スプリングフィールドの双子(上)

「わたくし、もう二度と王宮へ立ち入ることができないそうです」


 初夏の清々しい朝。ジュリアナは両手に握っていた一枚の羊皮紙を震わせながら、クロドへ差し出した。中庭から戻ったばかりのクロドは、その紙を洗濯前の父親の靴下のように、指でつまんで受け取った。


「なになに? あなたの部屋に住むことになった聖女です。私の趣味に合わない家具は返しておくから、もう二度と来ないで。来たら殺す」


 王宮の書記官が書いたであろう美麗な文字に似合わぬ乱雑な文面に、クロドの片頬がひきつる。心のままに焼却してしまい、細かい灰がラウンジに散った。


「それで? 家具をすべて返されたのならば、聖女の言うとおり王宮に近づかなければよいだけでは。それともジュリアナ嬢は戻ってくるなと、家具ごとご実家を追い出されたのですか」


 そう尋ねながら、剣を引き抜くように背中からコロコロを取り出し、緋毛氈の上に転がす。そんなクロドには一切触れず、ジュリアナはカウンターチェアに腰を入れた。


除菌前むきょかに座らないでいただけますか」


 すかさずおしぼりを差し出す。

 ジュリアナはわずらわしそうに手を拭きながら、おおきな溜め息をこぼした。


「家具はすべて王妃様が調えてくださったもの。それを趣味に合わないからと王宮の外へ出すなんて、まったく信じられませんわ。アドリーはその場にいて彼女に伝えなかったのかしら。その旨をすべて手紙に添えて、家具は王妃様のご実家へ返送しました」

「言わずもがな、したたかなり、と」


 ジュリアナの宿泊名簿に新たな一文が加わる。


「問題は、家具の中身です。すっかりなくなって、空っぽ! すべてわたくしの、私物ですのに!」

「家具の中身。鏡や化粧品にドレス、……ああなるほど、装飾品の類ですね」


 クロドはカウンターの内側にまわり、念入りに手を洗いながら考え入った。

 グレイ公爵家に代々受け継がれるアクセサリーが聖女に奪われたとなれば、当主は烈火の如く怒り狂うことだろう。


「相打ってでも取り返して来いと、お父上に叩き出されましたか」

「いえ、ドレスは聖女のサイズに合わないかと存じますし、装備品の類はわたくし以外が触れると錆びる呪いをかけておりますので、別にいいんですけど」


 自身の腰に手を添わせる。

 たしかにジュリアナのウエストは、平均的なな淑女がコルセットを締めても難しい細さをしているが。

 わざわざ錆びる呪いとは。クロドは名簿に「性根が悪い」を付け足した。


「ほかに触られたくない私物でも?」

「うっ」


 ジュリアナはわかりやすく、悔しさを飲みこむように息を詰めた。


「貴重な魔導書が、本棚にたくさん」

「グレイ公爵家の魔導書を奪われたと。闇の魔法はバルドレン王国から決して出してはならぬ掟がございますね」

「ですので、本はパタパタと飛んで戻ってまいりました」


 節目をひろげ空高く舞う魔導書を思い浮かべ、クロドは骨ばった手で口もとをおさえた。ひどく悪趣味ファンタジーだ。ジュリアナもまた耐えられない様子で、カウンターテーブルに突っ伏した。


「でも、でもわたくしの、日記帳だけが戻ってこなかった! 最後に開いたのは婚約式の夜。きっと浮かれて魔法をかけるのを忘れていたのだわ。たった一冊、読んでくださいとばかりに、王宮に残してきたなんて………………っ!」

 

 わーんっ、という泣き声を素面で奏でるその後ろを、シマさんがふぁさ、と通り過ぎて行った。

 話しは終わったのに、飲み物のグラスが出てこない。ジュリアナは涙をひっこめ颯と顔を上げた。


「ミルクセーキは?」

「やはり味をしめていたか。あれは俺の気まぐれサービスだ。二度とやらん」

「そんなあ」


 絶望を顔に染めているようで、羞恥心で赤らんでいるだけである。クロドはもっていたピッチャーも下げた。

 

「身も心も健やかなお嬢様には、水もやらん」

「体は健やかでも心は穏やかではありませんわ! 十年ぶんですのよ? 王宮への不満や愚痴をつらつらと。誰かに読まれ、蔑まれているかと思うと、恥ずかしくて夜も眠れませんわ……っ」

「お前王宮へ足しげく通って、毎日そんなことを書いていたのか」

「うぅ、言わないで」


 お母さんの抜き打ち掃除のあと、エッチな本が机に出されていた男子中学生の夕飯前のようにソワソワするジュリアナ。家に帰りたくない気持ちは誰しもが痛いほどわかるが、残念ながらヴィランバケーションハウスは思春期の逃げ場ではない。

 クロドは追い払う素振りでジュリアナに手を振り、受付へ立った。

 宿泊客の到着チェックインだ。


「ヴィラン・バケーションハウスへようこそ」


 会釈のあと、白紙の宿泊名簿を開く。

 先ほどジュリアナが立っていた魔法円の中心点に、人形のような美しい巻き髪をもつ令嬢が現れた。波動オーラに星屑が煌めき、息をするだけで抱きしめたくなる存在感を持ち合わせている。

 そんな彼女にクロドが差し出したのは、ペンだった。


「ご記入をお願いいたします」


 彼女は黙ってペンを受け取ると、サラサラと空欄をうめていった。名前と出生地に年齢──、宿泊理由の枠に行き着き、ペン先をとめる。


「宿泊……? ここは、牢獄ではないの」

「当ハウスが? 牢獄に見えますか」


 クロドはラウンジの景観へ魅するように左腕をひろげた。磨きのかかった大理石のカウンターテーブル。深紅に統一したクラシカルな家具。ソファーテーブルにはクロドが今朝に摘んできた花が豪華に活けられている。吹き抜けから射し込む朝の陽射しに、花瓶の影が波のように揺れた。


「……いいえ。とても美しいわ。でも牢獄ではないとすると、ここは天国?」

「とんでもない。──マーガレット嬢はご存命でいらっしゃいますよ」


 宿泊名簿に目を走らせながら、カウンターチェアへと誘う。おしぼりを受け取った彼女──マーガレット・スプリングフィールド侯爵令嬢は、遠慮がちに椅子へ乗り上がり、言った。


「そうよね。冥界じごくならば、まだしも」


 ゴホゴホと咳こむ。一度始まると止まらず、息継ぎが難しいほどに続いた。すかさずクロドがグラスを取り出し、水を注ぎ入れる。

 ふたつ席を空けて座るジュリアナは、首を傾げた。

 おや?


「ちょっとクロド、話しが違うのでは。宿泊理由がなければ、水一滴も飲めないのではなかったの」

「見てわかりませんか? こちらのマーガレット嬢は宿泊理由を話すために、水分補給が必要なのです。一方、あなた様には水欲しさに宿泊理由を述べる余力があった。違いますか?」


 マーガレットはグラスを受け取ると、咳の切れ目で吸いこむように水を飲み干した。


「……咳が、とまった」

「お薬を入れておりますので。これから一時間は咳が出ませんよ」

「ありがとう」

「お返しは宿泊理由で。マーガレット嬢の、今置かれる立場が休暇に値するものであれば、当ハウスをご利用いただけますよ」

「泊まる、理由……?」

「お疲れなのでしょう? 身も、心も」


 マーガレットは終始怪訝であった表情を氷が解けたようにすっきりと明るくさせ、話し始めた。

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