火の魔女(一)
「わたくし、世界を混沌へと導く破滅の魔女なのだそうよ」
ジュリアナ・グレイ公爵令嬢は腰に手を添え、ヴィランバケーションハウスのラウンジに悠然と立った。
支配人であるクロドは
「はん」
「はん!?」
「ジュリアナ嬢は本日もご息災のようですが。なにゆえ、いやどういうつもりでハウスの敷居をまたいだので?」
仕事の邪魔だと言わんばかりに小首を傾げる。
ジュリアナは両手を口に添え、目に涙を浮かべた。
「ひどい……っ! まだなにも話していないのにその態度、あんまりではないですか」
「私に門前払いをさせて、口ごたえをするご令嬢は、あなた様がはじめてでございますが」
「門前払いってはっきり言った! 信じられないわ!」
「おいこら待て、勝手に座るんじゃない」
半解凍のおしぼりを渡せば、満足げにひろげながら、カウンターチェアへ腰を入れる。
「あー、気持ちいいー」
「おしぼりで目をこするな。徹夜明けの小説家か」
穏やかな昼下がり。訪問予定客の来店までわずかに時間があり、また常連客のブランシェは海水浴で居ない。クロドは不承不承とジュリアナの真向かいに立った。
「それで? はじめてのご来店からひと月も経たずに四度目の休暇申請とは。冒頭の破滅の魔女に関連するので?」
「まったく、そのとおりですわ」
「まるで他人事のように語りますね」
「だって、破滅の魔女ですわよ? このわたくしが」
ジュリアナは不相応だと嘆くわけでもなく、不名誉だと憤慨するでもなく、
「荷が重くって」
ただ気怠そうにうなだれた。
「ジュリアナ・グレイは公爵家に語り継がれる古代禁忌魔法を利用し、バルドレン王国ばかりか世界そのものを破滅に導く」
「よかったな。現実となれば歴史に残る大悪役だ」
「わたくしの日記帳をもとに導かれた、聖女の予言です」
「そんな壮大な野心まで書き連ねていたのか。いやそれより、読まれてしまったのか」
露骨に嫌な顔をする。
ジュリアナは「お願いだから言わないで」と首を横に振った。
「聖女の予言、ねぇ。国民はそれを信じたわけだ」
「街のみなさんは、揃って手を振っておりましたわ」
「手を振るうほど拒んだと」
残念ながら、「ジュリアナ嬢が? ない、ない」のあの素振りである。
「街のみなさんはともかく、それを聞いていたお父さまとお母さまが大歓喜で。グレイ公爵家として、一国の王妃よりずっとほまれ高いと、それから毎日お祭り騒ぎ。城のものたちは、こぞってわたくしを魔女へ転身させようと必死ですの。正直に申し上げますと、わたくしの心が追いついていないというか」
「周りとの温度差に苦渋を強いられているのだな」
意外にもクロドはジュリアナを鼻で笑ったり、叱咤するような真似はしなかった。あらためて正面から彼女の顔を見据えると、以前より肌にハリがなく、涙袋の下が呪いを受けたように赤黒く腫れている。
「今までの一六年間は王妃になるために、艶やかな王室の教育だけを受けてきたんだ。魔女の、それもグレイ公爵家の修行は、さぞかし辛いものだろうな」
「あら、代々受け継がれる魔法はすべて頭に入っておりますわよ」
「すでに習得済みであると? では、目を腫らすまで何を学んでいる。まさか城の奥に封じられている、禁忌魔法ではないだろうな」
「よくご存知ですのね」
「鍵を、開けたのか……!」
軽くうなずくジュリアナの手もとに、クロドはグラスを置いた。ジュリアナに水分補給が必要だと誤解したからだ。
古代の禁忌魔法はすべて、グレイ公爵家の守護下にある。掌握すれば世界どころか神をも支配できるとされているが、かび臭い書物の言語は古く、量も膨大だ。
「この七日間、強制的に何千、何万という古書を、寝食も許されず読まされていたのか……」
ジュリアナもまた、いかにも喉を枯らせた様子で舌なめずりをしたが。
「なにこれ」
グラスにたっぷりと注がれた無色透明の液体ごしに、クロドをねめつけた。
「水だが?」
「申し訳ないけれど、下げてくださる? わたくし、先ほど紅茶をいただいたばかりで」
「は? 飲まず食わずで読んでいたのではないのか」
「まっさか! ティータイムは一時間おきにございますし、焼きたてのクッキーもならびますのよ?」
「ではその目の下のクマは」
「禁忌魔法の本、すっごく面白くって! 夜更かしは禁止されてるのに、昨日も徹夜で読んでしまったのです!」
クロドは目を座らせた。まさかの徹夜明けだった。
「でもね、ちょっとくらい朝寝坊したって、まだ心の傷が癒えないのねって涙ぐまれるだけ。大好きな本に囲まれて、わずらわしい王室教育もない。今、最っ高にしあわせですわ!」
「お前ほんとうになにしにきたの?」
クロドはジュリアナに注いだ水で、自身の喉を潤した。
「ねぇ、それよりミルクセーキは?」
「何度も言わせるな。二度とやらん」
「そんなあ」
愛らしい顔面を絶望の色で染めるが、ただの寝不足かと思うと非常に不愉快である。
クロドはふたたび受付に立った。
予定客の来訪時刻だ。
「いらっしゃいませ。ヴィラン・バケーションハウスへようこそ」
言い終わりに魔法円の光が消える。
現れたのは、魔法学園のローブに身をつつむ、気の強そうな女学生だ。佇まいが悪役令嬢。だが首から上は、絶望という言葉が似合う顔色と表情をしていた。ジュリアナの絶望とは毛色が違う。
たとえるならばこの世の終わり。
クロドは初見のジュリアナにそうしたように、宿泊名簿を差し出した。
「こちらにご記入を。それからご宿泊理由をお聞かせください」
女学生はクロドの手もとに焦点を合わせ、意識を取り戻すように、はっ、とした。
「書いたら、泊まれるのですか……? でもわたし、お金が……」
「料金はいただきません。当ハウスは、お客様のご宿泊理由がすべてでございますので」
「泊まる、りゆう」
震える手でペンをとり、ゆっくりと書き進める。名と出身国を書き終えたあたりで、クロドは質疑を挙げた。
「セリーヌ嬢。そのローブは世界随一の魔法学園、ヘルトユート王国立、聖レスタンクール学園のものですね。寮は夏休みに入られたのですか?」
「夏休み……そうね、今日から、夏休み」
「それはよかった。ローブは貴族寮の緋色ですし、その胸もとのバッチは監督生と、首席に贈られるもの。寮生のトップで首席のあなたが無断外泊など許されることではありませんからね」
クロドがみつめる先で、エメラルドとダイヤモンドのピンバッチが光り輝く。セリーヌはそのバッチをわずらわしげに外すと、名簿の上に置いた。
「宿泊費の、足しにでもしてくださる」
「……かしこまりました。こちらで、あらためてお話しをお聞かせ願えますか」
クロドがグラスに水を注ぐ。
ジュリアナは一切口出しをせずに、ただ聞き耳をたてた。
クロドの皮肉に言葉を返す気力もなく、彼女にとって価値の重そうなバッチをあっさりと差し出したのだ。悪に徹し、そのしっぺ返しに悲惨な目に遭ったに違いない。
女学生はグラスに口をつけ唇を潤すと、ゆっくりと話し始めた。
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