スプリングフィールドの双子(下)
「私は幼い頃からずっと、この咳に悩まされていた。体も弱く、医者からは外出を禁止されていたわ。でも双子の姉、ガーネットは違った。顔はそっくりなのに、あの子だけ健康でいつも、日の光のなかで走りまわっていた」
「ほう、スプリングフィールド家の今代に双子の姉妹がいらっしゃったとは」
クロドは考え入った。
スプリングフィールド領は勇者が築いたと言われるヘルトユート王国の辺境地だ。ヘルトユート王国に攻め入るには、スプリングフィールドの城壁を越えねばならない。だがその壁を越えられたものは少なく、越えられたところで王国にたどり着けないと言われている。マーガレットの生まれ育った城は、鉄壁のスプリングフィールドとして今も世界に名を馳せているのだ。
「ほかにご兄弟は?」
「居ないわ。私は領地を護るために、体の強い百姓のなかから婿を選べと言われた」
「おや。継承者でしたら、なおさら健やかなお姉様が適任では」
「ガーネットは成人して早々、社交界で遊びまわったあげく王城の騎士、第二王子ハーロルトと婚約したのよ」
「……つまりはヘルトユート王国の、王子と?」
「そうよ。ガーネットは生まれ育った領地を捨てて、王城で優雅な人生を送るのよ。私より先に産まれたくせに、無責任だわ……! 許せなかった。だから」
顔にかかる髪を指に巻く。
「咳がやまず眠れぬ夜。私はガーネットになり変わって、ハーロルトに会いに行った」
喉が鳴る。ジュリアナの奏でた音だ。
人様の話しに両手を組んで聞き入っていた。
「それで?」 相槌も打つ。
「愚かなハーロルト。私をガーネットだと信じて疑わなかったわ。少しもよ。咳こむ私を労わりながらも、獣のように抱いた。ガーネットはそんな馬鹿な男と添い遂げてでも、家を出たかったのだわ。そう思うと、もっと許せなくなった」
「お姉様を、ですか」
「そうよ。ガーネットの悪い噂がたつよう、城にいたほかの男とも寝たわ。男の部屋からは、金目のものを盗んだ。昨夜なんて王室に忍びこんで、宝石をひとつ盗んだわ。ガーネットの石よ。同じ名をもつガーネットが、二度と城へ立ち入れぬように」
「ヘルトユート王城に眠るガーネットの石の宝石……まさか」
「知っているの? とても大切なものだったらしくて、姉のガーネットは」
ふふっ。開き直ったように笑う。
「処刑されたわ」
グラスのなかの氷が溶けて崩れ、音を鳴らす。ジュリアナはごく自然と差し出口を挟んだ。
「死刑になるほどの、秘宝なの?」
クロドが呆れ顔で答える。
「マーガレット嬢が持ち出された石は、春の魔女の涙という、大秘宝です。ヘルトユート王国では、今は亡き春の魔女の遺したその涙を護ることで、四季を得ています。城が涙を失えば、国ひとつどころか世界じゅうの草木が花を咲かせることを忘れ、枯れてしまう。空は雲が集い、地は雪に覆われることでしょう」
「素晴らしい魔具ですこと……! 原材料は」
「名にもあるとおり春の魔女が流した涙の結晶ですよ」
なぜか目を輝かせるジュリアナに、クロドは戸惑った。マーガレットの悪役っぷりより宝石に惹かれるとはなかなかの心待ちだ。
「マーガレット嬢、お話しの続きをお聞かせ願えますか」
「ええ。石を持ち出した夜、帰路に着きベッドへ入ってすぐに、城の騎士団が家の扉を叩いた。ハーロルトだけでなく、王様もいらっしゃったから家じゅう大騒ぎよ。連れていかれたのは、私ではなくガーネット。憐れな女、今朝には川で吊り首にされたらしいわ」
「らしい? あなた様は、その時どちらにいらっしゃったのですか」
「……ハーロルトに、城に招かれていた。運命の人はマーガレット、あなたではなかったのかと。ガーネットが処刑されてすぐに呼び出すなんて、つくづく馬鹿な男だと思ったわ。でも違った。馬車を降りたら、ハーロルトではなく弟の第三王子が待っていた」
「まさかあなた様が浮気されたのは──」
「そうよ。第三王子のアスラン。彼が持っていたのは、日記帳だった」
「日記帳……?」
ジュリアナのちいさな耳がぴくりと動く。
「双子の私の存在に気づいたアスランは、ハーロルトを装い私を呼び出し、侍女たちに部屋を探させた。出てきたのは、盗品と日記帳」
「あなた様が記していたものですね」
「それもこと細かにつらつらと。馬鹿は私よ。日記帳を読んだハーロルトは心を狂わせて、姉が処刑された川に身を投げた。アスランはハーロルトを救おうとして犠牲に。そして王子をふたりも死なせた私は明朝、城の処刑台で領民の目の前で、首を落とされるのよ──」
静かにひと筋の涙を流す。
「血を分けた姉だけでなく、勇者の末裔であるヘルトユート王国の王子をふたりも。これはまた」
クロドは感嘆と溜め息をこぼしながら、胸ポケットから鍵を取り出した。長方形のガーネットをアクセサリーにつけた、客室の鍵だ。
「私の力では、処刑時刻を変えることはできません。せめて直前まで、こちらのお部屋でごゆるりとお過ごしください」
クロドがふたたび胸ポケットに細指を入れると、呼び笛を取り出し、口にはんだ。その音はジュリアナの耳ではひろえない。
だが瞬きひとつぶんの時間のなかで、クロドの膝下ほどの上背の屋敷こびとが、マーガレットへ跪き礼儀をつくった。丈の整った燕尾服に、映える金色の髪を左肩に総髪している。
「あなたの専従の
「まあ……」
つい先ほどまで失意のなかにいたマーガレットが、目の色にわずかな輝きを取り戻した。
ハウスに務める従僕は少女のように美しく、少年のようにあどけない。あらゆる世界の老若男女に、かわいいと称される存在だ。
「ああ、それから」
カウンターの下から紅いスーツケースを持ち上げ、なかから引き出したのは拳のなかにおさまるほどのちいさな小瓶。
「氷のマンドラゴラの根から抽出しました、回帰薬です」
「回帰薬?」
「今際の際に飲みますと、願った日時に戻ることができます」
「生き返るってこと? そんな貴重な代物、私がいただいていいの」
「はい。当方、使い道がなくなり困っておりましたので」
目端にジュリアナを映し、言う。
「生き返るというよりは、やり直す、が正しいかと。但し──、血を分けたお姉様もいっしょに」
「ガーネットも」
「記憶もそのままに。よくお考えになって、正しく御使用ください。ご宿泊中の暇つぶしになるかと」
「もらっておくわ。ありがとう」
従僕のちいさな手を取り、二階へ続く階段をのぼっていくマーガレットを見送ると、クロドは胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「で? お前はいいの? 日記帳」
ジュリアナの肩がビクゥッ、はねあがる。
「よくありませんわっ! 取り返しに行ってまいります!」
「そうかよ」
ラウンジの緋毛氈につけようとしたジュリアナのつま先が、重力に逆らいわずかに上がる。
「──っ、なに?」
「ちょうどよかった。サイズも色もピッタリだ」
華奢な足が、ドレスと同じカナリアイエローのパンプスに納まっていた。洗練されたフォルムに高いヒール。その上部である足首にはリボンがあしらわれ、愛らしい。まるで靴ひとつでジュリアナを表現しているかのようだ。
「わたくしのために、あつらえてくださったの」
「まあ、約束だったしな。やはりジュリアナ、お前にはカナリアの色がよく似合うよ」
そこでブランシェを迎えに行っていたシマさんが背後を通った。ブランシェの生温い視線から逃げるように、クロドがバックヤードへ消える。
ジュリアナもまた両足を揃えて靴を床に馴染ませると、誰もいないカウンターへちいさくお辞儀をして、淑女たる振る舞いで出入り口の扉へと向かったのだった。
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