるジュリアナへ、求められるがまま、話しの続きを聞かせた。


「糸を紡ぎ、みつかり、騙され裏切られ……壊れるまで糸を紡ぐ。これを何度も繰り返して二〇年。闇の市場ではちょっとした有名品だ。今は世界のどこへ行っても、売ればかならず足跡がつく。前回は、魔女わたしをあぶりだそうと隠れ家にしていた村の人間全員が焼き殺された」

「いよいよ、ひとりで生きていかなければならなくなったということ……? 今はどちらに」

「欺瞞の泉に」


 クロドが淹れなおしたポットを置きながら感心する。


「ほう。ヘルトユート王国の国境に近い深淵ですね。人間が立ち入るとあらゆる魔物に化かされ、二度と出られないと言われています」

「私は布をかぶれば、魔物の目にも映らないから化かされることもない。泉に囲われるようにして建つ古城の一角を間借りして、暮らしている。地味だが、とびきり平穏だった。糸を売らなくても、泉で溺れ死んだ人間の衣服や持ち物を売って、細々と暮らせる」

「平穏、だった」


 ようやくに手に入れた穏やかな生活は、もはや過去のものだと言っている。休息を急する出来事が、ビアンカの身に起こったのだ。


「……流れてきたんだ」

「流れてきた? なにが」

「王子が」


 クロドとジュリアナは同時に目を合わせた。共に聞いた話しに、川に飛びこんだ王子がいなかったか。川に溺れる人間は世界に数多くいれど、王子はそうそういない。


「なにゆえ王子とわかったのです」

「高そうなベルトをしていたから外してみたら、ヘルトユート王国の紋章の入った短剣が装備されていた。これでしばらくは食いつなげると、次々とはぎとっていたら息を吹き返したんだ」

「待ってください、生きていたのですか! 王子の名は」

「ハーロルト」


 ハーロルトは、へルトユート王国の第二王子だ。ひと月前、冤罪を着せられた婚約者の後を追い、川に身を投げたのだが。

 ジュリアナがクロドに噛みつく。


「回帰薬は? マーガレットは人生をやり直すために回帰薬で死に戻り、王子の命を救ったのではないのですか」

「薬を使用しても同じ運命を辿ることは多々あります。へルトユート家の血胤は水の精霊に好かれており、ゆえに水難に遭いやすくもあるのです

「水難ですって」


 妙な間が空く。

 ビアンカに疑念を抱かれる前にと、クロドが続きを促した。


「王子とわかってもお見捨てにならず、介抱されたのですか」

「ああ。王国に糸紡ぎの力を知られる恐れがあるとわかっていても、放っておけなかった。お嬢さんの言ったとおり、私はどうしても、ひとりではいられなかったのさ」

「……王子を、愛してしまったのね」

「なんだかほうっておけないヤツなんだよ。だが、ハーロルトには忘れられない女がいた。決まって寝言でつぶやくその女の名は、囚われの身だった私ですらよく知る、スプリングフィールド領の娘。ガーネット・スプリングフィールドだ。血統のない、糸を紡ぐだけの私では、到底敵わぬ相手。そもそも、彼と私では釣り合いっこない。だから今世は諦めた」

「今世?」


 ──ガシャン。

 ソーサーにヒビが入るほどの音をさせ、ティーカップを置く。


「ハーロルトと来世で結ばれたい。だから、預かっていた短剣で腹を突き刺し、殺した」


 それから、にっこりと笑った。

 

「私は王子を殺した罪で死罪だ。自首する前に、クロドに頼まれていたぶんだけは渡したくて、ハウスを予約したんだ。苦手な機織りも頑張って、徹夜で仕上げたんだぞ」


 剣の刺さった王子の横で布を織っていたのか。その情景を頭に浮かべ身震いを起こすクロドの奥を、ジュリアナはジッとみつめた。そこには傾国の美女マリエルが遺した、リップつきのグラスが並んでいる。


「……死刑を望む? つまり、王子と相応の身分の娘に生まれ変わるつもりなのね。悪役令嬢は、悪役令嬢に転生をする。その代わりに好きな血胤を望めるのね?」


 語尾はクロドへ向けて尋ねた。

 クロドはゆっくりとうなずき、諭すように言った。


「悪役令嬢。人々を傷つけ、苦しめ、陥れるその役目は、長く続けるほど恨みを深く買い、ときにひどい報復や理不尽な仕返しを受けることでしょう。ですが、その人生をまっとうすれば、次に待っているのは希望の人生。好きな容姿、好きな身分に生まれ変わることができます」

「うん、うん」


 満足げに両手を合わせるビアンカ。その手は今にも糸を紡ぎだそうと動いていた。

 ジュリアナがぼそり、つぶやく。


「……もったいない」

「ん?」

「もったいないと言っているの。類まれな能力を生まれ持っておきながら、その力を自分のために、自由に利用しないまま人生を終えるなんて」


 ジュリアナはビアンカの両手を、自身の手で優しくとった。


「糸紡ぎ、お好きなんでしょう? 手首を切り落とされることが耐えられないほどに。それなら休暇中に私にもひとつ、紡いでくださらない?」

「馬っ、お前なにを言い出して──」


 そこへ急に現れた冬の魔女ブランシェが、ジュリアナとビアンカの絡み合う手の上に、覆い被さるようにして顔を出した。


「対価は黒炭タールがいいねぇ。お嬢ちゃんが、クロドへプレゼントしていたやつさ。五本もあればいい杖が作れる」

「黒炭? 対価は黒炭でよろしいの」

「クロドへ譲ってくれないか頼んだんだが、お嬢ちゃんからのはじめての贈り物だからって、どうしてもくれなくて」

「こらブランシェ! 様!」

「黒炭を五本くれるなら、私はおとなりのお嬢ちゃんへスイートルームを明け渡そう」

「スイートルーム! 大魔女だけが泊まることができる、最下層の……? きゃー! 喜んで紡ぐわ!」


 ビアンカがジュリアナの手を強く握り返し、飛び上がる。


「いくつ巻けばいい?」

「そうね、クッションを隠せるくらい。素材は、絹でお願い」

「絹糸……? 私、羊毛でしか紡いだことしかないわ。私にできるかしら。……ううん、七日で仕上げてみせるわ、ジュアンナ!」

「ジュリアナです」


 ブランシェからスイートルームの鍵を受け渡されたビアンカは、ぎこちなく踊りながら廊下の奥へと渡っていった。


「約束だよ?」

 

 ブランシェもまたそう言い残し、テーブルに置きっぱなしの鍵を口にはみ、さらっていく。


「あっ、それ私の部屋の──」

「お前は実家に帰って、すぐに黒炭を確保してこい」


 ジュリアナが持ってきた黒炭は千年燃やされ続け灰にならなかった魔女のかまどの炭だ。ダイヤモンドより硬く熱に強い黒炭は、魔女の杖の原料となる。そう易々と手に入るものではない。


「えー! 今日こそは泊まりたかったのに」

「口ごたえはなし」

「んもぅ!」


 追い出されるようにして扉に向かうジュリアナであったが、そのステップは子鹿のように軽やかで愉しげなものだった。

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