傾国の美女(下)
「彼女たちを突き落としたのは、皇子なのに。笑っただけの私が足を、首を切られるなんて、不公平だわ」
「皇子が憎いですか」
「いいえ? ただ、こんなことなら城に集まる平民の虐殺でも、させておけばよかったと思って」
ジュリアナは拾ったおしぼりをまた落とした。
ハウス利用者はもれなく処刑される運命にあるのか。
いや、今はそれよりも。
マリエルの狂気をはらんだ瞳の色に、ただ魅入った。
彼女は足の痛みになげくこともなく、皇子が罪に問われない理不尽を恨むでもなく、彼女は未練をこぼしたのだ。
「もっと、観たかったのに」
人が殺し、殺され、死に絶えていく様を鑑賞したかったと。
「足りない。足りないのよ。骨が砕ける音、鮮血の色、内臓の匂い。もっと観たい、感じたい! 心が満たされないまま、処刑されるなんて私耐えられない……っ!」
「処刑日はお決まりで?」
「いいえ? だって私、逃げてきたもの。この足で」
靴に溜まった血液は、逃げ馳せた勲章だとでも言うように、指を這わせる。自身の血の色、痛みすらも美味なのだ。
クロドはその靴を見据えながら、頭を下げた。
「承知しました。では滞在中、お好きなだけご鑑賞を」
胸ポケットから呼び笛を取り出し、長めに息を吹きこむ。昨日と同じ顔と身なりをした従僕が一貫性のない動きで、十名余り集まった。
「プリンセス・マリエルを
「……シアター?」
「我がハウスの視聴覚室は4Dを搭載しておりますので、心満たされるまでご鑑賞いただけますよ」
言い終わると同時に、従僕たちはマリエルごと姿を消した。
クロドは時を戻したように、先ほどしまいこんだシケモクに火をつけながらカウンターへ入った。ジュリアナは落としたおしぼりをひろうと、遠慮がちにクロドへ尋ねた。
「彼女、泊まるの」
「ああ。お気のすむまでって、やつだ」
「はじめてで、宿泊理由は婚約破棄。足に怪我を負っておりますが、亡くなられたのは皇太子妃ひとり。内容はどうあれ、結果は昨日のご令嬢より劣りますわ。彼女だけずいぶんと高待遇ですのね」
淡々と呟きながら、手もとではおしぼりの角と角を揃え、きっちりと折っていく。
「馬鹿を言え。彼女は常連だ。お前とはちがって、褒められ讃えられるべき上客だよ」
クロドは煙を横に流しながら、ゆっくりと吐いた。
「傾国の美女。と言えば、わかるか」
「王や君主が、国政を蔑ろにしてしまうほどの魅力をもつ、絶世の美女。彼女がそうだとでも」
「そうだ。今回は未来の皇帝が相手で、死傷者は四人と小規模なものの、笑い顔ひとつで皇子を狂気にしずませた。これは歴史に残るぞ」
「つまり、彼女のように悪役としての評価が高いほど、ハウスで高待遇を受けられるってこと」
「評価? いや、違うな。かと言って、傷の深さでもない」
クロドは彼女が口をつけたグラスを、ジュリアナの手もとへ置いた。それから同じリップカラーのついたグラスをふたつ、みっつ、よっつ、いつつ──。
ジュリアナは眉をひそめた。
「彼女、はじめてではないの」
「マリエルとしては、はじめてだ。そして最後。彼女はいつも、処刑前にハウスを訪れる」
「転生してってこと? 処刑されたのに、新しい人生でもまだ悪事を続けるというの」
「続いている。前々回は浮気を許さないと国じゅうの女を焼き殺し、前回は自分より美しいものはこの世にいらないと、エルフの里を水没させた。だがそれでもまだ人の死ぬ様を観たかったと、未練をこぼしにやってくる」
クロドは飾り棚にグラスのコレクションを並べながら、恍惚と語った。
「彼女は稀少な
均一に飾り終え、振り返るとジュリアナは扉の前で、クロドに背を向けていた。
「帰る」
「左様でございますか」
扉が閉まる。
クロドは遠い世界へ舞い戻ったジュリアナへ、届くはずのない言葉を送った。
「またのご来店をお待ちしております」
時を見計らったように、水着姿のブランシェが海水浴から帰った。シマさんの背を離れ、豊満な胸をカウンターにのせる。
「ちょっと、クロドどういうことだい。なんであの女に視聴覚室を開け渡した」
「すまないが、しばらくは我慢してくれ」
「新作の映画を楽しみにしていたのに……っ、一度4Dを味わったら、あの女延々とハウスに居座るぞ。なぜすぐに転生させなかった」
同じ美貌を携え生まれ変わり、その時代の君主を虜にすれば殺戮を、鮮血をその匂いを、五感で感じ入ることができる。そう説得すればあっさりと踵を返したものを。
「お嬢ちゃんの手前、見誤ったか」
「そうだ、と言ったら?」
開き直ったように言う。
「彼女の気まぐれひとつで歴史が動くんだ。転生した彼女に、俺の計画を引っかきまわされちゃかなわない」
「ふん。慎重だこと」
「千年待ったんだ。当然だろう」
今日のところはこれで許せと、ミルクセーキで満たされたグラスを、深い谷間を軸にして置く。ブランシェは嬉々としてストローを唇で引き寄せ、満足げに吸いこんだ。
日焼けで赤らんだ肌が青白く癒えていく。
「それほど大切なら、ハウスに来た理由くらい聞いてあげな。つれないねえ」
「理由だと? どうせ日記帳を取り返しに王宮へのりこんで、返りうちにあったんだろうよ」
クロドの推測どおり、ジュリアナは日記帳を取り返すため、真正面から王宮へ立ち入った。部屋までたどり着けはしたが、現在の部屋の住人である聖女と鉢合わせ。有無を言わさず平手打ちで追い出された。
神々の鉄鎚と呼ばれる最高レベルの召喚魔法だ。人間ならば脳髄が吹き飛んでいる。
「ああ、だからおしぼりにハイポーションをスプレーしていたのか」
「うるせえよ」
「だがクロド、お前は本当にわかっていたのかい? お嬢ちゃんがここへ来たほんとうの理由を」
「ミルクセーキだろ」
「おしぼり、ひろげてみな」
サングラスを額へずらし、焼けた頬をゆるませて言うが、宿泊客の命令は絶対だ。クロドが仕方なく、折り紙のようにしてたたまれたおしぼりの角を指先でもちあげた。
テーブルに落ちたのは、人差し指程度の
──すてきなクツを、ありがとう。
「クロドがあつらえた靴、気に入ったみたいだねえ」
キャーハハハハハハハハハ!
悪役令嬢の笑い声が轟くラウンジで、ちいさな舌打ちが小気味よく響いたのだった。
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