冬の魔女

 バックヤードへ一度姿を消したが、すぐにロビー側からまわって現れると、クロドは魔法円へ片膝をおろし、両手を差し伸べた。

 円柱の光が消える。

 するとクロドの腕のなかに、髪と肌と同じ月白色のドレスに身をつつむ、大柄な美女がおさまった。

 千年ぶりの逢瀬かのような、万感の思いを顔にのせ抱き上げると、クロドは嘆声を交え再会を喜んだ。


「我が愛しのブランシェ様。お待ちしておりました」

「ああ、私もこの日を心待ちにしていたよ。さっそくだが、いつものところへ運んでくれるかい」

「仰せのままに」


 クロドは頭ひとつぶん高いその美女を横抱きにして、中庭のなかでも最も明るい陽射しのさしこむ南側を目指した。板ガラスに囲われた庭の手前で美女の腰を膝へのせると、空いた右手で胸ポケットから呼び笛を取り出し、ひと吹き。


「ぶふっ」


 ところでジュリアナは、口いっぱいにふくんでいた液体を噴き出すところだった。どこからどうやって入ってきたのか、ラウンジを片翼で埋めつくすほどの鳥が、テクテクと歩いてやってきたのだ。テク、テクと。

 鳥? 犬だ。

 まっしろな、毛足の長い犬。

 背中におおきな翼を生やしている。翼の色は炎を激らせ、よくわからない。

 そう、翼が燃えているのだ。

 翼を燃やした鳥みたいな犬が、白い皮のスーツケースを口にくわえてロビーを渡っていく。

 犬は背中を丸めるようにして翼を納めると、美女の下でうずくまった。

 クロドがジュリアナへ苦言を呈す。


「炎の神シマリグル、シマさんだ。変な実況をいれるな」


 心の声が舌にのって滑りでていた。

 ジュリアナは、グラスに口をつけ押し黙った。飲むためだ。


 炎の神シマリグルは、主人のそばから片時も離れず、人間には決して召喚できないとされているが、ヴィラン・バケーションハウスにおいては呼び笛ひとつで叶ってしまう。


「シマさん、会いたかったよ……」


 美女ブランシェは自ら転がり落ちるようにしてその背中へおりた。そして炎の神──シマさんは、美女の想いに応えるように、極上のファーソファに成り代わった。

 クロドがさりげなく、おしぼりを差し出す。


「恐れ入りながら、昨年よりご来店が半月ほど遅れております。私ども、ブランシェ様が新たな苦行に耐えているのではと案じていたのですよ」

「ふふ、寂しかったのかい? 頼んできたのは、お前だろうに。さぁ手を」


 クロドが両手を弧にして差し出すと、ブランシェはひと筋の息を吹きかけた。白く、北風のように冷たい吐息だ。吐息は手の器のなかで粉雪となりとぐろを巻き、やがて根を生やし、葉をひろげた。


「これは……! 氷のマンドラゴラではないですか!」

「私のマンドラゴラは夏を待たないと開花しないのさ。ジワジワと、溶ける苦しみを味合わせないとねぇ」


 マンドラゴラは、根に人間のような姿なりと意識をもつ、魔女の育てた植物だ。伝承では根を土から出すと、耳をつんざくような悲鳴をあげる。その声を聞いたものは命を落とすとされているのに、今まさに唇を形作る根が、開こうとしていた。


「すぐに植えてやりな」

「はい! なんとお礼を申し上げたらよいか……っ、ブランシェ様、ありがとうございます……!」


 総身を喜びで満ちあふれさせながら、クロドが板ガラスをすり抜け中庭へ消える。

 無音のロビーに、飲み物が喉をとおっていく、ゴクゴクといった小気味の良い音が響いた。

 ブランシェは紅い瞳を目端に寄せ、カウンターテーブルを見やった。


「ねぇ、そこのお嬢ちゃん」

「んっ、はい」

「今日がはじめて?」

「はい、そうですわ。婚約破棄されて──」

「そう、ふふ。婚約破棄、ねぇ」

 

 嘲笑ではない。かすかに羨んだような笑みをたたえられ、ジュリアナはたじろいだ。だが手と喉はとまらない。ゴクゴク。


「では、今日はこれでお別れかしら」

「え。わたくし、泊まれないのですか」

「そうだねぇ。だってお嬢ちゃん、それを飲み終わったら満足しそうだ」


 また羨ましそうに言うが、ジュリアナにとってしたら、やはり馬鹿にされているように思える。


「では、ブランシェ? 様は、なん泊のご利用ですの」

「夏が終わるまで」

「──は?」

「聞こえなかったのかい? 私は、夏のあいだじゅう、ここで休息をとるんだ。連泊ロング・バケーションする悪役令嬢にはね、それなりの理由があるのさ──」

「ブランシェ様、新人がなにかご無礼をいたしましたでしょうか」


 クロドが中庭から戻り、ブランシェに跪く。


「いいや? だが興味はわいたね」

「ではシマさん、カウンターまで移動を」

「いや、いいよ。歩いていこう」

「左様でございますか。では是非に、こちらをお試しください」


 白いトランクケースをあけると、シマさんの背中の毛質と同じ、白いファーの履き物を取り出した。ブランシェの白樺の枝のような脚を優しくもちあげ、片足ずつ丁寧に、履かせていく。

 ジュリアナは、ついにグラスを置いた。

 宙でぶらつかせていた自身のつま先をあげて言う。


「わたくし、裸足でしてよ!?」


 炎の神においては超然としすぎていて見送ったものの、履き物の有無についてはひと言申したい。まるで宿泊客の格付けを足もとにあてはめているようで腑に落ちない。

 いや、裸足が気に入らない。


「そもそも履いていた靴はどこ!」

「捨てた。うちは土足厳禁だからな」


 クロドが立ち上がり、ブランシェの手へ流麗に手袋をはめる。


「捨てた!? わたくし、婚約者からのはじめての贈り物だと、申し上げましたよね!?」

「もと、だろう。ジュリアナ嬢がお帰りの際には、適当なものをお見繕いしますよ」


 ジュリアナは怒りに震え、涙を流した。涙は、グラスを握ったままの手の甲に落ちた。

 ブランシェがその手に自身の手を重ねる。ふわふわと手触りのよい手袋に視線を落とすと、埋め火のようにほんのりと灯りを点すシマさんの羽根が織りこまれており、ほんのりと温かい。


「クロドが捨てた靴は、お嬢ちゃんの大切なものだったのかい?」

「はい」

「だが、グラスを床に叩きつけるほどではない」


 ジュリアナは思わず、羽毛のように軽いその手を振り払ってしまった。

 ブランシェの言うとおりだったのだ。


 おそらくクロドの所有物であるグラスをジュリアナが叩き割ることで、彼への報復になるだろう。だがグラスを割れば中身が飛び散り、二度と口にできなくなる。

 今のジュリアナにとってグラスのなかの白い液体は、元婚約者からのプレゼントよりも、ずっと尊い。

 その心を見透かされたようで、拒絶したのだった。


 ジュリアナの瑠璃色の瞳が漆黒に染まる。


「その、手は……? ブランシェ様の手は、どこ?」

「ああ、時間切れだね」


 ブランシェの背後でクロドが頭を下げる。


「耐久時間は昨年よりたった二秒──。力及ばず申し訳ございません」

「いや、カウンターまで辿り着けた。最高記録じゃないか」


 ブランシェは、クロドへ微笑みを落としながら、脚をのばした。両足首から先、それから両手は世界を違えたように、闇の奥へ分断されている。


「手も、足も……ない」

「クロド、私にも同じものを」

「かしこまりました」


 クロドは再びカウンターに立つと、ブランシェのない手もとにグラスを置いた。グラスにはクリスタルのストローが刺さっていたが、それについてはさすがのジュリアナも文句をつむがず、飲み口を引き寄せる銀色の唇にただ見惚れた。


「──っ、ああ、美味しいねえ。お嬢ちゃんが離さないのもうなずける」

「ただのミルクセーキですよ」

「ミルクセーキ? この液体は、ミルクセーキというの」


 ジュリアナは目の色をミルクセーキに染めて輝かせた。色や濃度から栄養価の高さを物語るその液体は、深い味わいの代償のように舌だけでなく、歯や喉の奥にも膜を貼る。だがそこにわずらわしさはない。液体には細かく砕かれた氷が混ぜこまれており、飲みこむタイミングで爽やかに洗い流される。濃厚な舌触りからの爽快な喉ごし。


「これが、ミルクセーキ……!」


 ふたたび口にふくみ酔いしれる。まるで飲むスイーツだ。驚きと発見で怒りを忘れていたジュリアナは、ブランシェの次の言葉に耳を疑った。


「ああ、半年ぶりに補う水分は格別だ」

「半年ぶり……? 飲み物を、飲むことが」


 ブランシェは、コロコロと表情を変えるジュリアナを愛おしげにみつめた。


「私の名はブランシェ。あらゆる世界から恐れられる、冬を司る魔法使いさ」

「冬を? では、ブランシェ様は、冬の魔女……!? 彼女は、おとぎ話の悪役ではないのですか」


 ジュリアナは知っている。世界を凍らせる冬は、人々にとってもっとも恐ろしいもの。人々は冬を魔女に形容して、その恐ろしさをこどもたちの枕もとで語る。こどもたちは北風が吹けば空を見上げて魔女のローブを探し、吹雪けば魔女の足跡がないか振り返る。氷柱は彼女の涙。雪崩は彼女の怒り。


「私はたしかに居たのさ。千年前、勇者ユートが現れるまではね」


 ない手首を天に掲げ、まるで他人事のように話す。


「勇者は二度と魔法を使えぬようにと私の四肢を切り離し、冥界の炎へ投じた。冥界の炎は決して消えることのない、煉獄だ。どんな魔女でも冥界の炎に四肢を焼かれては死を待つしかなかった。だが私は違う。不死だから」

「不死……? ブランシェ様は、死なないのですか」

「死ねないのさ。勇者は私の体を森羅万象の礎である世界樹ユグドラシルへ封じた」

「再生の泉の源泉ですね」


 世界樹の核から湧き出る再生の泉は地脈を巡り、ダンジョンへ潜る冒険者たちの傷を今も癒している。


「泉に浸された私の体は延々と再生し続ける。そのため、切り離された手足は冥界で焼け焦げる熱と傷みを繰り返す。私は冬のあいだその苦しみを味わいながら、身動きひとつできずにいるんだ」

「千年、も」


 おとぎ話に遺るまで。あまりの長さに唖然とする。


「まあ、世界が冬を恐れぬ夏のあいだはこうして休暇が与えられるし、痛みもない」


 クロドはスーツケースをカウンターへのせると、紅い裏地の中身が見えるよう、開けてみせた。

 手袋と履き物の入っていた空洞のとなりに、酒を漬けるようなおおきなキャニスターがひとつ。酒ではなくクロド特製の防腐液に漬けられた、ブランシェの手足がガラス越しに透けてみえる。


「休暇中は手足もこうして、私が大切にお預かりしております」

「毎年美しく再生させては見せてくれるんだ。再びつながることなど、未来永劫ないというのに。律儀な男だろう」


 クロドがスーツケースを閉じると、ブランシェは自身の手足にお別れするように右手首を振った。炭が爆ぜるように黒い塵が弧を描く。

 前触れもなくジュリアナが、ぽそりとつぶやいた。


「なるほど。手足はハウスへ転移しても、切断面は冥界と結ばれているから繋げられないのだわ。義手をつけても腕の運動と連動して、燃えてしまう」


 ブランシェは三白眼を丸くさせた。


「驚いた、そのとおりさ。氷の義足は溶けて床を汚すだけ。今年は火の魔族の骨に、シマさんの炎の羽根をまとわせたのだよな」

「はい。一瞬で冥界の炎にまかれてしまいましたが」

「いいのさ。これは毎年のお遊戯だ」


 ミルクセーキを吸いあげながら、うっとりと言う。 


「こうして可愛いお嬢ちゃんとも、お喋りできるのだから」


 彼女は冬の魔女。

 勇者に封じられ千年経った今も、世界という世界から恐れられる、永遠の悪役令嬢──。

 

 ジュリアナもまた同じようにグラスに口をつけ、最後の一滴を飲み干した。

 クロドはそのグラスを、はやく帰れとでも言うように瞬く間に下げ、背中越しに言った。


「このハウスは悪役を演じるものだけが訪れることができる、悪役令嬢の御用邸だ。物語の途中で挫けたり、次に進めぬほどの深手を負えば、ここで休息をとることができる」

「悪役……? わたくしが」

「闇を司る魔法使いの血胤であるグレイ公爵家の長女。出生だけは申し分ない」


 含みのある言い方で振りかえる。

 クロドの言葉どおり、グレイ公爵家は庶民に語り継がれるおとぎ話のなかで、もっとも残忍で恐ろしい悪役として名を馳せている。

 もっとも、当の本人の与り知るところではないが。

 クロドは、笑った。

 不健康な顔色、されど雄々しく。


「ブランシェのように、とはいかずとも──。女に生まれたからには、したたかであれ」


 ジュリアナはごくりと生唾を飲んだ。

 舌に残っていたミルクセーキの残り香が、消えてしまった。


「私、帰る」

「では靴を──」

「適当に見繕ったものなんていらないわ」


 それから子どものようなわがままを言いこぼすと、扉の向こうへと突き進んで行った。





 残されたふたりに妙な間が生まれる。


「ブフッ」

「うわっ、ブランシェ! おしぼり使えよ!」

「だって、あの女が、あんなちんちくりんでっ、婚約破棄ですって、笑っちゃうっ」


 ミルクセーキを吹きこぼしカウンターテーブルへ、ない拳を打ちつける。


「はなから氷のマンドラゴラなんて、あの女には必要なかったじゃあないか!」

「ああ、そうだな。よかった。ほんとうに」


 クロドは心底ホッとした顔をして胸ポケットから煙草を取り出し、指先から火をつけそのまま一服、


「だが──」


 溜め息混じりの煙を吐いた。


「あいつが聖女にひっかけられたという水、皮肉なことにすべての生物の水分を奪う枯渇の水だった。聖女の持ち物だろうか。あんなレアアイテム、どこから……」

「だからミルクセーキを出したのか。お優しいことで」


 クロド特製のミルクセーキは、不死鳥の卵とシマさん《♀》の乳、それから凍らせて細かく砕いた回復薬ポーションを混ぜて作られている。細胞という細胞から水分を奪われ、内から枯れ果てていくだけのジュリアナの体を、たった一杯で甦らせたのだった。


「マンドラゴラといい、ミルクセーキといい、最初プロローグから甘やかして大丈夫なのか」

「グレイ公爵家は、冥界とつながる闇の魔法使いの家系だ。純血主義でありながら子孫を盾のない駒に使う連中。婚約破棄されて逃げ出すばかりか、手ぶらで帰れば拷問が待っている。あいつはそれを知っていて、帰ったんだ。根性はあるんじゃないか」

「ふぅん」


 ブランシェは自身の手首の断面をみつめた。冥界の炎は、闇を司る魔法使いがその灯りを点し続けている。その家系が潰えねば消えない。


「それにしてもクロド、まさかお前がたかが婚約者あてうまのプレゼントを捨ててしまうほど、ヤキモチ焼きだったとはな」


 今度は、クロドが煙草の煙に咽せる番だった。


「やだねぇ、元魔王ともあろう御方が」

「うるさいよ」


 ゴホゴホと乾いた男の咳払いが、ハウスの穏やかな午後をとおり抜けていった。

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