糸紡ぎの魔女(上)

「わたくし、禁忌魔法でとんでもない魔具を発明してしまいましたわ」


 その日のジュリアナは様子が違った。

 婚約破棄された日よりずっと顔色を青白くさせて、受付にのせた手をかすかに震わせている。

 クロドはおしぼりを手渡すと、すぐにカウンターへと招いた。前から二番目、いつもの席だ。

 ジュリアナは自身の手のひらをみつめながら、クロドへ囁くようにして尋ねた。


「我が家の、グレイ公爵家の伝承をご存じかしら」

「一部でしたら。グレイ公爵家といえば、闇を司る魔法使いの血胤。洗礼式では生まれてすぐの赤子に冥界の悪魔と契約を結ばせ、強い魔力を得るのだとか」

「ええ。身体にそぐわぬ魔力を得るため、しばらくとてつもない激痛を味わいますのよ」


 ジュリアナは重いまぶたをキュッと結んだ。

 忘れたけどね?

 トラウマにならないよう、赤子のうちに契約を済ませるのだ。痛みに泣き叫ぶ赤子をあやす母親は大変な苦労と悲しみを伴うが、夜泣きの一種だと思って耐えるのだと、ジュリアナの母は証言している。


「当主は即位時に右眼をくり抜き、魔眼を入れるとか」

「よくご存知ですのね。お父さまの悲鳴は、幼心に憶えておりますわ」


 曽祖父の代で魔眼はコンタクトレンズ製に進化しているのだが、ジュリアナの父は目薬もまともにうてないため、はじめての(ソフト)コンタクトレンズにとても苦労した。


「それから、家を出るものはオリジナルの魔具を発明し、家族に認められなければならない」

「そう! それです! 今まで学んできた闇の魔法を駆使し、なおかつ自分らしい魔具を作り、家族へ捧げるのです」

「ですが、その魔具は一国を滅ぼすほどの力がなくてはならないのでしょう。あなた様にはとても──」


 クロドはジュリアナがこぼした冒頭の台詞を振り返った。


「発明したのですか」

「ええ」


 棚からグラスを取ったが、「紅茶を飲んできたばかりだから水はいらない」と、止められた。


「よく紅茶を飲むご令嬢ですね。それで、出来上がった魔具は」

「お父さまが、一歩も動けなくなってしまわれたの」

「グレイ公爵家の当主が……?」

「わたくし、もう二度と城に戻れないわ……っ」


 当主は禁忌魔法の守護責任者であり、バルドレン王国の宰相だ。千年前からそうと決まっている。魔法界だけでなく国政を担う重鎮を不動のものとする魔具とは、一体──。


「お話の腰を折って申し訳ないのですが、続きは後ほど。そろそろ予約客がいらっしゃるころですので」


 胸ポケットからあっさりと客室の鍵を取り出し、カウンターテーブルに滑らせたが、ジュリアナは受け取らない。

 

「予約客とは。このバケーションハウスは予約ができますの」

「はい。条件はリピーターであること。それから予約料金はきっちりいただきます」


 エプロンを締めなおし、受付に立つ。

 頭を垂れると同時に魔法円が光を放った。

 現れたのは、生成り色のブラウスに深緑のエプロンドレスを合わせた簡素な服装の娘だ。娘はエプロンを少しつまみ、頭を下げると、おおきな猫目を重そうにして、荒い口調で笑ってみせた。


「一年ぶりだな、クロド」


 肌は健康的に日焼けしているが、目の下のクマは、ジュリアナよりずっと深い。彼女が空の籠を武骨に突き出すと、クロドは両手をこすり合わせて受け取った。


「これはこれはビアンカ嬢! お待ち申し上げておりました」

「悪いが、すぐに座らせてくれ。疲れているんだ」

「どうぞどうぞ」


 ジュリアナから更にふたつ空席を開けて、奥のカウンターチェアへと誘う。クロドの態度の違いに眉をひそめたジュリアナであったが、鼻をくすぐる茶葉の豊かな香りに顔をあげた。


「紅茶……? 予約客には紅茶が出るの!」

「はい、それがなにか。ジュリアナ嬢は、飲んできたばかりなのでしょう」

「うっ。それは、そうだけど」


 嗅いだことのない甘い果実の香りに俄然興味が湧く。ティーカップに注がれた紅茶は鮮やかで健康的な紅色をしていた。


「ああー、甘酸っぱくて美味しい」

「甘酸っぱいですって」


 ごくり、喉を鳴らす。

 よく喉が鳴る令嬢である。

 ビアンカは怪訝に目を寄せ言った。


「悪役令嬢の同席とは、珍しいな。なにかの余興か?」

「いえ、ただ腰が重いだけの小娘にございます」

「小娘ですって!」

「くわえ、宿泊理由に聞き耳をたてる趣味をお持ちです」

「ふぅん、いい趣味してるじゃないか。まぁいい」


 ビアンカはティーカップを置いて、甘い吐息を吐いた。先ほどまで深く刻まれていたクマが霧が晴れたように消えている。


「予約客だろうと、宿泊理由は必須。前回の続きからでいいか」

「はい」

「いいえ? 出生からお願い」


 ジュリアナが背筋を伸ばして願い出る。

 ビアンカはふたたびティーカップを手に取ると、ジュリアナの図太さに乾杯して話し始めた。


「私に生まれなんて大層なものはない。アドラム国という草原しかない国の、名もない羊飼いの、糸紡ぎさ。ただ私の紡ぐ糸には、不思議な力が宿った」

「魔力? 属性は」

「わからない。ただ、その糸で編んだ布は消えてしまう」

「消える? 糸が」

「いや、糸は見える。だから何色にも染まる。でも機織りに糸を通し、織りあがった布は目に見えなくなる。クロド」

「百聞は一見にしかずですか」


 先ほど受け取った籠をカウンターテーブルへ渋々のせる。


「見えませんけどね」


 覗きこんでも籠のなかは空っぽだ。それから底が抜けて見える。ビアンカが手を差し入れると、その手が見えなくなり、やわらかな風とともに姿すら消えてしまった。

 手品のような光景にジュリアナは驚きもせず、まじまじとみつめ、つぶやく。


「布だけでなく、被せたものも見えなくなるのですね。外套にすれば身を隠せる」


 ビアンカは、顔だけを突き出して豪快に笑った。


「あんた、いい観察眼をもってるじゃないか」

「魔具作りに大切なことですもの。生まれもった特殊能力ならば、その原理は当然、解明されていないのでしょう。それほど怖しいことはないわ」

「怖い……? そうだな。きっとみんな、わからないことが怖かったんだ」


 そこで口をつぐむと、手際よく布らしきものをたたみ籠へ戻した。代わってクロドが語る。


「ビアンカ嬢は齢六歳で糸紡ぎの能力を買われ、身ごと軍事施設に引き取られて以来二〇年、糸を紡ぎ続けているのですよ。諜報員の衣服だけではない。何千という兵の軍服から、基地を覆い隠す垂れ幕の糸まで、すべて彼女が紡いだ」

「聞いたことがあります。アドラム国の軍兵が二国挟んだ先のヘルトユート王国に突如として現れ、決して壊せないと言われたスプリングフィールドの城壁を崩して瞬く間に消えたと。そのときの軍兵が、消える服を着ていたのですね」

「十年も前のことを、よくご存知で」

「でもその後、攻撃どころか侵略する素振りもなく、両国首を傾げて和解したのでしょう」

「両国、ではないですね。アドラム国は兵を増やし侵略するつもりでした。ですが増兵分の軍服を作り終える前に、ビアンカ嬢が逃亡した」

「逃亡。……ここね?」

「ええ。はじめての休暇バケーションです。糸を紡ぎ続け、その合間に行われる人体実験に彼女の身も心も耐えられなくなったのです」

「実験……?」

「糸紡ぎは機織りの十倍、縫製の六十倍時間を要しますから。彼女のような能力者を増やそうと研究したのでしょう。だが腹を裂き、はらわたを取り出してもなにもわからない。その上、切開の傷みに苦しむあいだは糸が紡げない。苛立った研究員はついに手首を切断しようとした」


 ティーカップを口もとへ近づける、ビアンカの指が震える。


「それだけは耐えられなかった。糸紡ぎは私のすべてだ」


 ヴィラン・バケーションハウスは、ビアンカを盛大にもてなした。彼女のすべてである糸紡ぎは、草原を焼き野原と化す戦乱の世を招いたからだ。

 ヘルトユート王国の損害は城壁だけだったが、アドラム国は隣接する国々への侵攻に成功。一〇年間におよぶ大戦乱の末、数多の城が崩落、街が消え、国が滅んだ。その間、ビアンカの紡いだ糸で作られた千着の軍服は、様々な悪事に役立てられた。ちいさな盗みから、夜襲、集落の大虐殺まで。


 そのすべての元凶は糸紡ぎの魔女スピナー、ビアンカ。

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