火の魔女(二)
「私は火を司る魔法使いの血胤、フレミー侯爵家のひとり娘。生まれつき魔力の制御能力がなく、成人式までに身につけるべきだと、学園へ入れられたの。……婚約者の、ケインといっしょに」
「失礼ですが、ケイン殿の出生は」
「風を司るヴィンブレット子爵家の次男よ」
「ふむ。火に風ですか。次男ということは、いずれは婿として迎え入れるおつもりだったのですね」
うなずく代わりに、まぶたをゆっくりと落とす。
「学園は下級社会に触れるいい機会だと、ケインは自ら一般寮を選んだ。そこで出逢ったのが、アイラよ。彼女は辺境農家の出身だけれど、水属性の魔法に優れた優秀な生徒だった。物静かで大人しいのに、彼女のまわりにはいつも人があふれていたわ。水の浄らかさに惹きつけられるように」
「……ケインもまた、アイラに心を奪われたひとりなのですね」
セリーヌは両手でグラスを握りしめた。彼女の手のひらは結露した水分を枯らすだけでなく、グラスの中身を沸騰させた。
「学園では、夏休み前日にその年の首席が決まる。今年ももちろん私が選ばれて、そのお祝いのパーティーにケインを誘ったの。でも……断られた。君のエスコートはもう二度とできないって」
「お祝いのパーティー? まるで、以前からあなた様の首席が決まっていたようですね」
「ケインにも指摘されたわ。アイラが最も相応しいのに、なぜ君なのだと。学園にいくら寄付させたんだって。親にせがんでもその座が欲しかったのかと。私、言い返せなかった」
「では事実だと?」
「まさか。お父さまもお母さまも、そんなことをするような御方じゃないわ。首席は成績を見れば歴然としていた。アイラは得意の実技に成長が見られず、筆記は相手にならなかったもの。それなのに、私……、ケインに断られたことが悲しくて、嫌われたことがつらくて、言い返すことができずに」
グラスのなかの水が枯れる。
「火を放った」
となりで聞き届けていたジュリアナはごくりと生唾をのんだ。
クロドは、グラスに水を注いだ。セリーヌと、自身の喉を潤すためだ。ラウンジのなかで、溶岩を運びこんだように急激な気温上昇が発生していた。
怜悧なあご先から汗をしたたらせ、尋ねる。
「その被害は」
「魔力が暴発したのよ? 一面が火の海よ。校舎も、寮もすべて」
「そばにいたケインは」
「風の魔法で逃げたわ。アイラだけを庇ってね」
クロドは感嘆の声をほう、と息にして吐いた。次には胸ポケットからオーソドックスな長方形のアクセサリーをつけた鍵を取り出し、言葉を添えた。
「御理由、頂戴しました。夏休みのあいだ、心ゆくまで御ゆるりとお過ごしくださいませ」
セリーヌが鍵を受け取る。その手に同じ白さの手が重なった。ジュリアナだ。
「待って?」
クロドは、無理矢理でも先に帰しておくべきだったと、ふたたび目を座らせた。
「あのなあ、セリーヌ嬢は強い結界で護られているはずの魔法学園を火の海にしているんだぞ。これは歴史にのこる悪事だ。それに、お前と違って心に深く傷を負っている。今は学園の外で、時間をかけて失恋した心を癒すべきなんだ」
「時間をかけて? そんな無駄な」
「無駄、だと。恋のひとつも知らない小娘が偉そうに──」
その機を見計らったかのように、シマさんにのったブランシェが後ろを通りすがる。
「面白そうだから、待っておやりよ」
「ブランシェ……! 様!」
「お嬢ちゃんには、おとなりの彼女に言ってやりたいことがあるんだろう?」
ジュリアナは深くうなずきながら、セリーヌの切長の目を見据えた。ひとつ歳上だろうけれど、関係ない。
ジュリアナは花のように笑った。
「おめでとう」
ブランシェがシマさんからずり落ちた。クロドが慌てて表へまわり駆け寄るなか、ジュリアナはふたたびセリーヌの手をとった。
「ケインとかいう男との婚約がなくなって、よかったではないですか。あなたもわたくしと同じ、新たな自由の道を歩むのですね」
「あらた、な? 私は、ケインの居ない、人生なんて……」
「はあ?」
ジュリアナの瑠璃色の瞳が澱む。
「あなたの、制御できないほどの膨大な魔力を抑えるには、相性のよい属性の魔法使いを従えることが必須。ケインはあなたのガーディアンとして一生を捧げるべきでした」
「そんな、私のために人生を犠牲にするなんて……!」
「そう。きっと小者のケインには荷が重かったのでしょうね」
名前しか知らない男を鼻で笑う。
「反発するように一般寮を選び、相性最悪の水属性に恋をして、あなたを傷つけ学園を火の海にした」
「火は、火を放ったのは、わたしが……っ」
「いいえ。すべての悪因は、ケインです。即刻、罰するべきクソクズ野郎です」
クソクズ……?
クロドやブランシェだけでなくハウスじゅう、どこからともなくどよめく。
セリーヌはケインをけなされて、ようやく怒りをあらわにした。
「ひどいわ……! ケインは、アイラを愛してしまっただけよ! あなたは、心から人を愛したことがないから言えるのよ……!」
「あら、わたくしにも婚約者が居りましたし、心から愛しておりましたわよ」
目を三角にして語る。だが口もとは不気味に笑んだままだ。
「でも、私が愛していた男もまた頭の悪い自分勝手なクソクズでしたの。自身の身分を顧みず、ポッと出の女にうつつを抜かし、伝統的な典礼を台無しにして。その上、いまだに手紙を寄越してきますのよ?」
「手紙……?」
クロドの片眉が蛇のようにうねる。
「婚約式で聖女の手を取ったのは君の関心を引きたかっただけ。本命は君だけなんだと、聖女にバレぬようにコソコソと」
離婚後の妻に復縁を迫る元夫のような文面だが、バルドレンの血胤ならやり兼ねない。手紙は彼の本心ではと、密かに不安を募らせるクロドを他所に、ジュリアナはセリーヌから離した両手を天井へ向けた。
「彼に手が触れるだけで飛び出そうだった心臓は、いまや氷のよう。声を思い出すだけで吐き気がする」
その手のひらの柔肌が、火の熱で赤くただれていた。
「あ……っ、ご、ごめんなさいっ、わたし、またっ!」
「この程度の痛みがなに? 人と人が向き合うとで、少なからず痛みは生じる。幸せや悲しみを感じることと同じようにね。痛みを伴ってもそばにいることを選んだ人が、あなたには居たはずです。さあ、思い出して」
まどうセリーヌの瞳が、一点に定まる。
瞳にはジュリアナの愛らしい顔が映っていたが、セリーヌの心の目には別の影が表れていたのだった。
「あなた、名前は……?」
「ジュリアナよ」
「ジョリアンナ」
「ジュリアナです」
セリーヌは受付に置いたままのバッチをつかむと、消火を手伝わねばと扉のほうへ踊るように走って行ってしまった。
扉がしまると、ジュリアナは頬杖をついて、溜め息をこぼした。
「あーあ。彼女まったく悪役ではありませんでしたわ」
「天然が稀少だと言っただろうが。善良な人間でも機会があれば、誰だって悪役にまわる。彼女のような特異体質者には、よくある話しさ」
「でしたら尚更、自身の意志を持って悪役を務めるべきでは」
「避けるのではなく、務めるのか」
悪役に前向きなジュリアナにクロドは驚き、ブランシェは笑った。
「お嬢ちゃん、いい悪役になれるよ」
クロドが残された部屋の鍵をとる。
「……
「客室のなかは気になります。けれど、今日は帰りますわ」
急に肩を落とす。
「小者だから……、荷が重いって」
自身の言葉が
「わたくし、頑張って破滅の魔女を目指しますわ」
ハウスの扉を両手で開け放ち、外へと飛び出していく。
「頑張って、なるものなのかよ」
クロドは背中で見送りながら、煙草に火をつけた。
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